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後日、今度こそ、保険の契約をとろうと意気込み、田中の家に向かう。
新規顧客獲得のためであって、決してトマトが恋しくなったからではない。
相変わらず田中は短パンにタンクトップだった。
「おう、また来たか。」
違う、友達じゃない。そう思いつつも、田中のペースに乗ってしまう。
前回同様、田中が出してくれた麦茶はよく冷えており、暑さに干上がっていた体に気持ちよく、水分が浸透していく。
「どうだった?トマト?」
田中が問いかけてくる。
保険について問いかけたいのは私の方だ。だが、自分でも驚いたことに、トマトの感想を話し始めると止まらなかった。気が付くと、また収穫の時間になってしまっていた。
帰り際、また紙袋にたくさんのトマトをもらった。お金を払おうとしたが、売り場に出せないはねものだからと固辞された。
「その代わり、近くのスーパーとかにも出してるから、見かけたらうちのトマト贔屓に頼むよ。」
そう言って、田中はまた軽トラで家まで送ってくれた。私の方が営業を仕掛けられていた。
もらったトマトを消費するのに、今度は3日もかからなかった。トマトがなくなった後には再び妙な寂しさが残った。田中のトマトはスーパーにも出荷され、売られている。トマトが恋しいならスーパーに買いに行くべきなのだ。その方が彼の収入にもなる。なのに私はまた、保険の営業をかけになのか、トマト目当てなのか、彼の家に来ていた。
「いつも悪いね。仕事の話が進まなくて。」
私の顔を見て、彼が言う。
「普段、トマトとしかしゃべってないからさ、話が下手なのは自覚してるよ、ごめんな。だけどその分、言葉じゃないところはなんとなくわかる気がするんだ。桃山さん最初にここに来た時に辛そうな顔してたからさ。俺のトマト効いたみたいだな。」そう言って微笑んだ。
相変わらずの短パン、タンクトップ姿で、相変わらずずれたことを言う。私は保険の話をしに来ている。そのはずだ。だけど、相変わらず彼のペースに乗っている。
トマトは全然効いてない。それどころか、食べれば食べるほど、切なさは募るばかりだというのに。
「俺のそばにいてくれれば、いつでも好きなだけ俺のトマト食べさせてあげられるんだけどな。」
「えっ?」
思わず見つめ返した彼の顔はトマトのように真っ赤だった。
無言の二人の間に響く蝉しぐれが忘れられない。
結局その夏、私は彼から保険の契約をとることはできなかった。
代わりに翌年の夏、私は終身保険の契約をした。彼の隣で美味しいトマトをずっと食べさせてもらえるという契約を、婚姻届に署名をして。
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