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四十二.映画「犬王」
一時、映画鑑賞に凝っていた、という話を以前しましたが、その当時「仕事帰りに映画を観る」というのをやってみたいと思っていました。そんなの簡単じゃねーか、と言われるのがオチですが、当時は通勤に片道1時間半かけていたことと職場の最寄駅や乗り換え駅の路線近くに映画館が無かったので(自宅の最寄り駅は小さかったので有るわけがない)出来ませんでした。ですが一人暮らしを始め通勤時間がぐうんと短縮できたことと降りて少し歩いたところに我らがTOHOシネマズがあることを知り、遂に遂に「仕事帰りに映画を観」に行きました!
「犬王」です。原作は小説でTwitterやアメブロに感想を載せましたのでよろしければそちらもどうぞ。映画を小説化するというのは好きでは有りませんが(好きな人いたらすみません)小説を映画にするというのは大いに興味が有ります。特に小説を読んで感じたあの躍動感、音と映像がついたらどうなる? と鳥肌が立ったので楽しみにしていたんですよ。
結果。
「私が見たのは映画ではない、ライブだ」
まさかまさか室町時代を舞台に観客も一体となる演出が繰り広げられるとは思わなんだ。しかも歌詞付きで手拍子OKだったのですが映画館も一気に室町時代の庶民の集まりに。Twitterで「映画を観てから小説を読んで良かった!」というツイートが有りましたがその意味が分かりました。音と映像がついて初めて犬王と友有の破天荒、最先端さを目の当たりにし思い知らされるのです。『鯨』の演出、良かったな〜。最後は「なんでも有り」と「この世のものでは無い」を行き来していて別次元過ぎました。
また作画が良いんですよね。変に美化されていなくて。庶民の歯並びの悪さとか悲鳴や慟哭の生々しさや血の夥しい赤赤赤! 土気色の多い埃っぽい感じが世の中の不安定さ、強いてはまだ足利義満の天下になっていないことを表しているようで上手い、とも思いました。なんといっても犬王の異形さにぎょっ、と眼を剥く。あの長いの、素で腕だったのか。
しかし室町時代というあの時代に、庶民の心を鷲掴みにしたのは革新的です。室町時代は確かに茶や侘び寂びなど現代にも伝わっている文化を生んだ時代ですが世情は相当不安定だったはず。その時代に庶民の心を楽しくさせた、というだけで犬王と友有が凄すぎる。義満はいずれこの熱狂が自らや幕府を陥れると危惧したのか……だから作品がまともに残っていないのか……でも犬王、誰も彼もが貴方を忘れてはいなかった。貴方と、貴方のそばに居た人を知った人はたしかに存在して、その生き様を「見届けよう」とした人はいっぱい居るんだ。
現代の能はすごく厳粛的で設備整った舞台上で演じられるものですが昔の能はもっと自由でした。映画を観てかなり戸惑ったことは当時としては普通のことだったんです。とっても自由だったんです。……音楽に問わずそもそも芸術や芸能というのは自由のものなのです。それが損なわれる国に幸福な未来など有りません。
音楽は魂語り、魂は自由に語られるものだ。
全ての自由に祝福と喝采の乾杯を! その時、全ての芸術の存在が肯定される。
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