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10月18日夜 母の美代子から電話があった。 いつもの事だ。 どうせ、『☓☓を買ってきて。☓☓に売ってるから』 というようなお願い事だろう。 またか、と少々うんざりとした気持ちでさとみは「もしもし」と出た。 「ああ、さとみ? あのね、お父さんがおととい退院して、今日は病院に行ってきたのよ。」 「なに?に、入院?なんで?」 自分でも変な声を出したと思った。 人ってびっくりするとほんとに素っ頓狂な声が出るもんなんだな、と思いながら続く母の言葉を聞いた。 「うん、ちょっと入院してたのよ。それで今日は退院後の診察に行ってきたのよ。 帰りにその足でね、薬貰いに処方箋薬局に行ったんだけど」 「いつも行く所?」 「そうそう、駅の信号の所の。  それで、そこの駐車場で転んじゃって。 ほら、あのタイヤを止める出っ張ったコンクリート。 そこにつまずいて転んじゃって。 転んだときに打ったのか胸が痛いって言ってて、家に帰っても呼吸も苦しがってて、これじゃあダメだと思って救急車呼んだのよ」 父、裕一は一年ほど前からちょっとした入院をポツリポツリとするようになってきた。 憩室炎であったり、泌尿器系であったり。 ここ半年は肺炎の治療で入退院を繰り返していた。 今回もまた肺炎治療で入院していて、退院した矢先の出来事だった。 駐車場の車止めに躓き、転倒した時に肋骨を骨折していた。 それによる胸痛があり、肺炎も完治しておらず、胸痛と相まって呼吸を苦しがる様子を見た美代子は救急車を呼んだ。 そしてそのまま入院となったのだった。 翌日の夕方、私は美代子と共にタクシーで裕一の入院する総合病院へ見舞いに行った。 HCUに入っている裕一は酸素マスクを付けていた。 「 苦しい、もう死ぬんだ、早く死なせてくれ」 と訴えている。 「入院して間もないし、今一番苦しい時だからもう少しの辛抱だ、少しずつよくなるよ」 と励ますが、 「よくはならない、分かるんだ。もう助からない、死ぬんだ」 と訴えを繰り返すばかり。 その日の昼間、主治医から 『今すぐではないが』と前置きがあった上で、 『延命措置を望むか 望まないか、今のうちにご夫婦で話し合っておくように』 と言われたと美代子から聞いた。 「病状に関して何の説明もないのよ。診察だってほんの1、2分よ。 機械をちょっと見て(あぁ、そう)みたいな感じ。 ましてや本人が呼吸が苦しくて恐怖心持ってて、死ぬんだ、って言っている目の前で、その言い方はないでしょう?」 と立腹している美代子。 もっともだと思う。 随分と横柄な医師という印象を受けた。 病状も説明しないなんてあるのか? 専門用語が多くて、ただ単に美代子には理解し難い内容だったのではないか? 私の頭の中で疑問が駆け巡る。 いづれにしても詳しい病状を聞かなければならない。 今後についてちゃんと説明が欲しいと伝えるように。 その時には娘の私も同席させるように。 美代子へ、看護師に要望するようお願いした。
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