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裕貴から逃げ切る方法は簡単だ。トイレに隠れたり人混みに入ったり、マン喫や、カラオケの個室に入っていてもいい。
追いかける側より逃げる側の方が余裕がある。裕貴からの電話に出たのもその余裕があるからだ。
『麻弥さん! 今どこ?』
裕貴の質問に麻弥は顔を上に向けた。駅の2階にあるパンケーキの専門店の看板が目に映るが、裕貴に教える気はない。
「秘密。下澤くんこそ、こんな時間にこんな場所で何をしているの? 学校行って勉強しないと」
『学校なんか行ってる場合じゃないだろ……!』
裕貴が憤りを圧し殺している声で言う。何もしないままその時がくるのを待っているなんて裕貴にはできないようだ。
「もう。勉強ちゃんとしないと……。将来、翻訳家になりたいんでしょ? 私なんかにかまってないで」
『ぜっったいに嫌だ! 麻弥さんのこと、諦める気はないから。翻訳家になる夢も諦めない!』
裕貴も沙弥と一緒に何度も繰り返していて、嫌な思いを繰り返しさせてしまった。それでも諦めないと言ってくれる。それだけ想ってくれているという証だ。
好きな人に好きでいてもらえる。こんな幸せなことはそうそうないだろう。
だけど、麻弥が望むのはそれ以上の幸せ。
「下澤くんじゃあ私を止めることはできないよ」
例え何百回と繰り返したとしても、絶対に。
『いや、止める。ここで麻弥さんを捕まえられなくても、死なせない方法は考えてあるから』
裕貴が強気で宣言する。それが少しだけ可愛くて、嬉しい。自然とニヤけてクスクスと笑ってしまう。
パンケーキの専門店で窓際に座っていた麻弥は地上を見る。バスの停留所があり、裕貴がその周辺をチョロチョロと動き回っている。麻弥がバス待ちの列に並んでいないかチェックしているようだ。
『何がおかしいの? 至って真面目なんだけど』
さっきとは違う理由で裕貴が不機嫌になった。
「ごめん。バカにしてるわけじゃなくてさ、純粋に嬉しかっただけ。不可能って分かっていても私のために挑戦してくれるっていうのが、さ!」
『とっておきの秘策を用意している。不可能だって可能に変わるから』
「秘策、ねぇー……」
麻弥はさっきの別れ際の沙弥の顔を思い出した。沙弥と2人で考えたのか、沙弥が裕貴に思いつかせるよう働いて生まれた作戦か。
どちらにせよ、確定した未来を動かすだけの力はない。
「私のために動いてくれるのは嬉しいけど、勉強を疎かにしたらダメだよ。それじゃバイバイ!」
麻弥は一方的に電話を終えた。下を見ればバス停を探し回っていた裕貴が駆け出して街へ消える。
麻弥は未来予知を行い、裕貴の未来を覗く。彼の言う秘策がどのようなものか興味がある。
視えた未来の裕貴は張り込みをしていた。刑事ドラマみたいにアンパンと牛乳は持っていないが、大和田定信の家を見張っている。
裕貴の秘策も未来も問題なしと判断して、麻弥は配膳されていたパンケーキを食べる。生クリームが大量にかけられていて表示カロリーを見るのを躊躇うようなパンケーキだ。
完食したあと口のなかに残った甘さを紅茶で流すと財布を鞄から取り出して、さっきまで裕貴がいた場所に視線を向ける。
「下澤くん。大和田定信をどうにかすれば解決すると思っているなら、見当違いだよ」
絶対に届かないアドバイスを裕貴に送った。
大和田定信が犯人だという推察は間違いじゃない。殺害の実行犯は間違いなくこの男。殺される本人が言うのだから間違いない。
けれど、大和田定信を手引している共犯がいる。直接関与する訳ではないが、麻弥の死に深く関わっているのはその共犯の方。この共犯の存在に気が付かない限りは何度ループをしても同じだ。
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