映画館

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 裕貴はワインレッドの椅子に体を沈めた。右側のドリンクホルダーにカフェ・オ・レを置くと春の季節にふさわしい爽やかなピンク色のスカートが視界に入る。そのまま視界を上に移動させると白いブラウス、そして可愛いらしい顔立ちの少女が顔を赤らめ、身を強ばらせていた。  麻弥の更に右側にいるはずの沙弥はお手洗いに行ったまま。きっと男と2人ということに慣れておらず緊張しているのだろう。  これは仲良くなるチャンスと裕貴は勇気を振り絞る。 「もしかして、ホラー苦手? 緊張してるようだけど……?」 「ええっと、ホラーはあんまり得意じゃないかも……。沙弥に誘われて一緒に観ることあるけど、怖くて震えちゃうし……」  裕貴に向かって麻弥は恥ずかしそうに微笑む。学校では見せたことのない彼女の愛らしい表情。その姿につい見入ってしまうになり、慌ててカフェ・オ・レを飲んで誤魔化した。 「そ、そういえばこの映画評判悪いみたいだよ! ホラーっぽくないって」  沙弥とどの映画を観るか相談していたとき、たまたまネットの感想を見つけた。 「だから、そんな怖いストーリーじゃないと思う!」 「そっか……!」    麻弥はホッとして大きな息を吐いた。ネットの評判を鵜呑みにして良いのかはさておき、麻弥の顔は少しだけ柔らかくなっている。  「そうだよね! 映画くらい。夢が叶わない方がよっぽど……」 「夢? 映画が?」 「うん。死ぬまでに叶えたい夢。ずっと叶えたかったうちの1個が映画館で映画を観ること」  小さな離島や、電車も通っていない山奥ならともかく、この街の付近に住んでいるなら映画くらい直ぐ観に来れるのに、それを“夢”だと言った。嘘みたいに平凡な夢だ。それとも何か特別な条件があった上で……なのか? 例えば“ホラー”限定とか“高校入学までに”とか? 「死ぬまでにしたい事が“映画を観ること”なんて……大仰じゃない?」 「そんなことないよ。私にとっては物凄くハードルが高かった。でも下澤くんのお陰で……ううん、下澤くんが偶然映画を観に来てくれていたから叶えられた。死ぬまでに叶って良かった、ありがとう!」  麻弥の笑顔が裕貴の胸にチクリと刺さる。過去に戻る前の……未来の麻弥は、こんな平凡な夢を、叶えることは出来たのだろうか? もし出来なかったというなら、あまりにも……。 「まだ、高校生にもなってないのに死ぬなんて70年、早いよ」 「あはは。そうかもね! けど、交通事故とか災害もあるから。単に万が一のとき、後悔はなるべく残したくないってこと」  麻弥は既に自分の死を予知しているのかもしれない……。まるで、裕貴の勘を肯定するように、人生を謳歌する少女の顔が昏く染まる。 「沙弥、まだ戻ってこない。もう上映時間なのに」 「そういえば……」  上体を倒して麻弥の隣の席を見る。結局映画が始まってもその席に沙弥が座ることはなかった。
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