7月16日(下澤裕貴)

6/6
前へ
/209ページ
次へ
「ひゃあー。よっぽどお腹が空いていたんだね」    ガツガツとそして残さず完食した裕貴を見て沙弥が感嘆の声をあげる。かく言う沙弥も裕貴より量は少ないものの食べきっていた。 「こんな美味しい料理始めてかも」 「それは良かった。で、何で作った本人は残しているのかな?」    沙弥は幸福に満たされた裕貴から目をスライドさせた。コチラも幸せオーラ全開だ。半分ほど残した状態で食べるのをやめて悶えている。  「なんだかもう、胸が一杯で……もう食べられないです」 「麻弥、練習を頑張ってたもんね。片付けはやっておくから下澤くんとソファーでゆっくりしていなよ」  沙弥は立ち上がり空っぽになった皿を重ね始めた。裕貴も急いで立ち上がる。 「あ、いや、ご馳走になったし……僕がやるから2人でゆっくりして」  こんなに贅沢な思いをさせてもらって皿洗いもしないのは申し訳無い。皿を運ぼうとするが沙弥に丁寧に断られてしまった。 「下澤くんはお客様なんだからゆっくりと寛いで?」 「でも……」 「それに“頑張る”んでしょ?」  口角が上がった麻弥と目が合う。胸元のリボンを細い指でギュッと握っている。好きな人が見せる可愛らしい姿。抱きしめたい衝動が胸の奥で燻ぶる。  麻弥は意を決っしたような顔つきで立ち上がるとソファーの側に移動した。   「下……じゃない。ご主人様。宜しければコチラで寛ぎませんか?」  沙弥が「行ってこい!」と目で後押しされる。裕貴は沙弥に「ありがとう」と言うと指定されたソファーに座った。 「お、おお、お隣っ! 失礼しまっす!」    フィギュアを無理矢理動かしたように硬い動きで隣に麻弥が座る。まだ麻弥が隣に座っただけなのに心臓の鼓動が早くなった。  裕貴は麻弥の横顔を覗き見た。のぼせたように赤い顔で、目は蕩けたようにトロンとしている。  麻弥の横顔に見惚れている場合じゃない。この夏休みは頑張ると決めた。この夏休み中に彼女を作ると決めた。そのために麻弥の予定を確認しておかないといけない。 「もうすぐっ! 夏休みっ……ですよね!」 「は、はいっ! 夏休みです。ご主人様」 「麻弥さんは予定はあるんですか?」  特に気になるのは8月14日の土曜日。小山海祭の開催日。前回は浩一と行った夏祭り。今回は麻弥と見て回りたい。それでベタかもしれないが花火を観てムードを高めて告白する。 「えっと、7月の終わりに祖母の家に行きます。あとはバイトとか買い物とか……くらいですかね」 「友達と遊んだりとかは? た、たとえば小山海祭の日…………とか?」  直感の優れた人間じゃなくとも意図が伝わってしまう下手くそな質問の仕方。案の定、麻弥もその意図を理解して口をあんぐりと開かせている。 「……暇です。すっごく暇です!」 「そ、そっか! なら良ければ一緒に行かない? 小海山祭」 「行きます! 喜んで行きます!」  麻弥は最高級の肉をもらった犬みたいな表情で返事をした。  すんなりと約束を取り付けられて安心すると脱力し、ソファーに背中を預ける。 「あーー、良かった! 断わられたらどうしようかと思ったぁ!!」 「私も行きたかったですから!」  麻弥は興奮を抑えようともしない。昂った感情のまま「コーヒー飲みますよね?」と立ち上がると裕貴の隣を離れた。  カウンターは裕貴の背面にある。前にしか目がついていない裕貴には麻弥の様子は直接は見えない。しかし、テレビには麻弥の様子が反射して映っている。  ーー沙弥に抱きつき頭を撫でてもらう姿。  コーヒーを淹れて戻ってきた麻弥は裕貴がお土産に買ってきたケーキも持ってきていた。皿を洗い終えた沙弥も合流するともう少しだけ会話を楽しんだ。
/209ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加