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私がまだ5、6歳の頃、裕一が暫く家にいなかった時期があった。
これまで海外出張で半年〜一年程いない事があったが、その時は私が小学校に上がって暫く経ってからだったと記憶している。
それよりももっと前、、、確かにそうだ。
私がまだ幼稚園に通っていた頃だ。
この頃もいつもいなかった。
当時は幼すぎて、なぜ自分の父が家にいないのか、そもそもいないという事がどういう意味なのか、理解できていなかった。
ある日、私と裕美は美代子に連れられて巣鴨にある小さな居酒屋へ行った。
朧気ながら覚えているのは、何度か両親に連れられて来たことがあるお店だ、という事。
かつて両親が新婚の頃、行きつけの店だったのかもしれない。
裕一はつまみで出されたそら豆をケツ豆と呼び、それを面白がって食べた断片的な記憶。
楽しかった記憶。
店の中で程なくして美代子から電話に出るように促された。
いつの間にか、美代子は店の電話で誰かと話していたようだ。
「お父さんだよ、代わりなさい。早く帰ってきてって言うんだよ」
受話器の向こうに聞こえないように小声で、だが強く、美代子は私と裕美に言った。
子供の時間軸や思考力と言うのは、なんて簡単にできているんだろう。
自分の父を恋しかったのだろうが、それよりも何でいないのだろう?と不思議に思う方が大きかったように思う。
暫く家にいない事に対する疑問を自分自身が認識するまでに、永い時間がかかった。
裕一が居ない以外の日常はいつも通りだったし、美代子は就業し充分な収入を得ていたので、生活に支障はなかった。
夕方にならないと美代子が帰ってこないので、鍵っ子特有の日々の寂しさは常にあったが、食べ物に困ることもなく何不自由なく過ごしていた。
今思うと、この時、裕一が蒸発してから1年程経っていたのではないだろうか。
美代子と裕美と電車に乗って出掛け、うっすらとした記憶に残る居酒屋に行ける事にわくわくしていた私。
(どうして早く帰ってきて、なんて言わなくちゃいけないんだろう)
2歳上の裕美はまた少し違ったのだろうか。どんな風に感じ取っていたのだろうか。
美代子から受け取った受話器を耳に当てる。
「パパ?・・・パパ?」
私は問いかけた。
「・・・さとみか?」
受話器から裕一の声。
「さとみだよ。パパ、早く帰ってきて」
美代子に言われた通り言う。
「・・・うん、・・・うん、・・・帰るよ」
受話器の向こうからは裕一の嗚咽混じりの声が聞こえてきた。
裕一が泣いている事が分かり、どうしていいのか分からなくなってしまった私は、早々に美代子に受話器を返した。
それから帰るまでの間ずっと、何となく居心地の悪さを味わった。
(パパが泣いていた)
どうしたらいいのか分からなかった。
その後、幾日かして、裕一が家に戻ってきた。
「蒸発してたのよ」
美代子が語る当時の話は、全く予想外の内容だった。
この頃裕一には愛人がいて、ある時から家に戻らず愛人宅に転がり込んでいたようだ。
おそらく仕事もしていなかったのだろう、金に困りサラ金からの借金、そして愛人との生活。
借金は増える一方。
取り立てから逃げ回るようになった。
ヤバい事に手を出し脅されていたのかもしれない。
ヤバイ事って例えばどんな事だろう?
賭博?
借金を返す為に自分もまた取り立て屋をして、チンピラみたいな事をしてたとか?
結局の所、金の工面が出来なくて美代子に泣きを入れてきたと言う訳だ。
巣鴨の居酒屋は何かしら事情を知っていて、連絡役を買って出てくれたのだろうか。
その借金は、当時500万円程だった。
美代子はそれらの借金を即日全て現金で返済して回った。
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