9月9日(下澤裕貴)

1/1
前へ
/209ページ
次へ

9月9日(下澤裕貴)

 裕貴は目を覚ました。見慣れないこのベッドはビジネスホテルのもの。昨夜、沙弥を1度帰して大和田宅を見張り続けたのだが、今朝沙弥と交代した。  布団の中からもぞもぞっと這い出るとスマホのGPSアプリを確認する。大和田の車に仕掛けた沙弥のスマホは移動していない。大和田は在宅のまま。  もしかしたら、裕貴が寝ている間に外出したかもしれない。その点はあとで沙弥に確認しなくては……。因みに沙弥のスマホは車体の下にストラップを使い固定してあるので車体の下に入らなければ見つかることはなく、山道のような悪路を走行しなければ落ちる心配もないそうだ。  もともと1人で見張るつもりだったのでホテルに宿泊する準備などしておらず纏めるような荷物はない。一度家に帰る事だって出来たが、その間に何かあっては手遅れになる。なるべく近くで安いホテルを選んだ。  チェックアウトもスムーズに済んだ。裕貴が外に出ると台風接近を実感するような天気。コンビニで傘を買うと沙弥のところへ急ぐ。  沙弥は今、スマホを持っていないので合流には地道に探すしかなかった。大和田の家が見える範囲を歩き回り、雨のせいで良好とは言えない視界のなかで見つけたビニール傘を持った人影。近づかなければそれが沙弥だとわからない。それほど雨の弾幕は濃くなっていた。 「様子は? 何か変わったことは?」 「変わりなし……。でも、そろそろ動くんじゃない?」 「理由は? 何でそろそろだって?」 「経験からかな。麻弥が行方不明になって死体が発見されるまで長くても1週間。殺されるのはもっと早いから」   麻弥の未来予知は“もしも”“たられば”を映すテレビのようなもの。精度は抜群だが、結局はまだ起きていない。未来の出来事。  対して沙弥の過去干渉は過去へ戻りやり直すもの。体験しているか体験していないかの差は決定的で、その重みは沙弥からヒシヒシと感じる。   「それにしても嫌な天気。雨も風もどんどん強くなってる」 「台風、今晩がピークらしいから。それにしてもこんなに凄い雨だと思い出すな、キャンプのときのこと」  5月にあった学校の行事。そのときも前が霞むほどの大雨だった。 「もう、誰も覚えていないけどね」  「そうだね。沙弥さんの魔法が無かったことにしてくれたから」    土砂崩れが起きたそのあと、沙弥の奇跡が世界を変えた。たくさんの同級生が亡くなった世界を過去に戻して。 「でもあの時麻弥さんと沙弥さんがいてくれたこと。2人が助けてくれたこと。覚えてて良かったと思ってる」  あのとき土の中に埋もれて死ななくて済んだのは麻弥がいたから。今日まで平和な学校生活を送れたのは沙弥が土砂崩れ自体発生しなかった世界へ進む選択をやり直させてくれたから。 「だから今がその恩返しのときなんだ。麻弥さんを助けて、2人が日常に戻れるように」  裕貴の決意を受け取った沙弥が微笑む。麻弥と似ているけど麻弥よりも強さを感じる笑顔は嵐の中の光明のようだ。  彼女の強さと魔法が裕貴を別の未来への切符をくれる。  夜になって裕貴は沙弥を家に帰した。高校生の女の子が徹夜で野外にいるのは褒められたものじゃない。  ここからは裕貴1人で見張る。そして沙弥の直感が的中することとなる。
/209ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加