三年窯

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「磁器というたか」  蜂須賀治昭は眉をひそめた。彼の不快に気づかず、商人は桐の箱をうやうやしく差し出してくる。  天明元年五月、治昭のもとに商人が訪れた。火の国の出身だという商人は、身の丈六尺以上もある骨太の、馬のように顔の長い男だった。薩摩の焼酎や器などを以前から買い付けている。旅先で得た知識も披露するので使い勝手がよく、加えて陶器の目利きであった。治昭は半月に一度、この男と話すのをひそかに楽しみにしていた。  十三歳から当主の座につき、実務に明け暮れていた治昭にとって唯一の慰めは陶芸だった。代々の当主らが蒐集した所蔵品は充実していて、己で見るのも、人に見せるのも楽しかった。あけすけに言えば、それが自慢だったのだ。彼は蔵にこもるのがいつも待ち遠しかったし、実際に蔵に入ると火事が起きても出てこないだろうというのが家臣たちのもっぱらの噂だった。  磁器には興味がなかった。薄くて軽く、白いという話を聞いただけでうんざりした。どっしりとした重み、土を感じさせるざらっとした手触り、無骨な形、そういうものが治昭にとっての器である。薄いくて白いなど論外だ。そんなもののどこに面白みがあるというのか。  だから男がひとしきり旅の噂話を終え、持参した品々を披露した後に、磁器を見てみませんかとつけくわえたとき、内心では落胆した。うなずいたのは、もののはずみのようなものだ。ため息を押し殺し、男の長い顔を眺める。生まれのわりに物のわかる男だと考えていたが、目聞き違いだったか。 「柿右衛門にございます」  商人が皿を取り出す。磁器は思い描いたよりもはるかに白かった。白砂の白より白く、和紙の白より白い。誰も踏んでない残雪に陽光が当たっているようだ。皿の中央にはあでやかな朱で鳥居が描かれ、余白が余韻となり、いつまでも目が離せなかった。皿は冷ややかな手触りで、思っていたよりもはるかに硬い。薄い皿を異国に運んで商いとしているのだ。丈夫でなければ具合が悪い。これまではそんな当然にさえ気づけていなかったのだ。  治昭は皿を裏にしてまた表にし、横から斜めから飽くことなく眺め続けた。商人が退出しても、日が暮れても、床についてさえ手放さなかった。彼は閨も淡泊なほうではなかったが、それより数日は気に入りの側室すら床に入れず磁器と過ごした。冷えていた磁器の肌は手にしているとほんのり温まり、心を許してくれたかのようだ。その日から治昭は磁器と結ばれた。  彼は商人に手をつくさせ、金にいとめをつけず、次々と磁器を手に入れた。真っ白な皿。染絵付け。九谷の大皿。有田の壺。藍と金、赤の組み合わせが見事な伊万里。青の仕上げが端正な色鍋島。ことに彼が好んだのは、初恋の人ともいうべき柿右衛門だった。絵柄も祝祭を表すものから、なぜこんな絵にしたか問いたくなるようなものまで、貴重な品から明らかな贋作まで、それらすべてを蒐集した。散財によってたちまち藩は傾きかけた。先祖伝来の貴重な器が蔵から運び出され、商人の手によって金品へと変えられた。もっともそれは焼け石に水で、治昭は得た資金で磁器を買ってしまう。苦境は続き、家臣らの間でこそこそと陰口が囁かれるようになる。  治昭が磁器を生み出そうとしたのは理の当然だった。磁器を藩直轄の工房で製作し、上質の品は蒐集品に加え、残りを外国に売ればいい。噂によれば柿右衛門はヨーロッパの貴族らに好評を博しており、藩の財政はそれによって潤っているという。ならば、この蜂須賀治昭の眼鏡にかなう品さえできれば、喜んで買い手が現れるだろう。彼は簡単にそう考え、商人に陶工を用意するよう命じた。いかな彼といえども職人なしで磁器ができるとは考えてなかったのだ。商人は平伏したまま答えようとしない。怪訝に思っていると、やがて商人は意外な言葉をしぼりだした。 「陶工は各藩が厳重に囲いこんでおりますれば、顔を見るのさえ難しゅうございます。それがしが見るのは窯元の番頭くらいでございます。恐れながらそのお役目、それがしに与えてくださらぬでしょうか」 「そのほう、磁器が焼けると申すか」 「それがしは陶工ではございませぬ。しかしながら長年の商いにおいて、少しずつ、目耳に貯えた知識がございます。人は多少のことであれば口を滑らせるものです。窯元の番頭も砂一粒くらいの秘密であれば気安く口にいたします。しかしたとえ砂であっても集めれば小山ほどにはなりましょう」 「しかし砂山では心もとないのう」 「そこは治昭様の幅広い見識によってお力添えをいただけたらと考えておりまする」  商人だけに口はうまいものだと彼は思った。それでも悪い気はしなかった。職人は気難しいものだ。着物や刀を注文しても望み通りには運ばない。材料が足らないだの実用的ではないなどと、気づかないくらい遠回しに仄めかしてくる。彼にとってはそれが我慢ならない。幾人かの首をはねたのは癇癪からだ。もったいない、殺すのではなかったと思えど、後の祭りだ。それを思えば、こちらの言うことを聞く職人は理想的ではないか。考えるほどに妙案だと思え、治昭は口元をほころばせた。 「いいだろう。だがそなたはなぜ陶工になろうとする。理由を申せ」 「一つ所に留まらぬ暮らしには倦んだのです」商人は枯れた声で言った。「どこかで腰を据えて仕事したいというのが、それがしの永年の願いでありました」  商人は陶工へと鞍替えした。男の名が市之助であるのを、そのとき彼はようやく覚えた。村の一角に家を与え、城内に通うよう命じた。  最初に手をつけたのは窯だった。大谷村に藩直轄の窯を築くと、ほうぼうに声をかけ瀬戸内の陶工をかき集めた。磁器を扱った経験者は一人もいなかったが、陶器に関しては熟練していた。市之助は陶石、ヨーロッパでいうカオリンを大量に仕入れてきた。これこそが磁器を生み出す中心の材だ。これに石灰と水を混ぜて成形し、高温で焼成する。調合に関しては秘中の秘であり、市之助も全容を知らなかった。たばかられたかと思いながら、どうするつもりか問いただした。きちんと答えなければ抜刀する心持ちだった。治昭の内心を知ってか知らずか、市之助は間延びした声で秘策があるのですと顎を撫でた。 「殿も着物をあわせるとき、いくつもの布地を当てて試すものでありましょう。柿右衛門の赤を出すときにも同じようにいたします。焼く前と後では色味が変わりますので、調合を変えた顔料をいくつも塗って、どのように変化するのか実験いたします。カオリンも同じように扱います。カオリンの調合をいくつか試すのです。ひとつはカオリンのみ。ひとつはカオリン一に対して石灰を四とする。同様に、石灰を五、六、七、八、九と変化させ窯で焼きます」  高熱に耐えたのは七、八、九のみだった。ここからさらに七から九の間で十段階にわけ、成形のしやすさ、縮みの具合、硬さ、艶を見分し、最適なものを導き出す。色も同様に試し、顔料の選別、上薬をかけるかかけないか、色味と絵柄などを細かく研究した。一年はあっという間に過ぎてしまった。市之助がその間に書き溜めた記録はあまりに膨大で、その整理に専門の書記をつけなければならぬほどだった。  どうしてそこまで書き記すのか聞くと、愚かだからですと市之助は答えた。人は己の愚かさに気づくことはできません。しかし、これを記述することはできます、と。 「書き記したからとて、愚かさは変わらぬであろう」 「そうでありますが、書いておけば、一年後か二年後、あるいは十年後に読み返し、己が度し難い愚か者であったかを知ることができます。書いておかねば、気づくこともできません」 「そういうものかの」 「人は自分の失敗は覚えてはいても、いつかそれを否定します」 「どうやって」 「だんだんと、以前から失敗するに違いないと予測していたと、そのように考えてしまうのです。自らを欺いてまで自らを守る。やがて愚かではなかったと言いたいがために、何もかもを否定するようになります」 「なんと愚かな」 「そうです」市之助はうなずいた。「人は、と申しますか、それがしはそういうところがございます。それが怖いのです」  窯元の立ち上げは異常なほど時間がかかり、やることは山積みだ。図案の作成、形の徹底、彩色の良しあし、宣伝、販路の開拓、そのすべてに治昭は直に目を通し、あるいは現場に立ち合い、公式非公式を問わず持てる力をつくした。その甲斐あって窯から出した大皿の出来は目を見張るものがあった。問題が起きたのは、いざ出陣という最中だった。ザクセンの貴族が値段を下げるよう交渉してきたのだ。 「どういうことだ」  使者の首を刎ねる勢いで治昭は詰問した。紙のように白くなった使者はしどろもどろになって、他の藩との交渉があった模様だと答えた。横やりに入ったのがどの藩かは突き止められなかったという。  当時、ヨーロッパではすでにマイセンが国営の磁器を販売していた。加えて、各藩がこぞって磁器制作に乗り出したため、需要と供給の均衡が崩れ始めていたのだ。こうした値下げ交渉に巻き込まれたのは、ただ治昭一人だけではなかった。濁流のようにうねる流れの中で、値下げに応じる藩と応じられない藩とがあり、浮き沈みが決まった。阿波の国は後者だった。主たる原材料であるカオリンの入手に大金をはたいていたからだ。 「こうなることはわかっていたではないか」  市之助を奥座敷に呼びつけ、治昭は鞘に手をかけたまま問い詰めた。市之助は唇を噛み、一言も発しない。あれほどの苦労が水の泡になるのかときつく問うても黙ったままだ。鞘尻で突くと、そのまま蛙のようにひっくり返った。 「安うせい」治昭は怒鳴った。「他の藩よりも一分でもよいから安くするのだ。よいな」 「それが治昭さまのお望みならば」  座り直して答えた市之助を足蹴にした。鼻血を流して倒れた市之助に、いいからやれと言い捨てて部屋を後にする。臍を噛む思いに顔が歪んだ。口惜しくてならなかった。あんな輩に、藩の命運を託した事業を任せるべきではなかったのだ。  三日後に廉価版の皿が届いた。赤の顔料を減らし、黄色は使わず、皿も小ぶりだった。美しくない。それでも利益を出すためには支出を削るほかなく、己の命じたこととはいえ、よりにもよってこんな醜悪な皿を出してくる市之助が憎かった。きっと当てつけに違いない。そのくせ遠回しにもっと気長に取引先を探すよう訴えてくる。首を刎ねなかったのはうんざりしたからだ。このまま違う相手を探したとして、また値下げを持ちかけられる可能性は高い。同じことの繰り返した。だったらまずは醜悪な皿で利益を確保し、そののちに気長な勝負をすればいい。  すでに藩は火の車なのだから。  ごうごうと燃え盛る音が聞こえるくらいに。  三百枚の皿を安く仕上げ、無事に異国へと送り出したのは、三年目の春だった。納期を伸ばしに伸ばした末の船出だった。無事にヨーロッパ大陸についたとの知らせが届いたときには、疎遠になっていた市之助と酒の席を設けた。久しぶりに腹蔵なく語らいあい、治昭はよく笑った。  翌日、一日遅れでヨーロッパから次の知らせが届いた。交渉は決裂、皿は持ち帰らねばならぬという内容だった。理由は品質があまりに劣悪だから、というものだった。  治昭は裏庭に市之助を呼びつけた。こんな羽目になったのは、一介の商人ごときが畑違いの仕事に首を突っ込んできたからだ。言葉巧みに人を操り、私腹を肥やそうとした。その罪は計り知れぬほど重い。治昭は待つ間、私室にて過ごした。小一時間ほどしてから市之助が到着したという知らせが届いた。  裏庭に向かうと、市之助は地面に正座していた。髪は乱れ、着衣は崩れている。背筋だけは伸びていて、まっすぐに治昭を見つめてくる。落ち着いた、静かな目をしていた。何かを覚った目だと彼は思った。  そばまで歩いて、傍らに立っている梅の木を見上げた。すでに花の盛りは過ぎていて、黄緑色の若葉が日差しに透けている。風は穏やかで、遠くから城下町の音がさざ波のように聞こえてくる。澄んだ空気を吸って、治昭は目を閉じた。それから心を決めると瞼を開き、市之助を見据えた。  市之助は黙ってうなずくと、両手を地面につき、顔を伏せて首を差し出した。 「お前を待っている間」ぽつりと治昭は言った。「日記を読んでおった」 「日記、でございますか」  顔を伏せたまま市之助が言う。そうだと治昭はうなずいた。 「せんに、お前が申したであろう。自分の愚かさは書いておかねばわからぬと。あれが妙に耳に残ってな。あれやこれやと書き留めておったのだ。のう、市之助」  治昭はしゃがんで市之助の肩に手をかけた。 「こたびは残念であった。余も期待しておったのだ。入れ込んでいた。過去の自分がそう書いておった。あやうく」声を震わせて続けた。「あやうく愚かさをお前に押しつけるところであった」 「殿、それがしは……」  黙れと一喝し、市之助を立たせると、また商人に戻れと言って背を撫でた。市之助はそれを聞くと脱兎のごとく逃げ出した。後も見ずに走り続け、あっという間に見えなくなる。取り残された治昭はしばし呆然とした後、声をあげて笑った。まったく、と思った。逃げずともよいではないか。  治昭の磁器への執着は三年をもって終わりを告げた。しかし大谷村の窯は消えなかった。天明四年に連房式登窯として炎から飛び立つ朱雀のごとく蘇り、現在まで続く大谷焼の礎となった。  阿波の国を出た市之助が、その後、佐賀藩の陶工として雇われたとの噂はあるが定かではない。  嘘八百かもしれない。
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