◆思い出屋◆

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◆思い出屋◆

 カラン……  都会の中心から少し外れた細い路地。  賑わう街並みから一つ細い道に入るだけで、人影はまばらに。  居酒屋から占いのお店まで、小さく様々な店舗がひしめき合う。  その中に、その店はあった。 「こんにちは……」 「いらっしゃいませ!思い出屋にようこそ!」  小さな鈴が付いた白いドアを開ければ、木目調の受付カンターの向こうから、若い男性店員が笑顔で彼女を迎えた。 「どのような【思い出】をご希望ですか?」 「夏の……」 「夏!丁度今、夏の思い出お試しキャンペーン中なんですよ!半額でお得ですよ!」 「あ……そうなんですか……」 「ご予約のお客様ですか?でしたらお名前を」 「いえ……予約はしていないんですが……」 「そうですか!では、此方の受付表にご記入お願いします」 「はい……」  彼女の前に差し出された紙。  彼女はカウンターに置かれているペン立てからボールペンを一つ取ると、その紙に書かれた質問に対する記入を始めた。  氏名、住所、電話番号と続けて書いている時、「少々お待ちくださいね」との声が聞こえて。  顔を上げると、受付の青年は電話で誰かと話していた。 「はい、お客様一名……予約でなく……女性です。はい、はい。え、名前ですか?ちょっと待ってください……すみません、お客様のお名前は」 「あ……山田、です」 「山田様です。え?あ……はい、わかりました」  そして、青年は受話器を本体に戻して。 「そちらの受付表、お預かりします」 「え?でもまだ途中で……」 「途中まででいいそうです。どうぞ、奥へご案内します」 ◆◆◆  案内された奥の部屋は、白い天井に本棚に囲まれた事務机とソファが一つ。  その部屋に入るなり、小さな会社の社長室のようだ……と彼女は思った。 「ようこそ、思い出屋に」  事務机の側に立つのは、少しだけふくよかな体躯の、落ち着いた雰囲気の女性。  薄い桃色のスーツに蝶を模ったバレッタで長い髪を纏めているその様は、まるで子供の参観日に少しだけオシャレをしてきたお母さんみたいだと。  そう思うと、彼女の強張っていた心が、少しだけ力を抜いた……そんな気がした。 「どうぞ、ソファにお座りください」  穏やかな笑みで促され、彼女は言われるままソファに座る。  そして薄桃色のスーツの女性は、事務机へと。 「自己紹介が必要かしら?」 「え?あ、どちらでも……」 「ここの所長の高野です。お久しぶりですね」  高野と名乗ったこの女性の言葉に。  彼女はピクリと、肩を揺らした。 「今年もいらしたんですね……山田さん」  高野の言葉に、彼女は小さく「はい」と答えた。 ◆◆◆ 【思い出屋】  20××年、現代人の過労死、自殺の増加が大きな社会問題として認識されつつある時代。  政府はカウンセリングの一種、そしてストレス軽減や気分転換などの一環として、人々の記憶や感情を、ある程度なら外部からの直接的な干渉を許可する政策を出した。  原則として、本人の記憶の改ざん、感情のコントロールなど、洗脳等犯罪に利用されるような事は禁止。  出来るのは、ただ新たな思い出を与える事。  その人が望む新たな思い出を記憶の中に紛れ込ませる事で、追いつめられた人々の心を少しでも楽にして救済する。  そんな目的の為に出来たのが、政府公認の店……【思い出屋】だった。 ◆◆◆ 「本来なら、新たな思い出を与える前にご本人から様々な聞き取りを行うのですが」  仕事が辛い、上司に怒られてばかりで惨めだ。  楽しい事が一つもない。  何をやっても自分はダメ、このままで生きていく自信がない。  思い出屋にやってくる客の殆どは、聞き取りの際そんな悩みを吐き出す。  そんな人達には、明確に与えてほしい確固たる【思い出】は無い場合が殆どだ。  そんな人達に相応しい、救いになる【思い出】は何か。  そして本当に作られた【思い出】が必要かどうか。  それを見極める為に、事前に聞き取りを行うが。 「あなたが欲しい【思い出】は決まっていますよね?」 「……はい」 「今年も来られるのかと、丁度思っていた時だったんですよ……彼の、命日ですよね」 「……はい」  彼女がここに初めて来たのは今から五年前。  その一年前の今日。  彼女の恋人が、死んだ。 ◆◆◆  一緒に海に行く約束をしていた。  その為に、旅行の計画も立てていた。  だけど些細な事で、また喧嘩してしまって。  今回ばかりは許せないと、彼女は旅行に行かなかった。  そして海に行った彼が泊まったホテルで。  建物がほぼ全焼する火事があり、彼はそのまま帰ってこなかった。 「あの頃、私達はすれ違いが続いて、喧嘩ばかりで……別れ話も出ていたんです……って、すみません、去年も一昨年も同じ話をしましたよね、私」 「構いませんよ。どうぞ、あなたのお話を聞かせてください」 「喧嘩して、別れ話も拗らせてしまって、私だけが命拾いして……彼に本当に申し訳なくて……」 「そうですか……では、今年も」 「はい……下さい。彼とあの海に行った、夏の楽しい旅行の思い出を……」 ◆◆◆  ほら、早く行くぞ。  何をしてるんだ、置いてくぞ。  え?行かないで?置いてかないで?馬鹿だな、俺がお前を本当に置いてく訳ないだろ。  せっかくの旅行だし、楽しく行こうぜ、なあ?  本当に、お前とここに来れて良かったよ。  今回お前、かなり本気で怒ってたからさぁ。  でも、この夏に、お前とこうして楽しい思い出を作れて良かった。 「……うん、私も嬉しい……あなたとの夏の思い出……」 ◆◆◆ 「あの若い女性のお客さん。常連さんだったんですか」  その日の営業を終え、退勤前の事務処理や掃除等の後片付けの時間。  所長と従業員のいつもの雑談はその日、今日いきなりやってきた客の話になっていた。 「あなたはここにきてまだ一年経ってなかったわね前坂君。常連というか、夏のこの日にだけくるお客様よ。もう五年になるかしら」 「へえ、五年……も、なんでまた」 「同じ日の思い出を、更新するためよ。行けなかった旅行に行った思い出を」 「へえ。て、五年って事は五回もその思い出を更新してるって事ですか。え、それ良いんですか?」 「あまり良くないわね。本当は無かった思い出を何度も作り変えるのは。でも思い出って少しずつ薄れていくものでしょう?ましてやこれは偽りの記憶だから。思い出って余程強烈じゃないと、日々の生活の中で新たに増えていく記憶の向こうに霞んでいく。それに楽しい思い出って、辛い思い出に簡単に埋もれたりするの」 「じゃあ忘れられないくらい強烈な思い出を与えれば……あ、それはダメでしたね。法律で」 「そう、その人の人格や価値観や本物の記憶に影響を出す程の思い出は禁止されてるから。本来の目的はストレス軽減や気分転換ですからね。やがて薄れて忘れていく、それくらいが望ましいの」 「じゃあ、やっぱり何回も同じ偽りの思い出を与えるって、やめた方が良くないですか?」 「これはまあ特例。彼女の主治医からも許可を得ているから」 「許可?主治医?」 「最初は、その主治医の紹介でここに来たのよ……それくらい、彼女を苛む記憶は強烈だったから」 「恋人だけが死んで自分だけが死なずに済んだ、ですよね。そりゃ強烈かもしれないけど、恋人が死んだのは彼女のせいじゃないでしょう?彼の事を忘れたくないかもしれないけど、でも彼女は」 「彼の事は思い出にして、彼女は新しい人生を歩んだ方が良い?」 「え?あ、はい。なのにもういない彼との思い出を更新なんて……」 「そう考えるあなたの想像以上にそれが強烈だったら?」 「え?」 「彼はね、一人で死んだんじゃないの。旅行には別の女性が一緒に行った」 「え……じゃあ、彼は浮気してたんですか!?じゃあ益々忘れた方がいいじゃないですかそんな男!?」 「しかも彼は、彼女を殺害する計画を立てていた」 「え?……はい?」 「彼が死んだ後で分かったのよ。彼がその旅行で彼女の殺害計画を立ててた事を。その動機は……」 「え?え?ちょ、待ってください、話がいきなり飛躍してませんか?なんで恋人を殺そうなんて」 「彼はとっくに別の女性に心変わりしていたのに、彼女が絶対別れないと言ったから」 「……えぇ……マジっすか」 「マジなのよ。彼と一緒に旅行に行った女性、酷い火傷を負ったけど一命は取り留めたの。そして彼が死んだ後にその女性の存在を知って、彼女は会いに行ってしまったのよ。そして女性から『あなたを殺す筈だった。あなたが彼と別れてくれれば彼はそんな事を企む事も、死ぬ事も無かった』って責められて」 「いやそれは……やっぱり彼女のせいじゃないでしょう?悪いのは殺害なんて企てたその男じゃないですか!それに彼女は結局旅行に行かなかったんだから、悪いのは全部その男で」 「そうね。でも彼女が彼と別れていれば、その旅行自体が無かったのよ」 「あ……いや、でも……」 「自分を殺す為の旅行だった。それは彼女の心をどれだけ抉ったと思う?」 「……え、と……」 「彼の浮気相手に責められながら、彼女は殺害計画の詳細も教えられたそうよ。その話を今も鮮明に覚えているって……別れていれば彼に自分に対する殺意を芽生えさせる程追いつめる事も、彼を死なせる事も無かったと、彼女は自分を殺そうとした男にずっと罪悪感を持っている……これからも」  高野がそう言うと。  前坂は何か言いたげに口を開くも、すぐにその口を閉じ、そしてポツリと。 「それは……キツいですね……」 「私達の仕事は、つらい思い出や日常に疲れて心が壊れそうな人達の、そんな心を少しでも軽くする事。だから……」 「普通に楽しい旅行だったと、彼に対する罪悪感を誤魔化す為に、ですか」 「そうよ」 「でも本来の記憶を忘れる訳じゃない。それはありえなかった思い出だと分かっていても……ですか」 「今の彼女の心を少しでも楽にする為に出来るのはそれしかないの。でも……私、毎年この日がくると思うのよ」  ひと夏の、優しく楽しい思い出。  いつか、そんな偽りの思い出に囚われずに、彼女が前向きに生きていけるように。  彼女の人生に、それをもたらす新たな出会いや幸せが待ってますように。  今年こそ、彼女が来ませんように。  夏が来るたび、そう願わずにいられない。
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