幕間6 一方その頃勇者は

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幕間6 一方その頃勇者は

 ギュードリン自治区の魔王城にて祝宴が開かれているのと、ほぼ同じ頃。  伝書鷹(レターホーク)によって自治区からもたらされた書類を開いたグラツィアーノ帝国 国立冒険者ギルド本部のスタッフは、椅子を蹴って立ち上がった。 「ギルドにいらっしゃる皆さん、通達! 緊急の通達です! その場でお聞きください!」  張り上げられた大声に、ギルドの中にいたすべての冒険者が、スタッフが動きを止める。そして立ち上がったスタッフは、震える手で書類を見ながら、叫ぶように発した。 「後虎院の一人、『血華』アルビダ・ヘーフェルス……撃破!!」 「「わぁぁぁぁーーーーっ!!」」  次の瞬間、割れんばかりの歓声がギルド本部を包む。ここが帝都グラツィオの中心街にある、分厚い石レンガに覆われた建物でなければ、この歓声は建物の外まで溢れ出していたことだろう。  だが、当然だ。何しろ魔王軍の最高幹部が、一人命を落としたのである。それも、『闇の奏者』ドロテーアとは異なる方向性で不死性を誇っていたアルビダが、である。  このギルドの中で依頼を物色していた、「白の天剣(ビアンカスパーダ)」もまた、歓喜と驚愕に震えながら、ナタリアが上ずった声を上げる。 「アルビダが……死んだ……!」 「やったな、これで獄王の軍勢にも大打撃を与えられたはずだ」  イバンも明らかに嬉しそうな表情になって、ナタリアの肩を優しく叩いた。そのナタリアもこれについては文句をつけることも無く、非常に嬉しそうに笑って振り返っている。  そこからはもう、ギルド本部はお祭り騒ぎだ。併設の酒場ではエールが飛ぶように売れてあちこちの席で乾杯をしている。カウンター周辺にいた冒険者達は示された書類を見ようと、そちらに殺到していた。 「誰!? 誰がアルビダを()ったの!?」  ナタリアも依頼票を手に握ったまま、事務受付カウンターへと声を上げた。彼女だけではない、何人もの冒険者が誰が、誰がと叫んでいる。  冒険者達を制止しながら、スタッフの女性がカウンターから外に出た。 「掲示します! それと、物見鳥(リトルバード)から受信した映像を魔物出現ボードに表示します、併せてご覧ください!」  クエストボードに掲示される、アルビダ撃破にかかる書類。それと同時にギルドの魔物出現ボードの映像が切り替わり、現地の物見鳥(リトルバード)が撮影した明細画(めいさいが)を何枚も映し出した。  書類を見るより、明細画を見る方が早いし、遠くからでも見える。冒険者達の半数以上は魔物出現ボードに群がった。 「おお……っ!」 「マジかよ……!」  口々に上がる歓喜と驚き。ぴょんぴょんと飛び跳ねながらなんとか自分も明細画を見よう、としていたナタリアは、それに映っていたある人物の姿を見て、文字通り絶句した。 「っ……!?」  ナタリアが目にしたのは冒険者達の姿を上空、森の木々の切れ目から映した映像だ。  大半どころか、ほぼ全員が魔物の冒険者だ。ギュードリン自治区の冒険者に違いないし、周辺の木々を見ても自治区周辺か、あるいは自治区の中であると見られる。  だが、その中に一人だけ人間がいるのだ。銀の毛に身を包み、青い宝玉の瞳を持った、狼の着ぐるみ(・・・・・・)を身にまとった、人間が。 「あれ……あれは……!!」 「ほう……」  誰あろう、『着ぐるみの魔狼王』ジュリオ・ビアジーニである。そもそも特殊(レア)ジョブで冒険者としての登録人数が少ない着ぐるみ士(キグルミスト)。その中でも後虎院(ごこいん)と相対することのできる高ランクの着ぐるみ士(キグルミスト)など、ジュリオ以外にはいるはずもない。  問題は、「後虎院撃破を(・・・・・・)成し遂げた冒険者(・・・・・・・・)」に、ジュリオがカウントされている、ということだ。  問題の明細画を目にしたイバンも、レティシアも、ベニアミンも、マリサも、信じられないと言わんばかりに声を漏らした。 「ジュリオさん、ですね……」 「一緒にいるのは、あれは『砂色の兎(コニーリョサビア)』のマルヨレイン殿か?」 「『岩石の翼(アリディロッキア)』のライニールさん、『雪中の狐(ヴォルペネーヴェ)』のシェルトさんもいますわね……」  『砂色の兎(コニーリョサビア)』、『岩石の翼(アリディロッキア)』、『雪中の狐(ヴォルペネーヴェ)』、そして『双子の狼(ルーポジェメリ)』。なるほど、いずれもその実力には疑いようがない。彼らならもしかしたら、やってのけることもあろうと誰もが思っていた。  だとしてもだ。 「17人、とはな」  そう、僅か「17人」で、彼らはやってのけたのだ。ジュリオの従魔であるアンブロースとティルザを数えてそれなのだから、冒険者だけで見れば15人。たったこれだけの人数で後虎院の一人を討ち取ったのだから、すさまじいまでの偉業である。  周辺の冒険者達もにわかには信じられないようで、いつまで経ってもざわめきが収まらない。レティシア、イバン、ベニアミン、マリサの四人も、顔を見合わせながら言葉を交わしていた。 「信じられません……そんな人数で、撃破を?」 「確かに、あのアルビダを撃破するとなれば、少数精鋭が最適解だ。だが……本当にやったのか?」 「いや、ギュードリン自治区の冒険者ならあり得ます。あそこなら……」  彼らなら、自治区の魔物達なら、もしかしたら不可能ではないのかもしれない。そして彼らに匹敵するどころか、神魔王にすら並ぶ実力のジュリオなら。  と、彼らの会話に一切加わることなく、目をかっと見開いて明細画をにらむように見つめていたナタリアが、頭を掻きむしりながら絶望の声を漏らした。 「嘘よ……嘘でしょ……!?」 「ナタリアさん?」  彼女の言葉に反応したのはレティシアだった。声をかけると、急に顔を伏せたナタリアが弾かれたように走り出す。 「っ……ごめん、あたし帰る」 「ナ、ナタリアさん!?」  向かうのは一直線、ギルド本部の出口だ。周りのことなど一切無視して、勢いよく正面扉を押し開く。バタンという音が響いた瞬間、冒険者達のざわめきが止まった。  これに慌てたのは「白き天剣(ビアンカスパーダ)」の四人だ。 「ナタリアさん、お待ちになって!」 「マリサ、頼んだ! 宿までついていってくれ!」  慌てて走り出し、ナタリアを追いかけていくマリサ。彼女に大声で呼びかけながら、イバンは冷や汗をかいていた。  ナタリアは確かに強くなった。レベルも上がったし、知識も付いた。Sランクの勇者らしい強さになってきただろう。  しかしジュリオはその上を、その遥か上を行っているのだ。「後虎院撃破者(バックブレイカー)」の称号は、国家認定勇者であろうとも容易く取れるものではない。ナタリアにとって、これほど屈辱的なことも無いだろう。  彼女の心情が気がかりで仕方ないが、そちらはマリサが居ればどうにかしてくれるだろう。気になるのはジュリオのことだ。 「しかし……何故あいつが、ギュードリン自治区にいるんだ?」 「そこです、問題は」  イバンが疑問を口にすると、ベニアミンが神妙な面持ちでうなずいた。  この大陸の北の端に広がる森の中にあるギュードリン自治区の周辺には結界が張られている。そう簡単に踏み込める場所ではないし、無理に踏み込もうとしたら「門番」に攻撃されるのだ。  そんな場所に、何故ジュリオがいるのか、という疑問が尽きない訳である。 「ギュードリン自治区には、並みの冒険者はおろか、魔王軍の魔物もおいそれとは踏み込めない……でしたよね」 「そう聞いている。アルヴァロ先生は、神魔王ギュードリンに招かれたことがあると話していたが……あれはアルヴァロ先生が、友人だからだ」  レティシアの言葉にイバンもうなずく。アルヴァロ・ピエトリはギュードリンが魔王在位中から交流があったが、ジュリオは果たしてそうだっただろうか。  そこまで口にして、ふと何かに思い至ったようにベニアミンが口を開いた。 「そういえば……ジュリオさん、前にお会いした時に『魔狼王(フェンリル)になった』、と仰っていましたよね」 「はい。確か、正式に(・・・)魔狼王(フェンリル)と認められるには……巨天狼(マーナガルム)である神魔王の承認が必要、だったはずです」  レティシアも真剣な表情でうなずきながら返した。正式な「魔狼王(フェンリル)」となるための流れは、冒険者にもよくよく知られている。ジュリオは魔狼王(フェンリル)を自称していたが、そう自称するにはそれなりの根拠が必要だ。  神魔王、あるいはその息子達である三人の「魔狼王(フェンリル)」に、認められるか、あるいは縁者になるか。  イバンがそこで、苦虫を噛み潰したような表情になって言う。 「まさか……あいつは本当に、正式な(・・・)魔狼王(フェンリル)になった、のか?」 「ということは……神魔王ギュードリンとも、繋がりが出来たと?」 「そのまさか……かもしれませんね。そうであれば、ギュードリン自治区にいたことにも説明がつきます。魔狼王(フェンリル)承認のタイミングで、アルビダが攻めてきたのであれば……」  そう、可能性があるとしたらそのルートだ。  正式な魔狼王(フェンリル)になるためにギュードリン自治区に向かう、あるいはアルヴァロあたりを経由してギュードリンと知り合い招かれる。そして認定の儀式が行われている最中に、アルビダが攻め込んできて、ちょうどそこにいるから、と戦場に駆り出され、撃破する。  考えられる流れとしてはそれしかない。そしてそれは、ジュリオ・ビアジーニが新たな、正しく人外(・・)の域に達したことを示す称号を手に入れてしまったことになる。  三人は深く、深くため息を吐いた。もう、ナタリアが何を考え出すか、分かったものではない。 「……まいったな」 「はい……どうしましょう」 「ええ……ナタリアさんが、荒れなければいいんですが」  心配になりながら、三人は肩を落として魔物出現ボードの前を離れた。マリサがナタリアに追いついていて、彼女を落ち着かせていることを願いつつ歩き出す。  そして三人の心配は、悪い方向で的中していた。帝都の街路を一心不乱に走るナタリアの向かう方向は、どう考えても宿泊している宿のある方向ではない。  なんとか離されないよう追いかけて、ナタリアが路地へと入っていくのを見計らい、マリサはナタリアを呼び止める。 「ナタリアさん!」 「っ、マリサ……」  足を止めて振り返ったナタリアは呼吸も荒く、肩を大きく上下させていた。だがそれだけではない、その瞳は涙に濡れ、明らかに正気の目をしていなかった。  ゆらり、と身体を揺らして振り返り、マリサに向かい合ったナタリアは、崩れるように彼女の両肩に手をかけた。 「ねえ、マリサ教えて。あたし、どうしたらいいの?」 「ナタリアさん……」  マリサのローブの胸元に、顔を埋めるようにしながらナタリアは呻いた。その声は、明らかに泣いている。 「あいつには負けたくないって思ってた……もっと強くなって見返してやるんだって思ってた……」  肩を震わせ、声を震わせ、涙をこぼしながら絞り出すように声を上げるナタリア。その顔が、憤怒(ふんど)の形相になって不意に上げられる。 「なのに、何よ、この差は!?」  それは激昂だった。心の底から吐き出される怨嗟(えんさ)の声だった。  レベルが追いつくことは到底ないにしても、多少は距離を縮めていると思っていたのに。距離を詰められないどころか、一気に放されてしまったのだ。国家認定勇者の称号が、完全に形無しである。  いつしかナタリアの両手はマリサのローブの胸元を掴んでいた。そのまま、誰にぶつけようもない怒りを、彼女はマリサにぶつけていく。 「まだ足りないっての!? あたしは前よりずっとレベルが上がった、力もつけた、なのにまだ足りないっての!?」 「ナタリアさん……!」  ローブの胸を掴まれたまま身体を揺すられ、マリサが悲痛な声を上げた。  これが勇者の姿か。これが国家を代表する冒険者の姿か。人々の憧れか。旗印か。  す、とマリサの瞳から色が消える。うすら寒さすら覚えるような目をしながら、マリサはナタリアの手に自分の手を重ねて言った。 「……もう、こうするしか(・・・・・・)ないのかもしれませんわね」 「……マリサ」  信頼を寄せていたマリサの言葉に、ナタリアが手を止め、口を止める。  ジュリオ・ビアジーニの打倒。それを彼女に達成させるには。  マリサはナタリアに顔を寄せた。囁くように、他の人間が盗み聞くことがないように、声を潜めて彼女に言う。 「ナタリアさん。ジュリオさんは人間を辞めて(・・・)魔狼王(フェンリル)になりましたわ。あの規格外のステータスは人間では成し得ないものです。そうですわよね?」  マリサの言葉にナタリアが目を見開いた。  魔狼王(フェンリル)(ウルフ)を、魔獣種の魔物を統率する魔物の王だ。魔物を統べる立場に人間のままで就くなど、あるはずがない。あっていい(・・・・・)ものではない(・・・・・・)。  マリサは暗に問うた。「ジュリオ・ビアジーニ(・・・・・・・・・・)は人間なりや?(・・・・・・・)」と。 「そう……そうよ、そうよ! なら、それなら……!」  ナタリアが真理を得たとばかりに声を上げる。その声に、マリサはいつもの、うっすらとした微笑を浮かべた。  そのままマリサが、ナタリアの背中に手を添える。彼女達が進むのは宿の方ではない、帝都の裏路地、その奥。 「どこか、落ち着ける場所を探しましょう……二人きりなら、人目を気にする(・・・・・・・)こともないでしょう?」  再び囁くように告げながら、マリサはナタリアを伴って裏路地へと消えていく。次に彼女達が宿泊する宿屋のエントランスに戻るまで、二人の行方は誰も知らなかったという。
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