アイドルしちゃったレミー

1/1
前へ
/2ページ
次へ

アイドルしちゃったレミー

美池琴子(みいけことこ)。 普段はデキるOLとして堅実に仕事をこなしているが、その地味で堅い印象からかついに一度もボーイフレンドもいたことないままに26歳を迎えていた。 同期や後輩までも次々と結婚していって、少しは焦るところであるが、全然焦ることもなく、恋は専ら二次元のイケメンキャラを相手にしていた。 そう、隠れオタな琴子は、休日はメガネを外し、ロングヘアなカツラを取って本来のショートカットに戻り、ちょっとスポーティな姿に変身して大好きなコミケへレッツゴー。 いや、メガネがキラっと光って優秀さをアピールして、清楚なロングヘアの仕事モードの方が人を欺くための変身だったりする。 休日にコミケやライブに行く時にばったり職場の人に遭ってオタバレするのを防止するために大胆にも仕事の時には別人のように姿を変えていたりするのだ。 隠れオタもなかなかツラいのである。 「やっほ~、レミーちゃん」 コミケの会場に着くともう美少女戦士の姿のコスプレをしている女のコが手を振って元気に走ってきた。 「マリンちゃん。今日も早いね~」と琴子も手を振り返した。 ちなみに、レミーというのは琴子のハンドルネームのようなもので、コミケ等の推し事の現場やSNSでもこの名前を使っている。 推し事の現場での友だちはその世界だけの友だちであるので、リアルな世界まで介入して来ないのが暗黙の約束になっている。 だからマリンと言っているこのコも琴子という名前も素性も知ることはなく、レミーというキャラでしか知らないし、琴子もまたこのコはマリンであって本名もどこで働いているかも全く知らない。 ただ、マリンはアイドルをやっていて、今日のこのコミケでもステージがあるはずである。琴子はマリンのファンであってマリンのステージも今日のコミケの大きな楽しみでもあった。考えてみるとアイドルさんとこんなに気軽に話せる友だちだなんてスゴいことだとちょっと嬉しくもある。 「あのさ~、レミーちゃん。ちょっと急なんだけどさ~」 とマリンがとんでもないことをお願いしてきた。マリンとお友だちのアイドルさんとで1時間のステージを2回用意してもらってあったのだが、お友だちが体調不良で来れなくなってしまったからその穴埋めでレミーにステージをやってほしいというのだ。 「ええ~っ、あたしがステージをやるの~💦ムリですムリです、とんでもない💦」 と、必死に断る琴子だが、「レミーちゃんは超絶イケてるし、超絶可愛いし、歌も上手だからステージで見てみたいな」とマリンがキラキラと瞳を輝かせるものだからちょっとその気になってしまう。 マリンとはたまにカラオケに行ったりすることもあって、マリンはいつも琴子の歌を絶賛してくれる。一緒にアイドルをやってみようと誘われたこともあったのだけど、人様の前で歌うなんてとてもムリだと思って丁重にお断りしたのだ。 でも、そんなに言われると何だかその気になってしまう。30分のステージを2回だけか。それだけならば、たまにはアイドルみたいなことをしてみたいという気持ちはある。 琴子はアイドルに憧れていたりもするのだ。といってもテレビに出ているような有名なアイドルには興味もなくて、マリンのようにコミケとかでステージをやったり、ライブハウスや路上ライブを中心に活躍するいわゆる地下アイドルと言われるような人たちを応援しているのだが・・。 「30分が2ステージ・・って、だったらあたしになんか頼まなくてもマリンちゃんが1時間やっちゃえばいいじゃない」 と、琴子は簡単なことに今更気がついた。 だが、それは簡単なことではなくて、マリンはとうとうそれに気づいたかというような表情を浮かべた。 「それも考えたんだけどさ・・レパートリーも少ないし、MC力もないし、1時間もやれる実力はとてもないんだ。30分は限度なんだよ。あははは~」 とマリンは力なく笑った。 「ねえ、マリンちゃん・・」 琴子が真剣な顔をするのでマリンは身構える。そんなこと言わないで1時間がんばってみようよとか、マリンちゃんならやれるよとか言われるのかと思ったが・・ 「MCって何?」 と思ってもみないことを訊いてきたので、この場面でそれかいと内心ずっこけた。まあ、そんな天然なところが可愛いんだけど。 「MCってのはね~、曲と曲の間のトークとかのことよ。MC専門にやってる司会者さんがいれば色々話を振ってもらえるんだけど、あたしたちみたいな場合はMCも全部自分でやんなきゃならないのよね」 マリンは本当にMCが苦手だから、ラストの曲の前に今後の活動等の告知をするぐらいで、殆どMCはなしでぶっ続けで歌い続けるパターンが多い。 「あたしもトークは苦手かな・・マリンちゃんはあたしにもアイドルできると思う?」 「できる、できるよ。あたしよりイケてるアイドルになれるかも」 とマリンが力強く頷くので、琴子は何だかその気になってきちゃった。 とりあえずアニメの美少女戦士のコスプレに変身した。ステージ衣裳はこれでOKかな。 「セトリはどうしようか?レミーちゃんは空で歌える曲がけっこうあるからオケの中から好きな曲を決めて」 とマリンは美少女戦士のコスプレに変身した琴子を嬉しそうに見ながら段取りを進めていく。 「あの~、セトリとかオケって何?」 琴子は聞き慣れない単語に目をパチパチとさせる。 「あ~、そうだっけ。業界用語ばかり並べちゃってごめん。これからアイドルになったら業界用語も自然に覚えちゃうからね」 マリンはニコニコしながら説明を続ける。セトリというのはセットアップリスト、つまり歌う曲とその順番である。30分のステージだから、MC(トーク)を何分ぐらいするかによって曲数を決めなければならない。 告知することも特にないし、面白いこととか言うネタもないし、曲紹介も含めて1曲5分ぐらいだから5曲を歌うことにした。後の5分は自己紹介とかで費やす時間もあるだろうし、いざとなったら2分や3分ぐらい短めに終わってもいいだろう。 BGMは大体の場合はオケつまりカラオケを使うので、予め用意したカラオケの中から曲と曲順番を決めることとなる。 マリンたちは会社とかにも所属しないで運営等もすべて自分たちで行うセルフプロデュースだから、今回のように2人で出演する場合にはステージに立ってない方の人がオケの操作とかを行う。 琴子はマリンが言うようにアニメの歌とかなら空で歌えて振りつけもある程度できる曲が何曲かあるので、オケの中からそういう歌を選曲していく。 ついにステージが始まった。 まずはマリンから歌う。マリンはやっぱり可愛いし、歌もステキで大好きだけど、いつもみたいに客席じゃなくてオケを操作しながら演者側にいるのって何か不思議な感じである。同じステージなのに見える景色が全然違う。 マリンが最後に今日出演予定だったアイドルさんが急遽来れなくなったので、今日この場が初ステージのレミーちゃんが登場するんで温かく応援してねとレミーの紹介をしてくれた。これで流れ的には登場しやすくなった。 美少女戦士のコスプレの琴子はけっこうイケていてみんな注目していたので、ステージに登場するとなると「やった~っ」とか、「待ってました~っ」というコールがあちこちから飛んできた。 「コスプレミー。コスプレでアニソンを歌ってみました。レミーと言います。よろしくお願いしま~す」 時間にすると1㍉秒もないぐらいの間だが、一瞬沈黙があり、この一瞬が怖い。 あちゃ~、バカなこと言っちゃったかなと思ったが、客席からは大きな歓声が上がり、あちこちで光る棒も振り回してくれるので、どん引きされてはいないととりあえず安心した。 「コスプレの姿も~」と最前にいたオタの中心的な人が言うと、「可~愛い」とオタたちが口々に盛り上がった。 「ちょっと待った~。コスプレの姿もって今日初めて会うんだからコスプレじゃない姿なんて見たことないでしゅ」とマリンが天の声的に言うと客席からは盛大な笑い声が起きた。 天の声というのは、運営がいるようなアイドルの場合、アイドルの告知忘れとかがあると運営がMCに割り込んで指示を出したり、時にはライブでの注意事項を説明したりすることである。 得意のアニメソングやヒーローソングを選曲したのはよかった。ステージではカラオケボックスのようにテロップを見て歌うワケにはいかないので、空で歌い出しのタイミングとかもきちんと計って歌わなければならないので、やたらな人には頼めない。 レミーは歌もバッチリなら振りもばっちりで、しかもロボットやヒーローの歌の時にはコブシやエコーも効いたど迫力の歌唱力を披露した。 そして、可愛い歌や胸キュンソングの時にはキュンキュンするような可愛い歌声を披露した。 同じ人が歌ってるとは思えない曲ごとの多彩な歌声はみんなのど肝を抜いた。 そんなこんなでステージは大いに盛り上がったのだけど、MC全くなしでガンガンいったので時間は多少早めに終わった。 まあいいかなと思ったら客席から「告知はないの~っ」とか「次はいつ会えるの~っ」とかいった声が飛んできた。 「あ、あの~、・・あたしは今日だけの限定アイドルっていうかぁ・・」 琴子は困りながらも自分がアイドルなのは今日だけなんだと伝えようとするが、「え~っ」とか「やめないで~、レミーちゃん」とか口々に声が上がりみんなは納得しない様子だった。 「レミーちゃんは急遽アイドルになったんで、今後のことは未定なんだよ。詳細はTwitterとかで告知があがるからちゃんとこまめにチェックするように」とマリンが再び天の声をやってフォローした。 そ、そんな・・今日だけって約束なのにと思う反面アイドルになってステージで歌ってみんなが沸いてくれるのが楽しくてまたやりたいと思っている自分がいることに琴子は気づいた。 ステージが終わると物販&特典会になった。CDやグッズを買ってサインをもらったり、チェキを撮ったりとマリンと交流をするためにオタクたちは列を作る。 当然自分にはCDもグッズもないから物販なんてできなくて寂しいからコミケをあちこち回って来ようかなと思ったら「レミーちゃんは特典会やらないの?」とオタクたちが声をかけてきた。 「チェキならできるよ。1台器械が余ってるし」 と言ってマリンがチェキの器械とフィルムを手渡してくれた。予備用に用意してたのがあってよかったとマリンは思った。 マリンからチェキの器械とフィルムを受け取って特典会を始めようとすると、オタクたちは何やらもうひと沸きしそうな様子で集まってきた。 「あっ、そっか・・」 レミーはマリンや他のアイドルがいつも物販特典会を始める時にやっている儀式みたいなのを思い出した。 「レミー、物販特典会を始めます。まだチェキしかないんだけど、よろしくレミー」 レミーの物販特典会始めます宣言に続いて「いえ~い」とかの歓声と拍手が沸き起こった。 多くのアイドルの物販特典会はこの流れで始まる一種のセレモニーみたいなものである。 チェキの金額設定はアイドルによって異なるが、マリンはソロチェキ500円、ツーショットチェキ1000円でいずれもサインを入れるという比較的無難な金額設定でやっているのでそれに習うこととした。 チェキは思いのほか大人気で、1部2部合わせて用意してきたフィルムを全部使い切って完売するほどであった。 「ありがとうレミーちゃん。やっぱりレミーちゃんに来てもらってよかったわ」 マリンが満面の笑顔でレミーにお礼を言った。レミーのおかげでいつになく物販特典会には人が多く集まり、久しぶりにチェキが完売して他のグッズも良好に売れたりしたのだ。 「あ、あの~、これ・・」 琴子は箱に入った売上金をマリンに差し出した。ざっと10万円近くはある。ツーショットチェキの人も多かったけどソロチェキの人もけっこういたので、ざっと計算すると1部2部それぞれで50人以上の人とチェキをやったことになる。これはスゴいことだと思う。中には2回も3回も来てくれた強者のオタクもいた。 「あ~、チェキの売上はアイドルの取り分になるんだよ。本来ならフィルム代をもらうんだけど、急にムチャブリみたいにお願いしちゃったし、レミーちゃんのおかげであたしも売上がよかったし、フィルム代はサービスしとくよ」 と、マリンは売上金は全てレミーのものだと笑顔で伝えた。 「それにしてもスゴいよ。本格的にアイドルやってみない?」とマリンが勧めてきた。 琴子はなんだかアイドルがやってみたくてたまらなくなっていた。チェキの売上がこんなにあるのにもびっくりしたけど、何よりオタさんたちと盛り上がるのは楽しいし、嬉しそうにチェキを撮ってくれてまた会えるのを楽しみにしてくれていたオタさんたちを裏切るのも忍びない。 「歌唱力もパフォーマンスも大したものだった。場数を踏めばいいアイドルになれるよ。良かったらオリジナル曲も作ろうじゃないか」 と、何だかトランプのキングみたいな風貌のおっちゃんが唐突に現れた。 「あ~、この人はあたしにオリジナル曲を作ってくれたりアイドル活動にいろいろと協力してくれるハジメさん。胡散臭そうに見えるけど優しい人だから大丈夫よ」 突然出現した胡散臭いおっちゃんを警戒している様子の琴子を見てマリンはおっちゃんの紹介をする。 「っておいっ、胡散臭いって・・ヒドいなぁもう」 マリンに胡散臭いと言われてハジメはちょっと膨れ顔になる。 「オリジナル曲を作ったりアイドル活動にいろいろ協力・・」 琴子は怯えたような顔でハジメを見て自分の身を庇うようにする。 マリンもハジメも目をパチパチさせてそんな琴子を不思議そうに見る。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加