二十五.「ゴッホ展ーーー響き合う魂 へレーネとフィンセント」

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二十五.「ゴッホ展ーーー響き合う魂 へレーネとフィンセント」

 自分の中で最大の目玉であった、「ゴッホ展ーーー響き合う魂 へレーネとフィンセント」に行って来ました。東京都美術館はいつも大々的に人を呼ぶような展示会をやるので2週間前から予約を取りました。……それでも完売の時間があろうとは……恐るべしゴッホ! b0d0da59-36a2-493e-bc37-4b9aebef874b  ……しかしポスト印象派最大の画家でパブロ・ピカソやマティスに多大な影響を与えたゴッホが当時全然認められなかったって、本当になんでやねん! という話です。それは原田マハの「たゆたえども沈まず」で垣間見ることが出来ました。当時パリの芸術界は芸術アカデミーが占めており、新しい芸術の「印象派」は「悪質な落書き」なとと称され、評判が芳しくありませんでした。まぁ、そんな印象派も20世紀には評価され、逆に芸術アカデミーの影響を受けた絵の方が忘れられるようになりました。皮肉! ゴッホは正確には印象派の影響を受けつつも、新しい表現方法を模索した「ポスト印象派」。日本では「後期印象派(今はあまり使われない訳)」と称され、「白樺派」が紹介しました。「芦屋のひまわり」とか。  生前はたった1枚しか売れなかったゴッホですが、彼の絵は絶対に後世に残る! と信じて展覧会で大勢の人に見てもらおうとゴッホの絵を購入した人がいました。その1人が名前にも出ているへレーネ・クレラー=ミュラー(1867-1937)です。彼女は最大のゴッホ蒐集家と言われ、その収集の一部が今回上野に来日しました。  ゴッホは好きな画家の1人なのですが、筆致を間近で見ることが無かったので今回感動しました。すっごく大胆で荒い筆致ですよね。しかしその筆致には彼の激情全てが詰まっています。実際のゴッホはすごく激情家の一方、人に心をなかなか開かない気難しい性格の持ち主だったと言うから彼を真に理解するのはほとんど不可能でしょう。弟テオでも出来なかったんだから……しかし彼の絵を見ると彼の精神や生き様、大事にしたかったこと、譲れなかったものが分かる気がします。  絵に限った話ではありませんが、芸術は完成した途端、作者の手を離れます。ぶっちゃけた話、好きでも嫌いでも共感できるか否かでも良い、どんな風に解釈しても良いのです。しかし正であれ、負の感情であれ、人の心を惹きつけて止まない芸術のには作り手の「全部」が有るのだと思います。  その芸術が世にある限り、その芸術家の人生は終わっていない、彼らは未だ生き続けているのです。
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