独身お兄さん、女子高生に泣かされる。

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 夏は嫌いだ。  朝になると蝉の合唱で目が覚めるし、あまりの気温の高さに外に出るのが億劫になる。  元々俺という人間は好んで外出したりはしないものの、料理スキルのない独身ゆえ昼は外で食べることが多いし、趣味という趣味もないのでそれが日ごろ労働に精神を蝕まれ続けている自分への数少ない褒美でもあるのだ。  ……正直、自分で分析していて悲しくなるけれど。現実はこんなものだ。  人生における大きな目標など何もなく、何も変わらない日常に少しずつ心と体を削られる日々。  しかしその事自体に何か不満があるわけでは決してない。  気がつけば社会人生活もかれこれ三年目になるか。  社会人になってからの時間は長いようであっという間で、その時間で俺は色々な人間を見てきた。仕事をすぐに辞めるやつ、転職するやつ、起業するも大失敗するやつ、それから、インターネット上で有名人になったやつとか、あとは何もせず部屋にこもってしまったやつとか。  これだけ多種多様な人間の姿を目の当たりにすると、人生に対する考えも変わってくる。  正直、社会人一年目は「このクソ会社、すぐに辞めてやる」という気持ちでいっぱいだったのだが、周りを見ていると程度は違えど皆何かしら苦しい思いをしていて、その中で俺は果たして最悪か?という問いかけを自身にした時に出た答えは当然ノーで。  まぁ、つまるところ仕事はそこそこキツいけれど労基に引っかかるような無理な残業もないし、土日は休めるし。給料は世間で普通、と言われる程度は貰えている。そもそも時間が必要な趣味もないのでそこまで仕事をえり好みする必要なんてなかった、という単純な真実に気づいた二十代の夏が今の俺というわけだ。 「はあぁぁぁ……出るか」  八月の某日。今日は土曜の昼間。外では相変わらず蝉たちが合唱していて、それは俺がこれから真夏の炎天下に放り込まれるという残酷な真実を表していた。  優しい感触が心地良いタオルケットからもぞもぞと抜けだし、部屋のカーテンを開ける。このちょっとの動作ですらかなり気力と体力が奪われた気がして、自分の日頃の運動不足を呪った。 「うっわ……」  あまりの強い日の光に、反射的に目を閉じる。間違いなく今日は快晴だ。  勢いよく外の様子を確かめた事を後悔しつつ、そのまま洗面所へ向かう。……かなり不本意ではあるけれど、今のですっかり目が覚めてしまったようだった。 ///  外の気温はというと予想通り今年最高クラスのそれで、すぐにニュースを確認すれば今日の熱中症者数が画面に表示されそうなほどのものだった。  こういう時、車の一台でもあれば快適に目的地まで移動できるのだろうが、あいにく俺は免許自体所持しておらず、当然車も持っていない。  ……さて、ここはいつもならば自宅のアパート近くの駅から電車で少し遠くの飯屋に移動するところなのだが、今日はこの暑さだし、皆考えることは同じだろう。まして休日の昼間ともなれば、その混雑具合は……正直想像したくない。  ともすれば俺のとる行動はひとつだ。 「まぁ、たまにはコンビニも悪くないか」  はぁ、とため息まじりに真っ青な夏空を睨み、不本意ながらも俺はコンビニを目指し徒歩で移動を開始する。  近く……とはいえ家から一番近いコンビニでも少々時間がかかる。家のすぐ傍にある公園を抜け、更に五分ほど歩いてようやく到着するのだ。  この炎天下の中を歩くのはかなり抵抗があるが、今日はとても電車を使ってまで移動する気にはなれない。それにもう腹が限界だ。仕事明けということもあって動画サイトで明け方まで時間を潰したことが悔やまれる……。  家を出てから五分と経たないうちに、とりあえず最初の目的地――近所の公園に着いた。目的……というのも、まぁただ単にあまりの暑さで喉が渇いて仕方ないので自販機でジュースを買いたいというだけなのだが。 「昨日のうちに買っておけば安かったのにな……」  自嘲ぎみになりながらもそのまま公園の敷地内に入り、公衆トイレ横にある自販機へと向かう。  公園に植えられた木々はもうすっかり力に満ちた緑一色になっていて、それに比例するように蝉の合唱が鳴り響いていた。  流石にこの暑さに外出を控えているのか、いつも休日になるといるはずの親子数組の姿はなく、ここにいるのは俺と、このクソうるさい蝉軍団。それに、この暑い中ベンチで読書中の若い女の子だけだった。 ――いや、こんなところで読書なんかして大丈夫なのか?男の俺ですら気がおかしくなりそうな暑さだというのに。   「飲み物飲み物……」  分析もほどほどに、俺は目的の物を購入すべくボタンを押す。  少し遅れて、がこんがこんと命の水が手に入る音がした。 ――普段の俺なら、こんなことしたりなんかしないのだが……。  なんとか自分なりに覚悟を決め、俺は今し方購入した二本の飲料を手に持つ。……こんなことをしてしまうのも全部、この暑さのせいにしてしまえば良いだろう。  せっかくの飲み物がぬるくなってしまっては勿体ないので、と自分への言い訳もそこそこに、俺はベンチの端で本を読む一人の少女に声をかける。 「あの!」  俺にしては中々大きい声が出たことに自分自身少し驚いていると、先ほどまではこちらに興味一つ示さなかった少女が本を閉じ、視線をこちらに向けた。  黒髪ショートヘアーの、十六歳くらいの少女。その少しつり目ぎみの双眸が、こちらを見据える。その目鼻立ちはかなり整っていて、肌は真っ白で。その映像は、この炎天下であるという異常性を除けばドラマのワンシーンのようだった。 /// 「おじさん、勧誘か何か?」  開口一番、その少女のパンチは強烈だった。  勧誘て……。 「いや、そんなんじゃなくて。……こんなところで本なんか読んでたら倒れるぞ。これでも飲んで家に帰るなり別の場所で時間潰すなりしろよ。それとおじさんはまだ二十代だから。お兄さんだから」  言って、件のジュースを手渡す。 「……本当に、何が目的なの?」  と、露骨にこちらを警戒し、少女はその場で立ち上がる。  この暑さの中、それも白昼堂々公園で女の子を襲ったりするわけねぇだろうが……。 「君、飲み物もってなさそうだったし。目の前で倒れられでもしたら嫌だし。俺の飯の時間がなくなる」  俺の人生における数少ない楽しみを、こんな見ず知らずの少女のために台無しにされるのはごめんだ。その危機をワンコインで回避出来るというのなら、安い出費だろう。 「……なんだ、心配してくれたんならそう言えば良いのに。変な人」 「この場合、変なのはこのクソ暑い中本なんか読んでる君のほうだろ」 「あっはっは、それは言えてるかもね」  からからと笑い、少女は俺の右手に握られた黒い缶飲料を手に取る。この子のために買ってきた炭酸飲料だ。 「ありがとね、お兄さん」  よっぽど喉が渇いていたのか、少女は早速蓋を開け、それを勢いよく傾けゴクゴクと飲み始める。CMの出演依頼が来てもおかしくない飲みっぷりだ。  これにはたまらず俺も自分用に買ったペットボトル飲料の蓋を開け、カラカラに乾いていた喉を中の液体で潤す。生き返った……。 「じゃ、俺はこれで」  と、さて用事も済んだところで飯を買いにいくか、と思っていたところ。   「あ、ちょっと待ってよ」 「……まだ何か?」  はた、と再度少女と視線が交差する。少し迷いが見られたが、やがて小さく息を吸い込み、少女は続ける。 「ご飯とかまだなら、お兄さん私の家に来ない?」 「は……?」  八月の某日、空は快晴。うだるような暑さの炎天下。蝉がうるさい。  いつもの公園で出会った色白の女子高生は、一体どういうつもりなのか、唐突にそんな誘いを、よりにもよって俺に向けてしてきたのだった。 ///  少女の家は俺の住むアパートの向かい側にある新しめのアパートの一室で、その建物は俺がこの町に来るときに住む場所の候補の一つとして挙げていながらも予算オーバーという切実な理由により断念した物件でもあった。……まさかここまで近い場所に住んでいるとは。 「そういえば、親はいないのか?」 「あぁ、ここ私一人で住んでるから」 「そうか……」  一人でこの広い部屋に……。  学生相手に少し羨ましい気持ちになりつつもなんとか気持ちを切り替え、俺は言葉を紡ぐことにする。 「そういえば今更なんだが、普通初対面の大人を家に連れ込むか?しかも一人で生活してるのに」  正直、今の状況で俺が彼女にどんな悪戯をしようとも、それは仕方ない気がしてならない。  おかしな話、今の彼女の行動は、その……〝誘っている〟と受け取られてもおかしくないことなのだ。 「そんなにおかしいことかな?」  俺の言葉に表情一つ変えず、少女はそさくさとキッチンへ向かい、一人用の小型冷蔵庫を開ける。……なんというか、自由な子だな。 「……お兄さんはさ、私のこと心配して飲み物くれたんでしょ?私はあの暑い中ご飯を食べるために移動してたっぽい貴方にお礼がしたいだけ。貸し借りは今のうちに精算しとかないと」 「はぁ」  訂正。意外とこの子はしっかりしているようだ。  学生のうちから貸し借りのことをそういう風に考えているのは凄い。……が、奢るつもりであの飲み物を渡した身としては少し複雑だ。 「なんであんなところで本読んでたの?」 「そんな事より先に聞くこと、お兄さんあるんじゃないのかな」  言いながら少女は器用に冷蔵庫の中からおかずが入ったタッパーを取りだし、レンジに放り込む。タイマーを右に回すと、うぃぃんという、聞き慣れた機械音が二人きりの空間に木霊した。  先に聞くこと、とは……? 「……名前。まだ知らないでしょ?」 ///  少女の名前は、夏川刹那(なつかわせつな)。  今年三年生になった女子高生。  部活には所属しておらず、共働きの両親と別居し一人暮らしをしている。……が、 「少し前にお父さんから連絡があって、どうしても向こうに帰らないといけなくなったの」  元々体の弱かった母が体調を崩し、病院へ入院。  勿論その連絡を父から受けた彼女はすぐに駆けつけ、母の無事を確認した。……問題はここからだ。 「話を聞いていると何も問題なくここで生活出来そうに思うんだが?」 「……私の両親共働きって言ったでしょ?それなのにお母さんが倒れたってことは、私たちにとっては大問題なんだよ」 「なるほど……」  一人での生活というのは、なにかと金がかかる。深いところまで彼女は話さないけれど、元々体調が弱かったらしい彼女の母親は、一人暮らしの娘を応援すべく仕事を始めたのではないだろうか。彼女をこの広めの良い物件に住まわせている事からもその親心が見て取れる。 「お父さんは何か言ってるのか?」 「何も問題ない……って、言ってくれてるけど、私、そういうところで無理させてまでここに居たいとは思わないし、もう向こうの高校に転校する準備も済ませちゃってるんだよ」  と、なんでもないとでも言うように手元のウインナーを口に運び、彼女――刹那は笑う。  多分それは、正しいんだと思う。  一人での生活には、コストがかかる。それがあまりに家計を苦しめるようだから、実家に戻る。  理にかなっている。でも、三年生のこの時期の転校というのは、あまりに……。 「お兄さん、やっぱり少し変わってる」 「は……?」 「だって私、この話してそんなに怒った顔した人見たことないんだもん」 「そうかよ……」  その正しさは、しかしその若さで必要な物では決してない。  むしろその逆で、彼女のお父さんがなんでもない、と答えたのも頷ける。もっと青春時代をいきいきと過ごしてほしかっただろうに……。  本当に彼女の言うとおり、俺は変わっているのかもしれない。自分でも、こんな、今日知り合ったばかりの女子高生の話で頭にくるとは思いもしなかった。 「はぁ……。それで?なんで本なんか読んでた?家で読めば良いだろ」  俺も彼女にならい、ウインナーを口に運ぶ。腹が減ってはなんとやらだし、この問題に関しては俺は何も出来ない。この気持ちは抑えて本題に戻るとしよう。 「あぁー、それなんだけど、最後にこの街を味わっておきたくなっちゃってさ」 「は……?」  街を味わう?意味が分からない。 「ほら私、ここにいれるのはあと一週間きりだし、この街の景色とか、色々。味わっとかないと勿体ないなって……って、変だよね私」  ごめんごめん、と照れ隠しにグラスに注がれた麦茶を一口飲み、刹那は苦笑いを浮かべる。……何もおかしくはないと思うが。 「いや、そういうのって、友達と一緒にやるんじゃないのか?……最後の思い出って感じで」 「んーと、そういうのはもう済ませてて、でも……この街にはまだお別れがちゃんと出来てない気がしたから、だから……」  どこまで律儀なんだこの子は……。  でも、まぁ。自分が住んだ町をもう一度味わって、最後にお別れをするなんて。それもまた、青春か。 「……それで、なんで本なんだ?」 「なんか、詩的な気分でより街の空気に集中出来るかな、と!」 「アホか、先に倒れるぞ」  なんというか、やることは一本しっかり通っているけれど、どこか抜けているというか……一人にしておくのが不安だ。 「それで、街の散策はまだ続ける気なのか?」 「とりあえず明日まではするつもり」 「はぁ……」  まだ継続するつもりらしい彼女の返答に、ではなくまた変なことを考えている自分に呆れ、俺はため息をつく。……やれやれ、せっかくの休日が台無しだ。 「――その散策、俺が一緒に居ても問題ないか?」 ///  翌日は日曜日だというのに珍しく早起きをして部屋のカーテンを勢いよく開けた。目映いばかりの日の光が部屋に降り注ぐが、昨日までの不快感はない。むしろ気合いが入ったくらいだ。  よしっ、と改めて気合いを入れ直し、洗面所へと向かう。果たして、今年いち濃密な一日が始まったのであった。  待ち合わせの駅に向かうと、先に到着していたらしい少女の姿が目に入った。 「……こういう時って男の人が先にくるんじゃないの?」  と、開口一番に毒を吐く彼女。ややつり目気味の双眸に、ショートの黒髪。今日も今日とて小洒落た格好をしたこの女子。  見間違えるはずもない、昨日公園で出会った少女、夏川刹那(なつかわせつな)が駅のホームに一人佇んでいた。 「待ち合わせの五分前には来ただろ。電車の時間も問題ない」 「……お兄さんって友達とかいなそうだよね」 「うるせぇ」  そもそもお兄さんから誘ったくせに……とか何とか。そんなしょうもない話をしているうちに、俺たちの乗る電車が到着する。いつもなら何度も時計を確認したりして電車を待つので、こんなにストレスのない乗車は新鮮だ。  そうして俺たち二人と、後から乗った数組の家族連れを乗せ、電車が発進した。 「それで、今日はどこに行くの」  ガタンゴトンと、一定のリズムで揺れる車内で、刹那は早速目的地を訊ねる。……まぁ、昨日知り合ったばかりの男にいきなり知らないところに連れて行かれたりしたら嫌だよな。 「俺が仕事で疲れた時よく行くところ巡り」 「うわ~……」  と、露骨に嫌な顔をする刹那。 「……いや、別にそんな悪いところじゃないから。あとその顔止めろ」 ///  それから日が暮れてしまうまでは、なんというか、あっという間だった。  最初に訪れたのは、確か行きつけのコンビニ。中にゆっくりコーヒーを飲んだりしてくつろげるスペースがあり、そのやや狭い空間をカフェ代わりによく利用しているのだ。何より中々財布に優しいのが嬉しい。  ……まぁ、刹那には睨まれたが。俺が日頃お世話になっている場所であることに変わりはない。  次にやってきたのは、駅近くの熱帯魚専門店。夜になると一段と明るくなるこの街とは対照的に、薄暗い店内のほのかな明かりで輪郭を映すその光景には、理屈はよく分からないが精神が安らぎ、気持ちが落ち着くのだ。……仕事で殺意が爆発しそうになった日の夜におすすめだ。  と、これは中々気に入ってくれたのか、刹那も文句一つ言わず水槽の中を食い入るように見つめていた。  それからは、同じく駅近くのファーストフード店、書店となんでもない場所を転々とし、終電の時間を考えると最後になるであろう場所に、俺たち二人はいた。  そこはあるデパートビルの屋上で、職場の上司たちとクソ楽しくない飲み会をした帰りに偶然見つけた絶景……とまではいかないながらも中々景色の良いスポットだった。……今日訪れた場所の中だと一番まともかもしれない。 「――」  その景色を目の当たりにしたその瞬間。  俺の隣で彼女が息をのむその音が、はっきり聞こえた。 「結構良いだろ?」  俺の言葉を無視し、――というか、見入っているのか?――刹那はその瞳に街の明かりを映す。  ……と、彼女は瞳を宝石のように輝かせたまま、 「……私、この街に来て良かった」  そう静かに呟いた。 「そりゃ良かっ……」  言いかけて、俺はズボンのポケットに入っていたハンカチを手渡す。……小さく頷き、彼女は目の周りを拭った。 「……この街と別れは済ませれそうか?」 「……どうかな。私、多分今日一日で余計この街のこと好きになっちゃったし」  でも、と彼女は続けて。 「だからこそ、この街で私は生きていたんだって、そう胸を張って向こうに帰らないといけないんだと思う」 「思い出とか、ちゃんと作れたのか?」  光り輝く景色から目を離せないでいる彼女を横目に、俺は隣で鉄柵に腰掛ける。見上げた夜空は、いつもより空気が澄んでいるように思えた。 「うん。学校もそうだし、お兄さんと一緒にいたのも楽しかったよ」 「そっか、ならそろそろ電車n」 「そんなんだからお兄さん友達いな――って、お兄さん泣いてる?」 「うるさい、お兄さんは鼻炎ぎみなんだ」 「昨日はどうもなかったのに?」  ようやく弱みを握れたのが嬉しいのか、それはそれは愉しそうに刹那は笑う。つられて、俺の口角も上がってしまった。 「少し……思い出しちゃったんだよ。社会人になってからとか、色々。……それに、お前とっ」 「お前じゃなくて、刹那だよ。お兄さん」 「……刹那といると、自分が学生の頃とか思い出してさ。なんて、」  また少しおじさんっぽくなってしまたな。と続けようとした、その時。 「……たまには素直になったら?どうせ私とは今日までの関係なんだし」  そう言って今度は慈愛に満ちた表情で笑い、先ほどまでは自分の涙を拭くのに使っていた俺のハンカチを、刹那は俺に返した。  あぁ……そうか。  そうだよな……。 「悪い、少し泣く」 ///  そうして初めて人前で、それも女子高生の前で涙を流したのが、ちょうど五年ほど前の出来事だ。  あれから刹那から連絡は特になく、たまに公園を覗いてもそこに彼女の姿はない。本当にあれっきりで物語は終わってしまったのだ。  ……が、俺という人間は諦めが悪いのか、今日も今日とて時間を持て余しているので外食ついでに例の公園でジュースを買う。がこんがこんと命の水が手に入る音がした。 「……間違って二本買っちまった」 「お、なら一本もらってあげましょうか?――おじさん!」  と、突然俺の横に現れた彼女と、目が合う。嫌って程目に焼き付いてる、ややつり目の黒髪ショート。 「おじさんじゃあね――いや、もうおじさんか……」  あまりの出来事に心が追いつかず、頬を雫が伝う。そんな俺の姿に、彼女は「もうっ、ほんとに泣き虫だなおじさんは」なんて言葉と共にハンカチを手渡してくれて。  俺はその日。彼女と流したあの日の涙の続きを始めたのだった。   
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