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第57話 着ぐるみ士、魔物の町に入る
ギュードリン自治区の中には、大きな城がそびえ立っている。その城の周りを取り囲むようにして、城下町が作られている。
あの城がギュードリンやその配下が暮らす城、というわけだ。
その城下町を取り囲むように作られている塀の前には、二人の門番が立って槍を掲げている。当然、どちらも魔物だ。俺は狼化したままだからか、彼らが俺を見て何を言うこともない。
「魔王閣下、おかえりなさいませ!」
「おかえりなさいませ!」
「うん、ただいま! 私がいない間、なんともなかったかい?」
豹獣人の門番と、黒豹獣人の門番がそれぞれ声を上げると、ギュードリンがにこやかに笑いながら声をかけていく。魔王の言葉に、二人の門番はそっと視線を交わし合うと、困ったように首を傾げた。
「なんともなくは、なかった模様です」
「区長閣下に情報が集約しておりますことでしょう、ご確認ください」
「分かった、ありがとう」
彼らの言葉とともに、交差していた長い槍が戻されて道が開く。
塀に設えられた門をくぐり、町の中に入る。人気のあり、活気のある街の間を進みながら、俺は先をゆくギュードリンに問いを投げた。
「区長閣下? ギュードリンさんがトップじゃないんですか?」
「ねー、おばあちゃんが一番偉い人だと思っていたのに」
俺と一緒にリーアも不思議そうな表情をしながら言う。彼女はギュードリンの身内なのだからある程度の事情など知っていそうなものだが、まだ幼い彼女には行政の細かな仕組みなど、分かっていなかったのだろう。
こちらを振り向きながらギュードリンが口を開いた。
「私が一番偉いことに変わりはないんだけど、私はどうしても実務とか細々した仕事が苦手だからさ。ギュードリン自治区の区長には、シグヴァルドに就いてもらっているんだ」
そう話しながら眉尻を下げるギュードリンだ。なるほど、実質的なトップはギュードリンだが、立場上のトップを別の人間に任せているわけだ。
聞けば、ギュードリンが魔王に就任していた頃から、細々した仕事や雑務は後虎院に任せていたそうで、ギュードリン自身は魔物と人間の間を取り持つことや、発生するトラブルの解決に邁進していたらしい。彼女らしい話だ。
アンブロースがふんと鼻を鳴らしながら説明を行う。
「シグヴァルド殿は『北の魔狼王』の称号をお持ちの、れっきとしたフェンリルだ。ルングマールの兄の一人でもある」
「ああ、元々後虎院の一員だったっていう」
彼女の言葉に俺が納得するように頷くと、俺の頭に乗っていたティルザが不意にばさばさと翼を羽ばたかせた。
「チィ!」
「ん? どうした、ティルザ」
「んん?」
突然のさえずりに俺が足を止めると、ギュードリンもこちらを振り返って足を止めた。ティルザはというと、ちょうど真横に伸びた路地の方に顔を向けながら、しきりにさえずっている。
「チィチィ!」
「あっち? あっちに何か……」
随分と路地の方を気にしているらしい。俺が路地の方に足を向けると、ギュードリンがはっとした表情で路地に足を向けた。
「ん、待てよ。ジュリオ君、ちょっといいかい、付いてきて」
「え、はい」
そのまま彼女は俺の手を引く。言われるがままに付いていくと、だんだんと状況が飲み込めてきた。
路地で、子供がいじめられているのだ。
「このやろー!」
「お前なんか、父ちゃんが偉いからって、何も出来ないくせにー!」
「くっ……」
しきりに蹴ったり殴ったりしている方はドラゴンの子供、そしてタカと思われる鳥人の子供の二人だ。対して痛めつけられ、うずくまって血を流しているのは狼の子供と思われる。
やはりというか、子供たちも全員魔物だ。しかし血を流すほどに痛めつけるとは、穏やかではない。
「子供?」
「魔物の子供たちだな。だが、あの様子は穏やかではないぞ」
俺が目を見開くと、アンブロースも苦々しい表情をして言葉を漏らした。このまま放置しておくのは流石に寝覚めが悪い。
だが、俺たちの誰よりも先に動き出したのはギュードリンだった。さっと前に進み出ると、殴る蹴るとしている子供たちの手首を掴む。
「アダムにクルト、そのへんにしときな! マルクが怪我をしているじゃないか!」
「あっ……」
「ま、魔王様……」
魔王の登場に、アダムと呼ばれたドラゴンの子供と、クルトと呼ばれた鳥人の子供が一気に青ざめた。流石に、こんな子供の喧嘩に魔王が割って入ってくるとは思わなかったのだろう。
マルクと呼ばれた狼の子供の傍に寄り添いながら、ギュードリンはなおも子供たちにきつく物申す。
「いくらマルクの父ちゃんが元後虎院の直属だったからって、マルクが何もしていないと思っているのかい!? マルクは毎日、訓練を欠かさずに頑張っているんだ、お前たちが遊び半分でやっているのとはわけが違うんだよ!」
「う……」
「な、なんでそのことを……」
ズバッと切り込まれたアダムとクルトは、完全に気圧されていた。母親が出来の悪い子供を叱るような様子だが、彼らにとってギュードリンは母親のようなものだ。あながち間違いではない。
状況が落ち着いたのを見て、俺は頭に乗るティルザに声をかけた。
「ティルザ、治してやってくれ。お前なら出来るだろ」
「チッ」
ティルザが俺の声を受けて、うずくまったままのマルクに近づいていく。そして翼を一振りすると、暖かい風がマルクを包み込んだ。その風を受けて傷がみるみるふさがっていく。
「あ……」
傷が癒えていくのに、マルクが声を上げた。対してアダムとクルトは目の前にいるティルザに驚きを隠せない。
「フェ……フェニックス?」
「嘘だろ、なんで……それにそこにいるのって」
そう言いながら、二人が俺へと目を向けてくる。その視線には明らかに驚きが見て取れた。
まぁ、そうだろう。こんなところにウルフが、ギュードリンと一緒にいるのだ。只者でないのは間違いない。苦笑しながらギュードリンが俺の身体に手を当てる。
「私の客人だよ。人間で冒険者だけど、悪いやつじゃない」
「え……ギュ、ギュードリンさん、せっかく俺、狼化していたのに」
その言葉に俺は戸惑いを隠せなかった。ここで人間だと明かされるなんて想定外だ。せっかく狼化して魔物の町に溶け込んでいたのに。
ともあれ、うずくまっていたマルクが起き上がる。そして俺と、俺の方に戻ってくるティルザに頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
「もう大丈夫か? 気をつけるんだぞ」
礼儀正しく言葉をかけてくるマルクに、俺も鼻先を寄せる。大丈夫そうだ。
そしてギュードリンがパンと手を打ちながら、子供たちに声をかけた。
「はい、それじゃ三人とも、喧嘩は程々にしておきな。あんまり乱暴するんじゃないよ!」
「はーい!」
「すみませーん!」
朗らかにそう言いながら、アダムとクルトが路地の向こう側へと駆けていく。マルクもそれを追いかけようとして、ふと立ち止まってこちらを振り返った。
「……魔王様」
「ん、どうした」
呼びかけてくるマルクに、ギュードリンが微笑みかける。そしてマルクは小さくうつむきながら、彼女へと言葉をかけた。
「今度、俺に稽古、つけてくれますか」
その申し出に、ギュードリンがますます笑みを深くする。マルクの小さな頭をくしゃりと撫でながら、彼女は言った。
「勿論だ。しっかり教えてやるから覚悟しておくんだよ」
「……はい」
小さく返事を返して、マルクは友人二人を追いかけていく。その背中を見送りながら、俺はしみじみと言葉をこぼした。
「なんというか……子供たちにも、慕われているんですね」
「というより、ああいう子供たちが随分いるようだ、この町には……ギュードリン様、どのように?」
アンブロースもどことなく感慨深げに声を発する。子供が元気な町はいいものだ。
アンブロースがさり気なくギュードリンに問いかけると、ギュードリンは軽く首を傾けながらこちらに微笑んだ。
「この町は土地の魔力が豊富だからね。でも、魔物の生まれるペースはそこまでじゃない……これもシグヴァルドの手によるものだよ。ここじゃ魔物が殺されることはあまりないからさ」
曰く、土地の魔力は驚くほどに豊富なのだが、結界に回したりギュードリンやシグヴァルドによって使用されたりと、なにかと魔力を吸い上げて使っているのだそうだ。そうして土地から魔物が生まれる数を調整し、殺されなくてもこの町が魔物で溢れないようにしているのだと言う。
そして、ギュードリンは肩をすくめつつ俺に話した。
「そういう子供たちに、私たちは訓練をつけてやっているってわけ。サーラみたいによそからやってくる魔物もいるけれど、そういう子たちも私が鍛えているってわけだ」
その言葉に、俺は目を見開く。ギュードリンが自ら、町の魔物に稽古をつけているとは思わなかった。
未だに世界で最強の魔王の薫陶を受けた魔物。それは、強くて当然だ。そもそもがAランクだのSランクだのの魔物を、である。
「鍛えているんですか……」
「ギュードリン自治区出身の魔物が強靭な理由が、これで分かっただろう。当然の帰結なのだ」
信じられないままに言葉を零す俺に、アンブロースが呆れ顔で俺に言葉をかける。
なるほど、これはギュードリン自治区の魔物が強いのも当然だ。もしこの町の魔物が一斉に人間界に溢れ出したら、瞬く間に蹂躙されてしまうのではないだろうか。
そんな事を考えつつ、元の道へと戻る俺たちだった。
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