15人が本棚に入れています
本棚に追加
四十一.「自然と人のダイアローグ」
暑い中、リニューアルオープンした国立西洋美術館にやって来ました。もー暑くて暑くて10歩進むごとに命の危険を感じます。上野恩賜公園に行くとみずが枯れかけてちょろちょろ……と流れる小川の側で烏が口をぽかんと開けて涼をとっていました。いじらしい……何年か前に真夏の高松に行きましたがまさにあれと似たような光景です……来週は「戻り梅雨」と言って梅雨みたいな天気になるそうですが水不足と草花の為にも雨が降ってほしいと生まれて初めてそう思いました。
閑話休題。
国立西洋美術館は改修工事が長かったせいで何度も上野に行っている私でも馴染みのない美術館です。館の成り立ちは原田マハ著『美しき愚かものたちのタブロー(文藝春秋)』に譲るとして敷地に入るとします。
拡大版「考える人」の彫刻です。こんな炎天下の中で考える人を実際に見かけたら日傘や冷えタオルやポカリとかを差し上げたくなる← 他にも彫刻がありましたが写真を撮る私が危ないのでやめておきました。そのくせクーラーでお腹下すんだから矛盾してますよね……
さて、企画展「自然と人のダイアローグ」はドイツのフォルクヴァング美術館とタッグを組んでお送りする西洋画家たちによる自然賛美です。空、海、波、森、草花、木……その全ては光に満ちてどれを取っても美しいです。空も青空、赤い空……皆、描き方が全然違うんですね。「朝焼けと夕焼けは方角無しでは区別出来ない」という話を思い出し、題名に時間の名義が無いものは想像力を働かせました。絵は画家のみならず、描かれたものの物語でも有るんですね。
これは企画展の目玉、ゴッホの「刈り入れ」です。麦がたわわに実って豊かな夏を想像させますがゴッホが思ったことは……うーん……その考え方はゴッホらしいけど暗いよぉ……
ムンクやルドンの絵も有りましたがこちらは自然や風景では無く、目に見える世界を超えた「彼方」を目指した黒と白の幻想怪奇。人の顔の雪洞とか見たら「ぎゃっ!」となりそうです。でも創作の刺激になった、かも?
面白かったのは雨や雪、強いては悪天候といった自然の荒々しさやそれに立ち向かい、又は立ち直る人の絵画が無いこと。西洋人にとって自然は客なんですね。きっと招かれざる場合はお呼びで無いので描くという発想にならないんでしょう。日本なんて毎年勝手に来ては勝手に帰るようなめちゃくちゃぶりを2000年余りも受け入れてきたのだから、我々日本人とは考え方が全然違いますね。
でも違うのが良いんですよね。そもそもどちらが正しいとか間違っているとか、話をそっちに持っていく方が間違っているんです。「違うなら違うでいいじゃない!」だけでは丸く収まらないことも分かっていますがそれに不寛容になってはいけないと思うのです。これからはますます。
最初のコメントを投稿しよう!