6月24日(下澤裕貴3)

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 男の持っていたクワガタムシのような物体が青白い光を放つ。理科の授業で静電気が放電される瞬間を見たが、それと同じだ。 「……スタンガン」  ゴクリと唾を飲み、スタンガンの先の電気を警戒する。 「そ、そこをどけぇぇええ!!」  男がビクビクしながら哮る。銃は奪っておらずとも警官を伸した男だ。体は裕貴の倍はあろうかという巨躯は力士と相対したような迫力。  直ぐにやられてしまうかもしれない。けど外には沙弥がいる。時間を戻してやり直しができる。十回でも百回でも何度でも……。それだけ積み重ねれば1人の人間の行動は覚えられる。それが達人だとしても、だ。    裕貴は何度痛い目に合わされても麻弥を救うんだっと覚悟を決めた。スタンガンが凶悪な光を迸らせながら男が突撃してくる。しかし、その動きは唖然としてしまうくらい緩慢。それもそのはず……鍛えた上で体を膨らませている力士とは違い、大和田はただ単に太っているだけ。鍛えていなければ脂肪の重さに負けてしまうのが道理。  そして、こともあろうにすっ転んだ。この緊迫した重要な場面で、しかも何も障害物のないフローリングの廊下で、だ。  裕貴は足元に転がってきたスタンガンを拾うと気配を感じ振り返った。沙弥が立っている。 「もしかして……」  既に沙弥は魔法を使っていて、やり直したのがこの世界なのかもしれない。そう思ったが沙弥は微妙な表情で答える。 「何も、してないよ?」  きっと沙弥も裕貴と大和田の戦いになると予想していたに違いない。その上でいつでも魔法が発動できるように準備していたのだろう。  それがこの結末だ。見事な肩透かしとしか言いようがない。 「ま、まあ……使っちゃえば?」  沙弥は目は裕貴の手元を見ていた。ボタンを押すだけで放電が始まる。どれだけの威力かは定かではないが、少なくとも警官を無力化できるだけの力はあるはずだ。この鈍臭い男が柔道や剣道で鍛えている警官を素手で倒せるとは思えないし……。 「やめて下さい! やめて下さい!やめて下さい! やめて下さい!」  目の前の怯えて引き攣った顔の男が懇願する。あまりに情けない姿だ。呆れるほど情けない姿だ。  こんな奴に振り回されていた事のほうが情けなく感じてしまうし、麻弥を酷い目に合わせたという怒りすら湧いて来なかった。  さっさと終わらせようと裕貴はスタンガンの出力をあげて、男の手に押し付ける。大和田の体が陸に打ち上げられた魚のように跳ね、すぐに動かなくなった。 「下澤くん。スーツケース!」 「ああ」  裕貴はスーツケースに衝撃を与えないように優しく倒して、蓋を開けた。  中にいた麻弥は目を閉ざしていた。 
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