2.レッスン(前半)

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2.レッスン(前半)

 そして冒頭のアレに戻るというわけだ。 「何度教えればいいんですか。今夜の酒宴はとても大切なものなんですよ」 「それは分かってますっ」 「そしてルカ王子はあなたみたいな子兎ちゃんが大好物だという調査結果が出ているんです」  ルカ王子とは、東方の山脈を挟んで隣り合う国の第一王子だ。そしてこの王子様は双方にとって重要な目的、交渉のために我が国にやって来たらしい。今日の昼過ぎにこの城に到着し、今は客間で旅の疲れを癒している最中なのだとか。  まあ、それくらいは一メイドである私も知っている。  で、その重要な何かについてはさておき、やり手と噂の宰相様は、事前にルカ王子について事細かに調査したらしい。様々な面について。で、好みの女性は『年下の初心な子。子兎ちゃんって感じの子が最高!』だったそうな。……しかし子兎ちゃんってなんだ、子兎ちゃんって。 「ザ・子兎なあなたを王子のそばに侍らせれば『そういうこと』になる、それは至極当然でしょう」  曲がりなりにも一国の王子がそんな不作法なことをするわけがないと思うんですけど――私のつぶやきは完全にスルーされている。 「しかし、王子相手にあなたが粗相をしてはなりませんからね。だからこうしてレッスンしてさしあげているのです」 「あ、あの」 「黙って聞きなさい。忙しい私自ら教えてさしあげているのですから」 「だ、だからっ! だからそれがおかしいんですよ! それでは私、まるで人身御供じゃないですか!」  今、自分の意志を伝えないでいつするんだ――そう思って勇気を出して抵抗したところ、即座に「違います」と否定された。 「あなたはただの子兎です。ちょっと酒席で可愛がってもらうだけのことです。大丈夫、周囲には大勢の人の目がありますから、ちょっと触られるだけのことです。命はとられません」 「ちょっと……って」 「ええ。よくてキスどまり、そのくらいの常識はルカ王子にもある……はずです」 「ちょちょ、ちょっと待ってください。なんですかその『はずです』って」  涙目で睨みつけると、 「え? 聞き違いではありませんか。そんなことは一言も言ってませんよ」  宰相様は飄々としらを切る。そしてポケットから懐中時計を取り出すと、「もうあまり時間がありません。話は終わりにして、さっさと続きをしますよ」と自分勝手に終わりを告げてきた。これ以上質疑を重ねるつもりはないらしい。 「では最初から」  こうなれば逆らうなんてできない。  涙目のまま宰相様に近づくと、さっき教えてもらったばかりの王族に対する礼をとった。 「本日、王子のおそばにつかせていただきます」  床に腰を落とした状態でほんの少し上目遣いに宰相様を見上げる。でも私の方から目を合わせてはいけない――そう教えられている。 「失礼……いたします」  目線は宰相様の膝のあたりに据えたままで、中腰の状態まで腰をあげ、宰相様の座る隣の椅子――若干後方――に座る。腰を落とした瞬間、小さな達成感でほうと息をついてしまい、 「息を漏らしてはいけません」  早速たしなめられてしまった。 「も、申し訳ありません」  そろえた膝に向かって深々と下げた頭の上で、「ではここからどうするんでしたか」と訊ねられた。 「はい。王族の方々全員が入場し、着席なされたタイミングでお酒をつぎます」 「正解です。では今がその時だとします。どうぞ」 「は、はい」  机の上には葡萄酒の入った壺が置かれている。いつもメイド仲間で飲む葡萄酒の壺は素焼きだが、こちらは複雑な紋様が描かれている、見るからに高級品だ。  さっきも手に取ったものだというのに、また手が震えてきた。  王族や来賓のお世話係をしているメイドなら慣れたものだろうが、私はただの掃除要員でしかない。……これ、壊したら弁償になるのかな。いくらするんだろう。一生払っても返せなかったらどうしよう。 「余計なことを考えていないで早く注ぎなさい」 「は、はい! どど、どうぞ」 「どもらない」 「はいっ」 「挙動不審になってはいけません」  冷静に、冷静に。  呪文のように胸の内で唱えていると、 「ああでも、子兎らしく少し怯えているくらいがいいかもしれませんね。よし、その感じで本番もいきましょうか」  訳の分からない注文をされてしまった。  思わず宰相様を見返すと、「王族に対する平民のふるまいとしては自然でしょうから」と言葉をすり替えられた。うん、今、すり替えたよね? 結局、子兎なんだよね?  とはいえ、もうすっかり反抗する気概などない。 「失礼します」  仕切り直して壺を持ち上げる。そして宰相様の目の前に置かれたグラスに静かにワインを注いでいった。  なんとかこぼさず注ぐことに、成功。  宰相様が一つうなずいた。 「では次の場面に行きますよ。定型的で和やかな雰囲気が……そうですね、三十分から一時間は続きます。その間、あなたは何をすればいいんでしたっけ?」 「お酒をどんどん注ぎます」 「その時に大切なことは?」 「にっこりスマイル、です」 「パーフェクトではないですね」 「……は?」 「何か忘れていることはありませんか?」 「あっ! 上目づかいで小首をかしげて恥ずかしそうに、です!」 「そうです」  言うや、宰相様はグラスの中身を半分ほど一気に飲んでしまった。 「さ、やってみなさい。私がいいと言うまで何度でも」  そして本当に『宰相様がいい』と言ってくださるまで演技指導が続けられた。 「……まあ、これくらいでいいでしょうか」  ハンカチを取り出す口元を拭う宰相様は、相当な量のワインを飲んでいる。私がうまくできないばっかりに……。でも宰相様は顔色一つ変わっていない。よっぽどお酒に強いのだろう。
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