8月14日(下澤裕貴)

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 神社から橋まで川沿いの道があるのだが、花火の打ち上げはその途中の河川敷で行う。そのため、花火の時間が迫るとその区間が通れなくなる。  裕貴たちは川沿いの道から住宅街を通り抜ける迂回ルートを使っていた。  祭りの喧騒は遠ざかり、裕貴の耳には麻弥の荒い息遣いだけが聞こえていた。歩を進めれば進めるほど雑音がき消える。昼間は赤子のように泣きじゃくっていた蝉も安眠しているようだし、周りの家も住人が消えてしまったかのように静まり返っている。   麻弥が躓いたのはそんな静かな世界で、ひっそりと隠れていた僅かな段差に、だ。    裕貴が手を引いていたため転倒することはなかったが、麻弥はたたらを踏む。 「おっ、と……大丈夫?」 「足元が暗くて……ごめん」  空には三日月が輝いているがここからだとビルの陰に隠れてしまっているし、付近の家の窓にも灯りはあるが道路を隅々まで照らせていない。雑誌の厚さ程度しかない段差など闇と同化して見えなくなってしまっている。    脱げた麻弥の下駄は上下逆さまになって地面に転がっていた。裕貴は繋いでいた手を離し、それを拾い上げた。しかし……。 「切れてる……」  指に引っ掛ける前坪の部分が根本から切れてしまっている。これでは歩くことができない。 「時間が無いのに……。ごめんなさい、私の不注意で……」 「違う。麻弥さんのせいじゃない。僕のせいだ……!」  思い返せば少しでも早く橋に着くために早足で歩いてしまっていた。麻弥の乱れた呼吸が聞こえていたし下駄で歩き難いのも分かっていたのに……。 「僕が麻弥さんを走らせたからだ。時間ばかり気にして。麻弥さんのことを見なかったから」  その瞬間、花火が打ち上がる音が轟いた。麻弥と裕貴は空を見上げる。爆発音が体を震わせ、緑色の大輪が夜空を照らす。  しかし、せっかくの花火も裕貴たちからは民家が邪魔で半分しか見えない。本来ならこの花火はもっと良い雰囲気で、もっともっと大きな花を見ているはずだったのに……。 「もっと、麻弥さんに気を配るべきだったんだ」  謝らないといけないのは麻弥にだけじゃない。今日のためにお膳立てをしてくれた沙弥にも……。  悔やんでいる間にも1発、また1発と花火が打ち上がる。赤や青、黄色と色んな色の光が瞬く中、再び2人の手が繋がった。麻弥から繋いだ裕貴の手は、さっきまで繋いでいた手とは逆で、2人で掬った金魚すくいが泳ぐ袋を握っていた。
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