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母の実家 清流館は麦屋節保存会とともに発展してきました。 人知れずこの山深い五箇山で培われた唄と踊り、江戸から明治のはじめにかけては受け継ごうとする者達に冷たい視線が向けられていました。「生活の糧にならない芸事にうつつを抜かす変わり者」と陰口を叩かれていたそうです。 当時は、人目を忍び、隠れる様に技を磨いたといいます。 ある者は土蔵の中で、、ある者は川や滝の音に紛れ、、、 そんな先人達に光が当たったのは明治42年の事です。後の大正天皇となられる皇太子殿下が麓の農学校へお越しになった際、麦屋節を披露せよと内命が下りました。 山深い五箇山から初めて峠を越え演じた舞台は彼らにとって、どれほどのモノかは計り知れません。 これを機に、世に評価された麦屋節、琴美の先祖 中川藤左衛門(お爺ちゃんの祖父)を初代会長とし、全国各地へ出演依頼を受けた。 清流館には地元の誇りを後世に伝えるべく、時に稽古の場として作られた舞台がありました。 客席の壁一面に飾られた数々の名人達の写真、舞台の床には数多くの踊り手達の一糸乱れぬ足捌きで、所々すり減った様な跡が見られる。 清流館が無くなる、、、それは琴美自身のルーツが失われるのと同じです。 翌朝、琴美はそんな清流館に居ました。 「もうお客さん居ないよね?ちょっと舞台上がるね。」母にそう言うと自分で照明を照し、舞台に上がりました。 「絶対に終わらせない。。なんとしても守る。。」心の中で誓いを立てた。 「琴美はやっぱりあの人の孫だね。。」舞台に上がる琴美をみて、お婆ちゃんは微笑みかけました。 琴美は、微笑む祖母に、「ねぇお婆ちゃん、お爺ちゃんとの馴れ初め、聞かせてくれない??」っと問いかけたのです。
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