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3,000の魂を吸った同人ゲーム
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
――――宮沢賢治『春と修羅』
本当に面白いゲームとはなにか、ご存知だろうか。
僕はその定義をひとつ知っている――それは「意識を解体するもの」だ。
もしかすると、人間はずっとそのことを求めている。
2011年12月22日から2018年2月7日まで、そのゲームはネット上で遊ぶことができた。制作はサークル「OGF/同位体」。いわゆる同人ゲームで、タイトルを「月のウラガワ」――通称「ダークサイド」という。
アカウント総数は3,107(2018年1月31日時点)。同人ゲームはマイナーな世界だがこの数字はそれなりのものだ(*1)。
ダークサイドの画像や文字列、流れる電子音楽、それらはプレイヤーの意識を変え、我を忘れさせた。
もちろんどんなゲームにもある感覚だ。ダークサイドが違っていたのは、その主観的感覚がゲームの進行自体を左右するかに思われたこと、そしてそこからカルト的な教義が生まれたことだ。
3,000のプレイヤーはその感覚を手がかりに、物理的現実を超えた世界を仮定し、その世界を認識する高次の自己を仮定した。それは「第四領域」と呼ばれた。
ゲームを通じて既存の意識を解体し、第四領域への到達を目指す、それこそがダークサイドの楽しみ方だと定義された。
それはきっと、インターネットで泡沫のように現れては消える〝ネタ〟のひとつであり、教祖も教典もない信仰だった。その信仰は「仮想人格救済論」と呼ばれた。
あなたがこの奇妙な世界に触れたことがあるのか、僕にはわからない。こんなテキストを読んでいるくらいなら、TwitterやPixivを介してダークサイドのキャラクター、例えば大きな狐の耳の少女「ダキニちゃん」を目にする機会はあったかも知れない。
いずれにしても、この先あなたにダークサイドを遊ぶ機会はない。
2018年の騒動の末にサイトは閉鎖され、ブログやSNSに残された言及も(おそらく投稿した本人たちによって)ほとんど削除されている。有志の運営するファンページ「ダキニちゃんwiki」はしばらく残存していたものの、2019年3月にYahoo! JAPANがGeo Citiesサービスを終了した際に消失している。
僕はダークサイドにまつわる情報を手元に保存してきたし、何人かのプレイヤーに直接――つまり物理的に会うこともあった。インターネットで交わされるあらゆる情報が記録される時まで、その文化を語るときに頼れるのは個人の記録と記憶だけなのだから。
僕はこれから、2010年代のインターネットの辺境を彩ったこのささいな、そして特異なゲームカルチャーの一端を書き記そうと思う。
◆ ◆ ◆
本テキストでは、教義の中核的概念である第四領域を取り上げる。
それがどこから生じたかを探り、3,000のプレイヤーの魂を惹きつけた本質を照らしたいと思う。
同時に、これはふたりの人物の物語になるだろう。
ひとりは、OGF/同位体でシナリオやデザインを担当し、ダークサイドの世界観を形づくったトナリだ。
多くのネット文化と同様、ダークサイドの文化もユーザの自然発生的活動から芽吹いたが、その種子はトナリの世界観に内包されていたとみるべきだろう。現実の拡張、自分の境界をゆるがせること――。
トナリはダークサイド公開初期にプレイヤーとしてゲームに参加していたため、当時のログをみればその嗜好や考え方がある程度推測できる。
そして作り手でもありプレイヤーでもあること、これはダークサイドを象徴している。このゲームではプレイヤーの二次創作がたびたび〝公式化〟されたし、プレイ用キャラクターを創作し共有できる「霊獣躰」システムは非常に特徴的だった。プレイヤーたちが魅力的なキャラクターを次々に生み出し、ゲームプレイを通じてその魅力を掘り下げるという、ユーザ参加型の創作エネルギーがダークサイドを駆動していたのだ(*2)。
その霊獣躰として最も人気を集めたのが「明神みあらか」であり、その生みの親である仮ヶ音ミドリコはダークサイドでもよく知られたプレイヤーだった。
彼女がもうひとりの人物である。
実のところ、本テキストのほとんどは仮ヶ音さんの語った言葉によっている。
そしてダークサイドのファンには知られたエピソードだが、仮ヶ音さんが明神みあらかを着想したきっかけは小学生時代の転入生との出会いであり、その転入生こそがトナリだった。
ふたりの出会いから10年近くののち、ダークサイドは公開され、その世界にログインした仮ヶ音さんはこう書き残した。
「意識の支配から解放されれば、わたしたちは前に進める」
◆ ◆ ◆
ここに記す内容は、ドキュメンタリーや歴史書を含むあらゆるテキストがそうであるようにフィクションであり、そして実在の人物・団体・事件に関わる物語だ。
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*1 同人ゲーム――つまり個人やサークルによる趣味の活動から生まれたゲームをマイナーと書いたのは、ドラクエのような商業ベースのゲームと比較したときの認知度についてであって、それ以上の意味はない。
念のため書いておけば、日本における同人ゲームは80年代前後からの長い歴史をもっている。その蓄積はゼロ年代に開花し、Fate、ひぐらし、東方など名だたるタイトルが人口に膾炙した。この系譜に連なるスマホゲームFGO(Fate/Grand Order)は、2017年にはソニーの株価を左右するほどのコンテンツに成長しており、活況はいまも続いている。頂点が高いほどその文化ピラミッドの底辺は広がる。同人ショップやネットを介した流通の容易化、技術的な制作ハードルの低下などもあり、いまでは数え切れない個人やサークルが日々無数の同人ゲームを制作している。OGF/同位体によって運営されていたダークサイドは、この同人ゲーム界に咲き、散っていった徒花のひとつといえる。
*2 こうした特性はかつてUGC(User Generated Content/ユーザ生成コンテンツ)と呼ばれた。UGCはいまじゃ広告代理店のセールストークにしか出てこないようだけど、僕にとってその言葉はインターネットによるある種の解放、革命というニュアンスを帯びていた。作り手と消費者という一方向の流れは消え、双方向の情報のやりとりが大規模にネットワーク化され、その結節点で生じるものを作品と呼ぶ世界の到来……そんな目の眩むような自由と開放が感じられたのだ。ニコニコ動画が、初音ミクが、M.U.G.E.Nが、SCP財団がそれを体現していた。ダークサイドはまさにその系譜に連なり、その後のVRChatやVTuberに至る流れに位置付けられるものだと僕は思う。
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