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時空の交叉を認識する②
大きな狐の耳を生やした制服姿の少女。
さっきまで躯躰の人形じみた姿が表示されていたサブウィンドウに、霊獣ダキニを宿したキャラクターが現れている。霊獣躰・明神みあらか。それはプレイヤー自身の姿。
みあらかは凛とした笑顔で宣言する。
「さあ月霊學園、君の見ている世界を僕にも見せて――」
少女が周囲を見まわすと、耳がぴんと跳ね、三つ編みにした長いお下げが翻る。そのイメージが粗いドット画から立ち現れる。
ダークサイドにおいて霊獣躰を憑依させる瞬間――その感覚について、プレイヤーのひとり駿河るるはこう書いている。
――霊獣躰を選ぶとき、自分がその無数のキャラの影なんだって気がする。みんながキラキラしてて、躍動感があって、生命がみなぎっていて、その力に身を投げ出すのが憑依なんだよな。【生徒手帳ren411-54】
それはつまり変身ヒーローや魔法少女だ。
膨大な魔力。
超高速で鉤爪を叩きつけ、ダメージから瞬時に回復する身体能力。
異形の存在が跋扈し、理不尽な危険が襲いかかる月霊學園において、霊獣躰は躯躰の身ではどうにもならない限界を超えるトリックスターだ。
憑依させる条件は――不明。
あるアイテムを所持していれば、プレイヤーには窺い知れないアルゴリズムの判定のもと、いつしか画面上に鬼火のようなアイコンが表示される。それが憑依可能の合図。
公式では、そのアイコンは躯躰が霊獣躰の存在する領域に接続したことを示す、と説明されている。
「……そうやって君も僕になったんだね」
テーブル越しに僕を眺めるのはみあらかの笑顔ではなく、仮ヶ音さんの鋭利な眼差しだった。
まぎれもなく彼女が明神みあらかを創造した。そしてSS投稿機能「stories」(*2)を通じてそのキャラクターを掘り下げた。最も多くのプレイヤーに使用された霊獣躰を。その憑依回数――全プレイヤーがその霊獣躰を〝降ろした〟累計は当時すでに20万回を超えていた。
ダークサイドに集う僕たちは、ほとんどだれもがみあらかだった。
「毎日僕になるほど、気に入ったの」
頬杖をついた仮ヶ音さんが切れ長の目を向ける。いや毎日ってほどでは……などとごにょるとテーブルに置かれたプリントアウトの束がそっと撫でられた。
「や、まあそれくらいだったかもですが……」
「まあ冗談はおきまして」
冗談……。
「記録をみると灰都さん――アカウント名『プロムナード』さんは躯躰操作時間の22.1%その領域につながっています。この割合が概ね17%を超えていれば、その領域を認識しているとわたしは考えています」
「認識……ですか」
「その感覚はあったでしょう。『時空交叉』ですよ」
時空交叉。
プレイヤーたちがそう名付けた感覚を僕なりに説明すると、それは忘我の境地であり、ある種の酩酊感覚であり、そこでは普段の意識が解体され、同時にそのことが明晰に認識される。夢うつつでありながら覚醒している感覚。
ダークサイドにはその用語が次のように登録されている(*3)。
▼時空交叉(じくうこうさ)【非公式】/2012年6月8日/登録者:キタニキ
月霊學園の探索中に意識が変性する感覚のこと。日常的な意識が遠のき、その束縛から解放されるような感覚。ある種の多幸感を覚えるニュアンスが含まれることも。動詞化し「交叉する」などとしても使用される。
普段は触れることのない時空間と重なる(交叉する)といった意味合いから名づけられた。交叉すれば霊獣躰の憑依が可能になるとされ、公式設定の「霊獣躰の存在する領域と接続している状態」をプレイヤーの感覚から説明した用語といえる。
元ネタはハーラン・エリスンのSF短編小説「世界の中心で愛を叫んだけもの」から。
《来歴》
カフェテリアのログでは、初期からプレイ中に「頭がバグる」「意識がもってかれる」といった書き込みが残っているが、2012年4月にこの感覚についての雑談スレッドが盛り上がったときに提案された呼称のひとつとして「時空交叉」があった。2012年の躰乖祭における狗神ヒメミコ対天竺ニャッコ戦で言及されたのを機に広まった。なお交叉する時空間のことは、のちに別経緯で用語登録された「第四領域」と同一視された。
《関連用語》
第四領域、幽霊の径路(ゴースト・パス)、霊脈
「つまりダークサイドは、プレイヤーの認識を変化させるようつくられていると……」
「システム的な話はわかりません。ただ、かさねの世界認識をゲームとして昇華できるひとがいた、だから月霊學園が生まれたんです」
「周廻軌道さんですか」
「ええ、OGF/同位体でプログラミングを担当する……あのひとのいう〝自律冥界〟志向です。月のウラガワとは、かさねの特異な認識をわたしたちが擬似的に体験するゲームなのです」
かさねはまるで虚構のキャラクターだと僕は思った。
「時空交叉とか第四領域だとか、みながそういう言葉で仮定した世界……かさねはそこからわたしたちの領域に墜ちてきた。その高みから続く細い糸をつかんだまま……。小学生のときにかさねと会って、わたしははじめてその領域を認識したのです。想像できない広さをもった領域。すべてが反響し合い、なにひとつ失われることがなく……どんな可能性も存在する、そんな領域です」
そして、かさねについて語られた。
僕の頭には、世界の果てに立つふたりの少女の物語が再生された。
時々相槌を打っていたのだけど、ふと仮ヶ音さんが笑っているのに気づいて驚いたのを憶えている。
「いかがですか。本当のことだと……その領域が本当にあるのだと感じられますか」
ダークサイドの諸概念がネタかマジかを突き詰めるのはナンセンスだ。それは社会の決まりごとを共同幻想だと指摘するほどの意味しかない。だけど僕は、そこになにか別の意味を見出したかった。
「たとえ意識しなくとも……モニタが表示する画像、聴こえる合成音、それらが実在するなにかを示しているとわかるから、わたしたちは遊ぶのでしょう。少なくともわたしは……あそこへ行きたい。からだに響く声のすべてがそう言ってます。かさねに会うために……」
テーブルに身を乗り出して熱っぽく語られるその言葉が店内を少しざわつかせ、我に返った僕は窓の向こうがすっかり薄暗くなっていることにようやく気がついた。
仮ヶ音さんも思い出したように姿勢を正し、不機嫌そうな顔に戻って視線を落としていた。心なしか紅潮した顔。別に好きってことじゃないんだからね! なんてセリフがなぜか僕の頭をよぎる。
長居したカフェを出るとき、仮ヶ音さんは俯いたまま小さく呟いた。
「でもわたしは行けなかったのです」
池袋駅へ歩きながらぱらぱら言葉を交わした。あらゆる人間には存在するだけで価値がある――なぜなら人間の恐怖や不安や愛憎、それらが生み出すひずみがあの領域につながっているのだから、そんな話だったと思う。なんというか……あえて世界の酷い面を見つめ、そのことで逆に世界を肯定する、そんな倒錯を僕は感じた。
生きることにツンデレ……そういうことなんじゃないか?
「他人ごとのように思っているのかも知れませんが」
別れ際にそう言われてどきっとした。
「あなたはすでにその領域にいるんですよ。だからこの言葉は、その領域のあなたにも届いています」
ここにいるあなたには話していない、とも聞こえた。それとも、このテキストを書いている僕が知覚できない領域で、僕は彼女の言葉を理解しているのだろうか。
「これから始まる躰乖祭とはなにか、おわかりでしょう。昨日までにアカウントをつくった2,414人が、これからアカウントをつくる数百人を加えて、その領域へ至るということですよ」
東口の地下へ消える前に、仮ヶ音さんはそう言った。針金細工のようにか細い手足で品の良い立ち姿を見せる彼女は、人混みのなかで奇妙に浮いて見えた。
「変化がどのように起こるのかはわかりません。わたしはただ一定のオーダーを要すると推測しているだけです。だから灰都さんにお話ししたのです。わたしの言葉があなたのテキストになれば、それを読んだ方の領域にも届くでしょうから」
仮ヶ音さんがなにを語ったのか、僕なりにまとめたのが以下のテキストである。彼女のいう領域とはどのようなものか、あなたにも確かめていただければ幸いだ。
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*2 SSとはshort storyまたはside storyの略称で、マンガ、アニメ、小説、ゲーム等の二次創作小説を指す。インターネットでは古くから個人サイトや匿名掲示板で語られてきたが、00年代以降は小説投稿サイトに投稿されるケースも増えた。ダークサイドは2012年5月、同作のSSを投稿できる「stories」を公式サイトに実装した。投稿されたSSはプレイヤーによって評価され、多くの評価を得たSSの内容は公式のシナリオに反映されることもあった。
*3 ダークサイドは当初から、プレイヤーがその世界観に沿った言葉を自由に創作し、登録できるシステムをもっていた。登録された言葉は用語と呼ばれ、「stories」と同様にプレイヤーによって評価・共有された。多くのプレイヤーに支持された用語は公式設定にも取り入れられることがあった。
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