8 「僕だけが」

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 その日の夜、合田のマンションに来た後冷泉は、いつもに増して寡黙だった。 「どうしたんだ、貴人」 「……いえ、別にどうも」 「そうは思えないけどなあ」  何かを気にしているふうで、それでいて認めようとしない。  そう見えた。  いつもの彼らしくない。  ソファに座って、頬杖をつきながら地上波放送の映画を見ているが、楽しんで集中しているようでもない。 「チャンネル変えようか?」 「いえ、いいです」  後冷泉は、はあっと息を吐いて珍しく頭を抱えた。 「わりと、心が狭い自分に気付いたもので」 「どうしたんだ?」 「……貴方がほかの社員達と打ち解けるようになってよかったと思ってはいるんですが」 「ですが?」  「それはそれで、見ていて妬けるんですね」 「えっ」  他人事のように解説しているが、その表情は切なげだった。 「今まで貴方を見ていたのは僕だけだったのにな、っていう気持ちがあるんですよ」  この男はときどき、こちらが羞恥でじっとしていられなくなるようなことを平気で言う。 「い、いや、でも、パンダ化していたときは自分で言うのもなんだがかなりちやほやされていただろう?」 「あんなの違うでしょう」  彼は鼻で笑った。 「貴方だってそう思ったから、元に戻して欲しいと神様のところへ行ったんじゃないですか」 「まあ、そうだな」  人として愛されたわけではない。  後冷泉は眼鏡を外して、テーブルに置いた。  実はそれほど視力が悪いわけではない、というのは、あの夜に知った多くの新しい事実の一つだった。  ブルーライトをカットする機能以外はほぼ伊達眼鏡に近いのだという。  それは見た目で寄ってこられるのが迷惑だから、という、容姿の優れた人間にしか持てない悩みを打ち明けられたが、合田には少しだけわかるような気がした。おそらく、パンダとして扱われる気分に似ているのだろう。 「急に部長に対するみんなの態度が変わりましたけど、完全に珍しい生き物に対してのそれだったので、妙だなと思っていただけです。でも、本当の貴方の姿をみんなが理解するようになると――」  自分の隣のソファを叩いて、座るよう指示する。  どちらが上司だかわからないな、と思いながら、合田はそこに腰を下ろした。  珍しく、後冷泉は肩に頭を寄せてきた。 「僕以外にも、貴方を好きになる人間が出てくるんじゃないかって、心配になるんです」 「まさか、そんな心配は――」  無用だろう、と合田は笑い飛ばそうとした。  そんな物好きがそうそういるはずがない。  だが、ここで笑うのは不誠実だなと引っ込めた。 「――大丈夫だよ。君は、私にとっても特別なんだし」 「本当ですか?」  後冷泉は頭を起こした。 「そりゃそうだよ」  彼の顔が、息を感じられるほど間近にある。  無論その造作も好ましいとは思うが、それだけではないのは明白だ。  彼は、わかりにくいが嬉しそうに表情を綻ばせ、また合田の肩に頭を預けて映画の続きを見始めた。  CMが挟まると、画面にはファッションブランドの新商品が映った。  クマやウサギの耳付きフードのある、動物型のルームウェアだった。パンダのもあった。 「これ、買ってあげましょうか?」  後冷泉は、本気か冗談かわかりかねる表情で画面を指した。  合田は顔の前で手を振る。 「いや、自分がパンダになるのはもう懲り懲りだよ」 「そうですか」  それから年下の恋人は、職場では決して見せない甘やかで、それでいて良質な刃物のように光る瞳をして微笑んだ。  「そうですね。貴方のかわいさは、僕だけがわかっていればいいので」   【了】
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