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翌朝、洗面所からリビングに戻ると、ちょうど部屋から出てきた空と鉢合わせした。
当然だ。同じ部屋に住み、出勤時間だって大差ないのだ。けれども、万優は少し驚いただけで、すっ、と視線を外した。
「おはよう、万優」
背中に声が掛かる。
「ん……おはよ」
顔を会わせることなく、そのまま答えた。
「ここのとこ早いんだな」
背中に、視線を感じる。けれど、万優は振り返ることもなく、リビングのテーブルに置いていた腕時計を嵌めた。
「……まあね」
呟くように答えると、空のため息が聞こえた。
「万優、とりあえず目見ろよ」
少し鋭い空の声。それでも万優は顔を挙げることが出来ずに居た。ただ、怖かった。
「おい」
空が、ぐい、と腕を掴む。万優はその拍子に顔を挙げた。
空と視線が絡む。
「か、なた……」
二日ぶりに、顔をまともに見た気がする。
こんなに近くで、それも、こんなに切ない表情を。
「万優。とにかく、話そう」
「話すことなんか、ないよ……」
万優が目を伏せると、ダイニングに放置していたスマホが着信を告げる。
「はい」
空の腕を振り切り、万優がそれを掴み取る。
『おはよーさん。下に着いたで』
「あ、わかった」
万優は、映からの声にそう答えると、上着を持って、歩き出した。
「万優、待てよ!」
「もう出なきゃ」
玄関で再び腕を掴まれた万優が、その手を解く。
「だったら、少し待て。車、出すから」
「いい。大丈夫だから。……行ってきます」
ドアを開け、空を見返ることもなく部屋を後にした。
閉まったドアの音は、万優の拒絶の音に聴こえた。
「……万優……」
解かれた右手を軽く開いて見詰める。
触れることさえ、拒絶されてしまった。何が不満なのか、何がいけないのか、見当もつかない。だから、話し合いたい、万優の話を聞きたい。受け入れる覚悟はいつでもできているのに話してさえ、くれない。
「どうすりゃいいんだよ……!」
空は、玄関の壁に拳をぶつけた。
痛いのは、その手より、心。
空は、ため息をついてリビングに戻った。ベランダ窓に寄り、外を見下ろす。
万優の後姿が見れる、そう思った。
でも、見えたのは全く違うものだった。
見知らぬ車。笑顔の万優。
慣れた様にドアを開ける手。助手席に滑り込むしなやかな体。
――イマノハ、ナンダ?
思考回路が追いつかない。
空はただ、万優を乗せて走りだす車を目で追うことしか出来なかった。
まずい、まずいぞ……そう、心の中で警鐘が鳴っている。
ただひたすらの焦燥感、それだけが空を満たしていた。
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