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「どうした? 万優。着いたで」
万優は、映のその言葉で、マンションの傍に停車したことに初めて気がついた。
「あ、うん……映」
「ん?」
「一緒に……来てもらえない、かな?」
遠慮がちに言いながら映を見上げると、その顔が難しそうに歪んだ。
「俺が行っても邪魔になるだけやと思うよ」
「邪魔なんかじゃないよ。一人で、帰る勇気ないんだ」
「空くんかて、もう殴ったりせえへんと思うけどな」
「わかってる。わかってるけど……」
万優がじっと映を見つめる。映は一つため息を吐いた。
「部屋までやな」
「……ありがとう」
万優が言うと、しゃーない奴やな、と笑いながらエンジンを切った。
部屋へ入ると、しん、と静かだった。人の気配はしないのに、玄関には見慣れない靴があった。一足は、女性のもののようだ。
リビングへ続くドアを開けると、空以外に二人の人物が居た。
その異様な様子に映が、え、と驚く。万優も同じ気持ちだった。どうしてここに二人が居るのか分からない。しかも遊びに来たという雰囲気はまるでない。
「来たな。あれ、確か……」
虎珀が万優を振り返って、すぐに視線をその後方へ向けた。
「えっと、虎珀くん、やったよね?」
「ああ……あ、映」
虎珀が記憶の糸を解いて、笑顔を向けた。
「うん。どしたん? みんな、揃って」
立ち尽くしたままの映が虎珀を見詰める。ソファに座ったまま振り返った虎珀が答えた。
「万優を呼んだのは俺なんだ」
虎珀の言葉に、万優は息を呑んだ。どうして呼ばれたのか全く見当がつかない。
「俺は、コイツここまで送って来てん。なんや……空くんと仲直りの話って訳やないの?」
映がちらり、と座ったまま俯く空を見やる。万優も映と同じ気持ちだった。これは一体どういうことなのだろう。
「空……」
万優がそっとその名を呼ぶ。目では、説明してよ、と訴えた。
空は、万優の目を見返すとひとつ頷いてから口を開いた。
「……まず、この間のこと謝るよ。ごめん。ホントに酷い事したと思う」
「うん。わかってくれればいい」
万優が頷く。空がしっかり考えくれたらそれで良かった話なのだ。こちらにも、非がないわけではない。
「ほな、俺は帰るな。仲直りしたみたいやし」
「あ、映。もう、少し」
万優がそっと、映の腕を取る。いつまでも張り詰めた空気のこの部屋に突然放り出されるのは心細かった。
けれど映はその手を解いて、笑いかけた。
「もう、大丈夫や。空くん居るやん」
その笑顔に万優は、すっ、と胸の痞えが取れた気がした。そうだ、空が居る。誰よりも頼りになる人が居るのだ。万優はゆっくり、うん、と頷いた。
「ほな帰るで」
映が玄関へと歩き出そうとした時、その背中に意外な言葉が掛かった。
「なるほどね。映なんだな、万優」
「え……な、にがですか?」
虎珀の意味の解らない言葉に、万優が聞き返す。
「だから、万優が付き合ってる相手」
「なっ、何言ってるんですか! 虎珀さん」
驚いて、慌てて否定する。
けれど、虎珀は、振り返った映に目を向けていた。
「さしずめ、空に恋人役でも頼まれたんだろ、万優。でも、実際に恋人である映は心配でここまでついて来た……違うか?」
「何の話ですか? 映は友達です。空からも、何の話もされてません」
「ほんまや。俺も万優もさっきの電話で初めてこっちに向ったんや。それに、万優はホントに友人や。万優のことはかわゆー思っとるけどな、友達以上の関係になんてなりたないよ」
やっぱり女の子やろ、と映が笑う。
「……ホントか?」
虎珀の真剣な目に、映も万優も頷いた。
「だったら、万優。空とは?」
「空と……?」
万優は思わず空に視線を合わせてしまう。空は、ただ万優を穏やかに見詰め返していた。
「空は、お前と付き合ってるから深春のことは、何とも思ってないって言うんだ。俺は、それが俄かに信じ難くて……で、万優を呼んで貰った。真実を聞かせろよ」
「それは……」
虎珀は、ゆっくりと立ち上がり、万優を見詰めた。詰問されているようで、万優は視線を泳がせた。真実を告げるべきなのか、戸惑う。
深春に視線を逸らすと、ただ足元を見詰めていた。空も俯いたままだ。
映の視線も背中に感じる。
口の中が乾いていく、感覚。絞った唾をごくりと無理矢理飲み込むと、喉がひりひりと痛かった。
「……ホントのこと、言ったらええよ」
後ろから、静かに声が響いた。
「映」
驚いて振り返ると、映が頷いて言った。
「何言っても、嘘をつけばいつかバレる」
「うん。虎珀さん」
万優はまた、虎珀に向き直った。ぐっと両手を体の前で組み、握りしめる。
「空の言うとおりです。俺は、空が好きです。深春さんが空のことを好きだってことも、本人から聞いてました。――空」
万優は一度言葉を切って、空の目を探した。視線が合うと、少し口角を上げ、言葉を繋ぐ。
「ごめんね。俺、知ってたんだ。知ってたから……何も言えなくて……」
言うと、空はゆっくりと首を振った。
「俺こそ、忙しさにかまけて無神経なことばっかりしてたよ。今日だって、こんなこと言わせて」
万優は、その言葉にかぶりを振った。
「映。俺は、こういう人間だよ――軽蔑、した?」
唖然としていた映に、万優は問う。笑顔のままで聞けた。真実を口にして、もしかしたら返って楽になったのかもしれない。
「いや……せえへんよ。真剣に想いあっとる奴らに性別なんて関係ないやん。軽蔑する奴らを軽蔑するわ」
「ありがと、映」
にっ、と笑顔を作った映に、万優は瞳に溜まった涙を袖口で拭いながら頷いた。
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