8月の冬

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 8月。この時期になると、私は寝る時は決まって夏っぽい音楽を聴くことにしています。いつもおなじ曲を聴きながら寝ることにしています。別に有名な作曲家が書いた曲という訳ではありませんし、誰が作った曲なのかもよくわかりませんが、とにかくいつもおなじものを聴いています。多分この曲が最も私の波長とあっているのでしょう。私はこの波長、自分の感覚と調和が取れている感じを大切にしています。波長があっていれば何が好きであれ理由はいらないと思うのですけれど、この場合にあえて理由をつけるとするなら、昔の夏の情景を思い出しやすいのです。  私が子供の頃は家やビルがそこらじゅうに立ち並び、地面は土ではなくコンクリートでした。家の近くにはほとんど緑はありませんでしたが、神社の周りにだけはたくさんの木と土がありました。ですから、私は友達とよくその神社で遊びました。田舎での外遊びには勝てる気配は全くありませんがそれでも存分に楽しんでいたと思います。夏ですから、帽子をかぶり、虫あみとカゴを持って、水筒を肩にかけてセミを取ったりしました。動けば動くほど汗をかき、だからと言って止まっていても汗は吹き出しました。なにやら虫を捕まえてはカゴに入れ、そして逃がし、わあきゃあと叫びながら走り回り、少し疲れたと思ったら木陰でお茶を飲み、また騒ぐ。子供は疲れを知らないので、暗くなるまで遊び続け、大声で友達と別れの挨拶をし、家に帰ると母親に要らぬ心配をされながらお帰りと言われ、シャワーを浴び、夕飯を食らいつくす。こんなような夏をすごしました。  特に鮮明に思い出される今ではなくなってしまった昔の景色、時間に思いを馳せていると懐かしいと同時に、悲しいような寂しいようななんともやるせない気持ちに苛まれるのが決まっています。そして、そのような気持ちになるのは氷河や大雪に覆われた地表から降りてくる冷感も手伝っているのでしょう。私は安月給ですから地下深くの暖かいところには住むことができません。一年中この寒さに耐えなくてはなりません。そして、寒いとどうしても人肌が恋しくなってしまいますから。私は毛布を顎の辺まで持ってきて冷気に触れていた首を温めました。それでも今日はなんだか眠れないのでベッドから起き上がり毛布を1枚マントのように体にまきつけてキッチンへ向かい水をポットに入れて温め始めました。お湯が湧き上がるのを待っている間、さっきの続きを再開するように昔を思い出しながら部屋をぼおっと眺めていました。今住んでいる部屋には昔のような温かみはありません。今住んでいる家も昔住んでいた家もコンクリートや鉄で囲まれていたのには変わりはないですが、地上にいるというだけで暖かみはあったのでしょう。昔の夜は月光に照らされていましたから、直接的ではありませんが太陽光を浴びていたのだと、太陽を見られなくなってからそう思い始めました。それに屋内の無機質さも関係しているのでしょうか。地下は地上と違って空間を維持するために頑丈に作らなければならないらいようで装飾に労力を割く余裕が無いようなのです。せめて木目調のシートでも貼って自然の暖かみを偽りたいものです。そのようなことを考えているうちにお湯が沸き上がりましたので甘めのコーヒーを作り、ちびちびと啜って飲み干して身体が温まったのを少しばかり感じてベッドに戻りました。
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