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「最低だよ、お喋り壺男爵」
クロエは、朗々としたバリトン声を放つ壺を睨んだ。『お喋り壺男爵』は丸々とした胴を器用に曲げると、よく動く口で巨大な笑みを作ってみせた。
「これは失礼!小さいマドモア」
ゼル、と言い終わる前に盛大にげっぷを放つ。
「ちょっと、」
「あいや申し訳ない、マドモアゼル。ですが吾輩も故あってこの有様なのですぞ。昨晩方、吾輩を傘入れと間違えた不届きな輩が、吾輩の口に傘をもう、何本とねじ込みましてな。失礼な!吾輩はそこら凡百の焼物とは違いますぞ!遥か東方今は亡きシリラ王朝で名工と誉れ高い窯より出でて早700年…!実に人の7倍の生の間に3つの亡国と10と4つの戦乱を経て、この館の廊下の守護を任ぜられた、吾輩こそ一級品の…!!」
大音声と共にくねくねと身をよじりだした『お喋り壺男爵』を、クロエは手で制す。
「分かった、分かったよ。それで、傘を入れられてどうなったの」
「そこはそれ、吾輩の一喝にて、そ奴は脱兎の如く逃げ出しました。だが、傘をそのままにしていきおって、吾輩、どうにか傘を抜いておりましたが、あと1本だけどうにも取れない」
居心地が悪そうに、壷が身を揺らす。
「たまたま居合わせた淑女に斯様なことは申し上げにくい。だが恥を偲んで頼もう!吾輩の体に残る棘を抜いていただきたい!」
「随分な頼み方だな」
「ありがとう!ありがとう!」
「まだ何も言ってないだろ!口こっちに向けるなよ」
顔もない壷が、期待するように口を倒してきたので、いやいや中を覗き込んでやる。確かに底の方、一本の傘が内側の凹凸に引っかかっているのが見えた。
「……ほら、取れたよ」
「あぁ、すっきりといたした!感謝いたします、小さな淑女!昨晩からの胸の苦しみ、解き放たれた吾輩の歓びを一曲歌いましょう……!」
「歌わなくていい、歌わなくていいから!」
「左様ですか……では、せめて御名を賜りたい。吾輩、貴公の善行を語り継ぎましょう!」
「えー……」
「ほら、教えてあげなよ。良いことしてあげたんだから」
壺とのやり取りを笑顔で見続けていたリディヤが調子を合わせる。
「……………………………………………クロエ」
「ありがとう、クロエ嬢!吾輩、貴公の施しを忘れはしない!ああ、本当に、胸の中のつかえが邪魔で昨夜はおちおち眠れませんでした!失礼ながら、吾輩はここで失礼いたします、実は、今まで眠くて仕方ありませんでしたので」
話したいだけ話した『お喋り壺男爵』は、伸びをするように大きく全身を揺らすと、動かなくなった。クロエとリディヤが叩いても、全く反応が返ってこない。
「寝ちゃったんだ。寝ると普通の壺に戻るんだね」
後には、誰のものか分からない傘を抱えたまま、うんざりした顔のクロエが残された。
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