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身体一つで王城から逃げ果せたユルグは、故郷の村に帰ろうと思い立った。
今の彼にはそこしか行き場がない。
幸い、ユルグの脱走が兵に知れ渡っている気配はないし、少しの間なら滞在できるはずだ。
そこからどうするかは、その後に決めれば良い。
事件はその道中に発生した。
村までの道を歩いていると、行商の馬車が向かってきているのが見えた。
何やら相当急いでいるらしく、ユルグを見かけると急停止して御者が大声で叫ぶ。
「この先には行かない方が良い!」
「何かあったのか?」
「この先にある村で商売をしていたんだが、いきなり魔物どもが攻めてきたんだ。命が惜しかったらやめときな!」
――アンタも気をつけてな。
去り際にそんな台詞を残して、馬車は去って行った。
御者の知らせにユルグは走り出した。
この先の村なんて、彼の故郷であるヴィリエの村しかない。
「……っ、くそ! ふざけんなよ!」
なぜいきなり魔物が村を襲いだしたのか。
理由はわからない。けれど、偶然とは思えなかった。
奥歯を噛みしめてユルグは村へと向かう。
何がなんでもミアだけは救わなければ。
彼女だけがユルグの生きる希望で、彼女がいたからこそ今までなんとか頑張ってこれたんだ。
ミアとの最後が、あんな夢見の悪い思い出だなんてそれだけは許容できない。
村の入り口まで行くと、既に魔物が村内を荒らし回っていた。
その光景を目にして、瞬時に息が詰まる。
指先が震えて、この先に進むのを本能が拒絶している。
もし、ミアがすでに死んでいたら。そうであったら、ユルグの生きる意味は無くなる。
最悪の想像をして、慌てて頭を振った。
必死にミアの姿を探して、彼女を見つけた。
「ミア!」
「――っ、ユルグ!」
ミアは村の外れの茂みに身を潜めていた。
偶然村の外へ出ていて、この襲撃に巻き込まれなかったみたいだ。
「いきなり魔物が襲ってきて、みんなが……」
彼女はかなり動揺しているようだった。
こんな惨劇を目の当たりにしたら誰だってそうなる。
こうして隠れているミアには何の非も無い。
「ユルグならみんなを――」
「俺は勇者だけど、もう勇者じゃいられないんだ」
「なにそれ……変なこと言ってないで助けてよ!」
「……できない」
「なんで!? ユルグは勇者なんでしょ!? だったら――」
泣きながらミアはユルグの胸に縋ってくる。
けれど、それ以上彼女が何を言っているのか、聞き取れなかった。
昔のようにユルグがただの村人であったなら、ミアもこんな事は言わなかっただろう。
彼に何の力も無ければ、魔物に村を襲われていても助けてなんて言わなかった。
彼女がユルグに助けを求めるのは、彼が勇者だからだ。
その事実が、何よりも恨めしい。
今までユルグを散々振り回してきたそれに縋り付くミアが、何よりも許せないと思ってしまった。
「逃げるよ」
「……え?」
「ここに居るとあいつらに気づかれる。とにかくこの場所から離れないと」
「な、なんでそんなことするの? だって、ユルグならあれくらい」
「倒せるよ。勇者なら余裕だろうね」
「だっ……、だったら」
「俺、さっき言っただろ。もうそんなんじゃないって」
ミアは意味が分からないとでも言うようにかぶりを振った。
泣きながら、お願いだからみんなを助けてと縋り付く。
ユルグがそれに頷くことはない。
「助けない。俺は普通の村人に戻りたいんだ」
「ふざけないで!」
刹那、鋭い痛みがユルグの頬に伝わる。
少ししてミアに頬を張られたのだと理解した。
「ユルグ、昔はこんなんじゃなかったでしょ……なんで」
「……なんで? 俺は何も変わってないじゃないか。お前らが勝手に期待して勝手に失望したんだろ!? ふざけんなだって!? それは俺の台詞だ!」
怒気を込めて睨み付けるとミアは押し黙った。
彼女の前ではこんなふうに怒鳴ったことは一度も無い。
本当なら優しいままでいたかった。けれど、それはもう無理だ。
気づくと、ユルグはミアの鳩尾を殴っていた。
気絶した彼女を担ぐと、静かにこの場から離れる。
大切な幼馴染みに暴力を振るったことに心は痛むが、この状況ではあれが最善だった。
ユルグにとって、ミアが生きていてくれればそれだけで十分なのだ。
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