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「……深春か」
インターフォンの音に空は弾かれたように玄関へ向った。
ドアの向こうには、期待した人は居なかった。おかげで、ため息と共に、目の前の人物の名を呼んでしまった。
「不満そうね」
深春は、そのまま聞き返したい表情で、その言葉を口にした。
「……何か用か?」
「万優くん、居ないんでしょ? 食生活、困ってないかと思ってね」
深春は、手にしていたスーパーの袋を軽く持ち上げた。
万優が出て行ってから二日経っている。同じ空港内に居るというのに、すれ違うことすらない。声も、メールの文字ですら……万優を感じることなど一度もなかった。
正直、そろそろ堪えている。
「どうして、知ってる?」
「あ、訓練生に聞いたの。噂してるのを……たまたまね」
深春の答えは、半分真実で、半分は嘘だった。
訓練生が万優の調子が悪そうだ、と話しているのを聞いて、話しかけたのだ。どうやら、事情があって自宅に戻っていないと。
その先は、深春の勝手な想像にすぎない。
「……でも、別に食生活は困ってない」
「そう?」
「大体、万優とは食事は別で……」
そこまで話して、空はふと、思い返す。
確かに、別々に食事を摂る事が多かったが、食卓には、何か用意されていなかっただろうか。炊飯器には、炊かれた飯が入っていて、鍋には具の多いスープが入っていた。
そうか。そうだった。
嫉妬なんか、してる場合じゃなかったんだ。それ以前に、寂しい思いをしていたのは万優だ。蔑ろにして、放っていたのは……こちらだ。
「深春、俺……」
「万優くん、探しに行くの?」
「……え……?」
「ねぇ、そんなに大事? 親友の彼が、そんなに心配?」
深春の鋭い目が、空を射る。
空は、眉を寄せ困惑顔を深春に向けた。
「どういう意味だ?」
「……親友じゃないんでしょ? 恋人って、言い方が正しい?」
「深春……」
「私は、空が好きよ。万優くんと空が親友なら、恋人にもなれるって、可能性はあるんでしょう?」
「……ないな」
「じゃあ、はっきり、言いなさいよ。私は真剣よ。なのに、誤魔化すの? 適当な言葉で、あしらうの?」
深春の言葉に、空がぐっ、と手のひらを握り締めた。ひとつ息を整えると、しかつめらしい顔を向けて呟くように言葉を発した。
「万優は、俺の大事な存在だ。恋人だ」
「……不毛ね」
深春は、すぅ、と息を吐いて呟いた。
「辿り着くことのない恋愛なんて、ただのゲームだわ」
「――そう思うか、深春」
深春としては、辛辣な言葉を投げつけたと思っていたようだが、空はあっさりとそれを受け止めた。
「思うわ。私となら、誰からも祝福されるわ。次の世代を育むことだって出来る――そうでしょう?」
「祝福なんて、いらない。互いが居ればそれでいいとしたら?」
軽く首を傾げる。さらりと揺れた前髪を見て、深春は視線を外した。その顔が赤くなっている。
「そんなの、エゴよ。ただの自己満、自己解決」
俯いたままの深春が答えると背後からインターフォンの音が響いて、深春が、びく、と体を震わせた。
一方の空は、ドアに向って直接はい、と声を掛けた。
『……俺。深春、来てるだろ?』
虎珀の声だった。
みるみるうちに、深春の顔色が赤から青へと変わっていく。
「……つけられたんじゃないのか? もっと背後注意して歩けよ」
小さく呟くと、空は深春の体の脇から腕を伸ばしてドアを開けた。
「今日は客が多いな」
開けてから、虎珀の顔に呟くと、彼は鼻で笑った。
「自業自得、そうだろ?」
「……とにかく、中にどうぞ。お二方」
言葉には答えず、空は言った。
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