暗殺者の因果応報

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どうしてこうなった。 後悔ばかりが脳内を満たし、絶望だけが全身を纏う。 セレンは懐に隠している小型ナイフに触れ、落ち着きを取り戻そうと躍起になる。訓練して手に入れた強かな体躯も惚れ惚れする技術も、今この状況下に置いては全くの無価値だった。 セレンは暗殺者である。人知れず命を奪い、大金をせしめる。ターゲットは善者なのかもしれないし、悪者なのかもしれない。だが、そんなものはセレンには関係ない。より良い報酬のためには気にしている余裕はないのだ。大金を手に入れること、それこそがセレンの暗殺家業を営んでいる目的である。しかしそれがゴールではないことも確かだ。 どうしても外道になってでも得たい現実がある。それ故にセレンは苛立ちと焦燥感を抱いているのだ。 「吹雪いつになったら止むのだ。女将よ」 いまいましげに外を窓越しににらみながらセレンは問う。それに答えたのは着物を着込んだ妙齢の女性だ。 「天候は自由気ままな故、誰にも予想はできぬ」 女性は長い艶やかな黒髪を揺らしながらイタズラ気に微笑む。花が咲き誇ったような万人が見惚れる見事な笑み。 「ごたくは結構だ。情報機器を通して分かるものだろ。さっさとしろ!」 セレンに取ってそれは煽りにしかならない。犬歯を剥き出しにして噛みつくかのように要求をする。 「そうまでして、いったい何があなたを突き動かすのか、興味津々やねぇ」 「…………」 言えるはずがない。答えることができるはずない。この事実は他人に話すどころか、自信の心が言語化するのを避けている。そうすることで出来事から目をそらしたいのだろう。人を殺して眉ひとつ動かさないように訓練された精神が悲鳴をあげている。 「答えてくれたら、調べてあげましょうかねぇ」 セレンのこの葛藤をまるで見透かしているかのごとく、彼女は愉快そうな瞳を見せる。 このアマ調子に乗るな。そう思うが今ここで彼女の不興を買っても不利益にしかならない 。最悪殺傷して情報機器を奪う、という手段もあるが、証拠隠滅のための時間がかかりすぎる。 「仕事だ……」 「この先進んでも氷山しかないのに?」 彼女は情報機器をお手玉のように弄ぶ。 そうだ、この場は氷山の麓。吹き荒れる吹雪に耐えかねて、目前に合った宿屋に足を運んだのだ。 「氷山から降りてくる途中だったんだ」 「それなら夜中に登山したということになりますが、ハテハテ。夜中は立ち入りを許可されてませんよねぇ」 咄嗟に出たセレンの嘘に、彼女はコロコロと笑い指摘する。 短期間での関わりでしかないが油断ならない奴だと認識する。生半可な嘘やウィットではどうしようもない。 元来セレンは無愛想で人との関わりを避けていた。そのため口達者ではないのだ。効率を考えるなら話した方がいいだろう。 セレンはごくりと唾を飲み込むと、意を決して語った。 「俺の母が、誘拐されたんだ。その身代金を氷山の頂上に置けと手紙があった」 「ほぅ、そんな面白いことがあったなんてねぇ」 「面白いだと!」 カッと頭に血が登り、全身の血液が急速に回り熱くなる。すぐに冷静さを取り戻す。怒りという感情が発露したのはいつ以来だろうか。すぐには思い出せないほどの長い月日、感情に支配されることはなかった。そんなセレンがわずかでも怒り狂うのには理由がある。 母はセレンが幼少期の時に重い病に掛かった。父親は他界しており入院させるような資金は当然無かった。母を見捨ててセレン一人で生きていくならどうにでもなった。だがセレンはそうはしなかった。暗殺者になって日の当たらない生活をしている今の現状もそのための犠牲なのだ。自分や他人はどうなっても母を守り通す。そう誓ったはずなのに母は入院先から誘拐されてしまった。 「私の手料理美味しかったかい?」 彼女が思い出したかのようにパン、と両手を会わせる。 「肉料理だったな、ああ上手かった。さっさといつ止むか教えてくれ」 なおざりに肯定し、本命の要求を最後につける。すると彼女は今までセレンを真正面で見据えていたが、クルット背を向けた。 「そうかそうか。うまかったですかぁ」 笑みを孕ませて彼女は肩を震わせる。先程までの人を食ったようなものではなくどこか狂気を感じさせた 「ーーーーッツ!」 暗殺業で育んだ危機能力が警鐘を鳴らし、産毛が逆立つ。ーーが、一歩遅かった一瞬遅かった。 遅い来る腹部への衝撃。気がついたときには背を床につけていた。 「ガハッ!」 赤いランプが点滅するかのように目がチカチカし、生ぬるい吐血が飛び散る。 幾度も見てきた人間を象徴する色。それが自分から出たのだ。余りの出来事に認識が遅れてしまった。 状況の原因であろう腹部へと目線を移すと、どこの家庭でも見掛けそうな質素な包丁が突き刺さっていた。そこを起点として血が流れ落ちている。 「グッ、ガ!」 遅れて激痛が腹部を中心として全身を撫でた。視覚情報により体の異常を脳が察知したためだ。生存本能の警告が痛みへと変換されている。 「どう、して。このアマが!」 血反吐を吐きながら目線だけ彼女に向ける。数多の死を見届けてきたが故に、これが致命傷だと容易に判断できてしまった。 「これは報復ですよ。報復。フフフ」 彼女のその表情にはセレンに対する悪意と、どこか恍惚としたものを感じた。 もう口を動かし空気を振動させる体力すら残されていない。 彼女はそれを察したのか、はたまたそうではないのか、一人満足げにセレンへと語り掛ける。 「そう復讐。一年前私の父親を殺されたことに対する復讐。どうせあなたは覚えてないんでしょう?」 体内の血が足りなくなり思考が朝霧のようにぼやける中、セレンは懸命に情報を繋ぎ止めようとする。けれどどうしようもない。セレンは被害者のことなどまるで気に止めていなかったからだ。晩飯に出される肉や魚のことなどいちいち覚えていないように、獲物としか捉えていなかった。 「目の前で殺されたあの日、私はあなたを殺す算段をたてました。ええ、それはもうクリアな頭で」 目の前で殺した、ということは セレンも彼女を見たことがあるはずだ。今となったらあり得ない妄想だが、セレンが彼女のことを覚えていればこのような事態にならずにすんだかもしれない。 「敵を殺すにはまずは情報が必要ですよね。なので徹底的にあなたのことを調べ尽くしました。すると大病を患っている母親がいると心底愉快な情報がリサーチできました。そこからは早かったですね。私と同じ境遇の医療従事者と連携してあなたの母親を誘拐、誘き寄せることができました」 「グッ!」 声にならない声をあげる。おかしいとは思っていたのだ。母を預けていた病院は世界的にも有名で、そこのセキュリティがザルな訳がない。それも内通者がいれば話は別だが。 「誘拐してから始めに何をしたと思います? 全身を切り刻んであげました」 ……まさか。最悪な事態を先回りして予想してしまい胃の中のものを吐き出そうとする。 「おや、気づきましたか? そうですあなたが美味しいと言った肉料理は母親のものなんですよねぇ」 深い後悔と絶望のどん底に落ちる。濁流に足を滑らせる幼子のようにそこから逃れる術はない。 けれど、セレンは少しほんのわずかだが安心した。セレンがこれまで生きてきたのは母のためだ。その役目から解放されるとなると、廃品回収車にスプラックにされた方がマシなこの世界から解き放たれることができる。 セレンは目を閉じこれまでの人生を回想する。人を殺し恨み恨まれ、そんな記憶しかないことを「自分らしい」と思い、深淵へと意識を投下させた。 「ハッハハハハハハハハッ!」 後にはヒステリックな哄笑が響くだけだった。
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