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受験を終えて肩の荷がひとつ落ちると、途端に現在の学校へ登校することが手間に思えた。大して思い入れのない学び舎とその学友たち。三年生は受験期に入れば自由登校扱いになり、受験が終われば、受験した報告と卒業式以外に登校すべき理由はほとんど無い。
受験報告ーーこれが小晴には難儀に思えた。教師への事務的な完了報告とその手応えを伝え、在校生で同じ進路を選ぶ者に向けた受験の情報を用紙に書いて提出する。しかし、小晴と同じ進路を辿る者などたかが知れているし、第一、小晴自身がその用紙を見ずに受験を済ませていた。どうせ無いだろうという憶測もあったし、情報の鮮度に関わらず自分と他者では試験への勝負の掛け方が違うと思っているからだ。得意な魔術の分野が違えば攻め方も変わる。実力勝負でいく者もいれば内申書などで点を稼ぐ者もいる。後世に向かって果たして何を伝えたら良いのか、小晴は登校前日の夜半に途方に暮れた。
中学校にはゆきえを連れていかなかった。特に紹介したいこともないし、彼女がついて来たところで何の面白味も無さそうだからだ。ちょうど受験に備えていた頃から、ゆきえには客間が一室与えられ、本人も役割を求めるようになっていた。小晴の従者であると共に、六条家の一員にもなりつつあった。存外、召喚物は暇らしいーーいや、過去のゆきえが忙し過ぎたのかもしれないが。そこでゆきえには、庭で鍛錬する許可や、他の侍従たちと関わる許可を下し、邪魔をしない限り自由に振る舞って良い権利を与えた。小晴の部屋の本も自由に読んで良いことにした。そうした自由を与えると、六条家に関わる人間もゆきえに気軽に声をかけるようになりーーもちろんその姿を見せているときに限るがーー父・黎明も面白がって蔵書を貸したり最新の端末を触らせたりなどしていた。従者が受け入れられることは、良いことだ。あくまで小晴が主人である限り。
小晴は運転手の送迎でひとりで登校した。思えば嘉納手律香はハクツルに憧れを持っていたようだが、それは校風なのか、ブランドなのか、制服なのか、理由は分からず終いだった。この制服もあと数回しか袖を通さないのかーーと白いボレロ型を見下ろす。まあ、確かに制服のデザインは無駄がなくすっきりしていて良いと思うが、中学生が着るにはいささかすっきりし過ぎているような気もした。
学校に到着すると、真っ先に職員室へ向かう。ちょうど出ようとしていた教員に担任の名前を告げると、「ああ、受験かあ。お疲れさん」と労ってから中に通してくれた。名前は覚えていないが、人当たりの良い教員だったような気がする。
担任のところまでくると、さすがに生徒の受験スケジュールは把握しているらしく「おう、どうだった」と興味深げに聞いてきた。フレイザー魔術学園を受験する生徒の母数が少ないし、外部に漏れる噂も少ないので、生徒本人の結果よりももっと俗っぽい部分に興味があるようだった。この担任のそういう下世話なところが、小晴はあまり好きではない。
「無事に終わりました。たぶん受かると思います。あの、何か用紙に記入するんですよね?」
「あ、そうそう。これに頼むぞ」
担任はデスクの書類の山の中からクリアファイルを探し出し、更にその中に入った印刷物の一枚を手渡した。『受験調査票』というのがそのお題目だった。小晴はその紙を受け取って、礼を述べ、早々に職員室を後にする。教室に行くのもなんだか億劫で、図書室にその足を向けた。
授業中という時間帯もあり、図書室にはほとんど人が居なかった。小晴は窓辺の一人用の席を陣取った。
ハクツルの図書室はさすが名門校と言うべきか、使われるべき金の使われ方がなされていた。蔵書の数は豊富で、大学で使うような専門書も少なからず揃えてある。高校生ではおよそ読まないであろうビジネス書や自己啓発本、世界の名著の原文版など、一体誰が発注したのか分からないような種類もある。そして閲覧席は、中央に複数人が向かい合って座れるタイプと、壁に向かって並んだ仕切り付きの一人用席があった。小晴は一人用席の窓から見える景色が好きでーーそれに見知らぬ誰かと相席など御免だしーー特定の席をよく使っていた。
『受験調査票』と題された用紙には、受験した学校名・受験した科・試験内容・在校生へのアドバイスという四項目に分けられていた。小晴はとりあえず上から順番に埋めていく。科というのは普通科とか音楽科とかのくくりであろうが、フレイザー魔術学園の受験にはそんなくくりがないので、斜線を引いて無かったことにする。試験内容は、筆記・実技・面接それぞれ、おおむね出題された内容を書き出した。わざわざ問題用紙を持ってきて、それを見返しながら書いてやっているのだから、後世はとくと感謝すれば良いと小晴は鉛筆を走らせながら思った。
フレイザー魔術学園の受験科目に、いわゆる国数社理英の一般科目は含まれていない。そちらの成績は中学校側から受験先へ提出される書類でーーつまり成績表で判断されることになっている。小晴にとってその点も落ち度は無いつもりだったが、入学にあたって念のために復習くらいはしておこうかと考えた。受験がひと段落ついたからと言って全てが終わったわけでは無く、これからは入学に向けた準備を着々と行わなければならないのだ。
用紙を一通り書き終えて、すぐ職員室へ届けようか、それとも何か用事をひとつくらい済ませてからにしようか、少々考えた。すぐできることと言えば一般教科の学習、入学に向けて準備するもののリスト作り、簡単な術式の符の量産くらいであるが、どれも今手元にある物で始めるには些か心許ない。大人しく、小晴は用紙を提出しに職員室へと踵を返した。
職員室への道中、同じ学年の生徒らに遭遇した。クラスの垣根を越えて休憩時間を共にしているので、小晴は脳内で彼らを『越境型男女混合グループ』と呼んでいた。その他にも『閉鎖型女子サークル』『男女別空中回廊型ツインタワー』等、その存在は知っていても詳細な氏名を覚える必要のない面々に対しては好き勝手に呼び分けていた。
「あれ、六条さん、なんだか久しぶり! 受験、終わったの?」
「……ええ、まあ」
「それ、『受験調査票』? ねえ、見せてよ」
わっと周囲に群がってきたのを、小晴は疎ましげに一歩下がってみせるが、そんな小技は彼らには通用しない。男女構わず内側に入り込んでこようとする。さすがは越境するだけ、ハイソーシャルスキルの皮を被った厚顔無恥というわけだ。内心でそんなことを考える。用紙を一緒に持つ素振りから、巧みに絡め取られ、小晴自身の手から離された。
「ああ、六条さん、魔術学園かあ! どんなことをしたの? やっぱり、アブラカタブラ〜、みたいな魔法を唱えたりするの?」
「ばかねえ、そんな魔法あるわけないじゃない」
「魔法を使ったところ、見たことないな。見てみたい!」
魔法では無く魔術。詳細は用紙参照。不必要な魔術の行使は魔術師の倫理として御法度。この三条文をもって叩きのめしてやりたかったが、あえて小晴は笑顔の沈黙を貫いた。生理的に無理なのだ、と小晴も自覚している。こういう人材ーーそしてそんな人材に庇護される人々と慣れ親しむことは、無理なのだ。
ねえ六条さん、とすり寄るような撫で声を掛けられる。
「学園に、私の知り合いで、ときさわ銀行の頭取の御子息がいらっしゃるの。お見かけしたら、宜しく伝えて下さる?」
知り合っているのでは無く、一方的に知っているだけだろう。ときさわ銀行とは朱鷺沢一族という政治にも一枚噛んだ銀行屋で、社交界に顔を出す人間なら誰でもその名を知っているし、手広く事業を行なっているので無関係な家の方が少ないくらいだ。
小晴は聞かなかったふりをして、ぱっと掌を差し出した。
「用紙」
「え?」
「用紙、提出して参りますので、返して下さる?」
「……あ、ああ、ごめんなさい」
手に手に渡され、ようやく用紙が返ってきた。人の物を又貸しするものではない。むやみやたらと下世話に出歯亀するものでもない。なんて無礼な連中だろう、と歯噛みしながら、さっさとその場を後にする。背後で何を言われようと、どんな顔をされようと、あんな連中とはあと一ヶ月程度の付き合いだ。歩き出してようやく胸のすく心地がした。
ーー無粋な方々ですね。
不意にゆきえの声が振ってきて、足こそ止めないものの、悲鳴を上げかけた。
ーーどうしてこっちに来てるのよ?
ーー小晴殿の御学友はいかな方々かと、興味が湧きまして。
ーーつまらない人たちよ。
ーーそうでしたね。
ぬけぬけと納得したゆきえがいるはずの方向へ、小晴は目を向いてみせた。
ーーあれでも一応、三年間は喧嘩もせずに過ごしてきたのよ。
ーー喧嘩とは親しい者同士に起こることです。無関心な人々にはその気力さえ湧きますまい。
ーーなによ、分かってるじゃない。
そうだ、小晴は無関心ゆえに諍いを起こさず、平穏無事を装って過ごしてきてみせた。ああいう連中になりたいとは思わない。……ただ、友人が欲しかっただけ。
嘉納手律香は今頃、何をしているだろうか。やはり普通の中学生のようにグループを作って、その輪の中で笑っているのだろうか。それとも小晴のように、一瞬でも学園生活を思い、小晴のことを考えることもあるだろうか。
メッセに何か送ろうかーーだが互いの遠慮がぶつかっているのか、あの帰宅メッセージをもらって以来、特に更新は無い。まだ数日しか経っていないし、互いに生活というものがあるから当然かもしれない。
ーー新しい学び舎では、素敵な御学友が見つかると良いですね。
慰めか純粋な希望か、ゆきえがそんなことを言う。
素敵な御学友。そんな大層なものはいらないから、ただ下らないことでも笑って愚痴を言い合えるような友人が欲しい。
小晴は、カバンから手帳を取り出した。
ーーねえ、笑わないんでほしいんだけど。
ーー何ですか?
ーー私の、魔術学園に入学してからの目標、三つあるの。
小晴はそう言いながら手帳の四月の月間カレンダーを開いて、ゆきえに見えるようにした。右下のメモ欄、普段は大したことは書かない一覧に、大事なことを三つ、小晴は書き記している。
ネクロマンサーだとばれない。
友だちをつくる。
成績上位を維持する。
「これは……つまり?」
ゆきえは『姿隠し』をやめて小晴に問うた。純粋に、言葉の意味が分からないという顔をしている。
もう、と小晴は手帳を閉じた。耳まで顔が熱くなった心地だ。
「ひとが折角大事なことを打ち明けたのに。恥ずかしいじゃない」
「も、申し訳ありません。現代の文言はまだ、慣れぬゆえ……」
「ゴザソウロウとか、今は言わないものね。……分かったわよ、全部ちゃんと口で言うから」
ちょうど職員室までに中庭を抜けて通っていたので、小晴は、その途中の開けたスペースにゆきえを連れ込んだ。生垣の縁に並んで座り、改めて手帳を開く。
「二つ目の目標。何て書いてある?」
「ええと……ともだちを、つくる、と」
「そう。そのままの意味。私、友だちがいないの」
「ご友人がですか」
「そうよ。だから魔術学園では、共に学び、共に笑い、共に遊べる友人が欲しいの」
「はあ……」
ゆきえは真面目な顔で、間の抜けた返事をした。いかにも得心がいかないと言いたげだ。
「なによ、そんなに変な目標かしら?」
小晴は半ばヤケになってゆきえにぐっと詰め寄る。ゆきえは器用に身を反らしながら「いえいえ」と首を振ってみせた。
「友人……というものがゆきえには分かりませぬゆえ、何と申し上げたら良いか」
「分からないって、どういう意味よ」
「いえ。なにぶん、生来は戦、戦の繰り返しでしたから、子を持つことも、まして童のように遊ぶことも、とんと縁が無く」
「……ああ……そう」
そうか、と小晴は続けて、それきり二の句を継げなくなる。分からないのが当然と言えば当然か。そんな余裕のない時代に彼女は生まれ生きたのだから。だからと言って、じゃあ私も作りません、となるのは筋違いだと小晴も重々承知していた。主従共に友だち要らずのまま同じ長さの歳月を過ごしてきたのが何だかおかしかった。似ているのだ、妙なところで。
「そうだわ」
小晴は名案を思いついた。友だち同士がやることを、ゆきえと予行演習すれば良いのだ。そうすればゆきえにとっても、友だちが何たるか、その意義を知ることができるかもしれない。買い物に行きたい、とまずは思った。
「ゆきえ。今日は夕飯までの数時間、私に付き合ってもらうわよ」
「ええ、それはまあ、構いませんが」
そうと決まれば、準備、準備。小晴は足取り軽く、職員室へ野暮用を済ませに向かった。
「それで……私ですか」
小晴は送迎車に志桜里さんを乗せるよう連絡していた。志桜里さんには私服で送迎車に乗るよう指示していた。ショッピングモールに行くわよ、と小晴は意気込んでいた。
「ゆきえにも洋服を買ってやりたいと思ってたし、学園で使うソックスとかも欲しかったし、いいじゃない? 志桜里さんにも洋服の一枚や二枚、買ってあげるわよ」
「いえ、そこまでして頂かなくても宜しいのですが、ゆきえさんがいらっしゃれば、私などがつかずとも……」
「志桜里さんのファッションセンスを信じてるのよ、私」
小晴の私服はほとんどがデザイナーのオーダーメイドであり、生活時間の多くは学校の制服だったため、小晴本人が着こなしを考えて購入する機会など無いに等しかった。ショッピングモールという領域も未知に等しい。
多くの人間がショッピングバッグを提げて行き交う往来にゆきえは早くも圧倒されていた。
「人が……これではまるで合戦です」
「まあ、ある意味、合戦ですね」
ゆきえの怖気付いた言葉に、志桜里さんが応答する。
ゆきえには、忍び装束を解いてもらい普通の和服姿になってもらっていた。袴の下が長着なので、ただの和服趣味の少女と見れば違和感はない。袴や手甲などの装備は、刀と一緒に、送迎車の中にお預けだ。ちなみに切腹で切り裂かれた痕は小晴の魔術で綺麗に縫い直してある。
数ある侍従の中から志桜里さんを選んだのは、彼女が最も年若く、かつ小晴にも臆さず接してくれることが理由だった。歳はまだ二〇代前半、現在着ている私服のセンスも、街中やテレビで見るような無難な格好だ。
「では、お夕飯もあるので、計画的に買い物致しましょうか」
志桜里さんは腕時計を確認しながら言った。現在時刻は十五時、夕飯は十九時だが、このショッピングモールから六条邸までは車で三十分程度かかる。そして小晴はあらかじめ、コーヒースタンドに行ってみたいことも志桜里さんに伝えてあった。
「まず、お嬢様はどのような服をご希望ですか?」
「ええと……春らしいワンピースが欲しいわ。あとヒールが合うようなストレートパンツも」
「では、上の階にあるテナントショップを見てみましょう。そちらの方が希望に叶うデザインが多いかと。ゆきえさんはいかが致しましょう?」
「思い切ってスカート姿も見てみたいし……でも袴を履いているから、パンツの方が好きなのかしら?」
「ゆきえさん、男性のような格好と女性のような格好、どちらがお好みですか?」
「え? ええと、あのようなぴったりとした袴はちょっと……」
「では、お嬢様と一緒に試着してみましょうか」
志桜里さんを先頭に、エスカレーターで上階へ上がっていく。ゆきえはステップをタイミング良く踏み越えるのに少々手間取っていたが、すぐに慣れた。移動する床は面白いとやはり珍しがっていた。
上階の目当ての店に来ると、着飾ったマネキンの格好を参考に、小晴は色や裾の広がりの好みを志桜里さんからあれこれ聞かれ、色々な商品を肩の高さに合わせられた。髪の色やフェイスライン、脚の細さや長さなどをぶつぶつ言いながら、志桜里さんは手早く商品を入れ替えていく。プライベートな買い物もこんな風なのかな、と小晴は胸中で想像してみた。
「ああ。これはどうですか?」
ゆきえが生地の薄さや丈の短さにいちいち驚いている横で、志桜里さんは一着のロングスカートを手に取る。
「あら、ワンピースじゃないわ」
「お嬢様に合わせていった感じだと、ワンピースよりも上下を分けた方が、落ち着きが出てお似合いかと」
「ふうん、そんな風に考えるのね、おしゃれって」
「ワンピースを着て大人っぽく見える人と子どもっぽく見える人、色々いるのですよ」
言いながら、志桜里さんはスカートを小晴の腰の高さに合わせる。白の生地に小さな黒いドットの散りばめられた柄だった。裾は下方に向かって絞られた後、フレアに広がるよう処理されている。デザイナーの名前も何も刻まれていない洋服タグが新鮮だった。
いかがですか、とスタンドミラーに導かれて己の姿を確認すると、今まで選んだことも身につけたことも無い水玉模様のスカート姿の誰かが、小晴の顔をして知らんぷりで立っているようであった。
「上には何を合わせるの?」
「夏はノースリーブ、春は色つきのブラウスやニットにお手持ちのカーディガンを合わせても良いかと。一着、揃えていきましょうか」
「ええ、そうするわ。ついでにノースリーブも」
「シーズンが少し先ですからね、良いデザインが置いているかどうか……」
志桜里さんと辺りを見回して、それから互いに顔を見合わせる。スカートはこの店で決まりだが、上着はちょっと、とふたりの見解が合致した。
「では、ゆきえさんの分も選んで、ご一緒に試着してみましょう」
「ああ……はい」
とうとう自分にお鉢が回ってきたと言わんばかりの引きつった笑顔で、ウィンドウショッピングに徹していたゆきえが顔を上げた。
「何かお気に召したものはありましたか?」
「いや、てんで私には……」
ゆきえは小晴とさして変わらぬ背格好だが、顔つきも髪型も、ついでに言えば脚の長さや体つきも違う。栄養の変遷でこんなにも体つきが変わるものなのだなと小晴は妙に感心した。
志桜里さんと一緒に、とりあえず手にした物をゆきえの体に当てていく。やはりシックな、意外とポップに、挑戦的な差し色ーーと様々試したところで、あ、と志桜里さんが声を上げた。おもむろに自身のバッグを探り、一冊の本を出す。『東西今昔装束ミニ図鑑』と題された本だった。
「志桜里さん、何それ?」
「参考のために買っておいたのですが……ゆきえさん、下着を身につけておられませんね」
「えっ?」
声を潜めた志桜里さんに、思わず小晴は素っ頓狂な調子で聞き返す。
「そうなの、ゆきえ?」
「下着……とは? 下履きですか?」
「いえ、襦袢や湯もじといったものに近いようですが。何か腰に身に着けてますか?」
「……褌は履いておりますが」
小晴は絶句し、志桜里さんはやたらに頷いていた。
「透けたり、ボディラインが出るようなものは避けた方が良いでしょうね」
「ちょ、ちょっと待って、ふん……って、あなた女でしょ?」
「女性でも身につけていた時代があったようですよ。それにゆきえさん、普段は袴ですから」
「すみません。男所帯で育ったもので……これが普通では無いのですか?」
「いえ、時代の流れです。お気になさらず」
赤いの? 白いの? 小晴は混乱の渦中でそんな疑問を抱いたが、それとは別に、女同士なのに風呂へ一緒に入ったことも無かったと思い至った。ゆきえは別として、小晴は年頃ゆえの気恥ずかしさもあり、わざわざ誘う必要もなく、そのままで一ヶ月強を過ごしてきていた。意外と知らないこともあるものだと、改めて感じる。
「ゆきえさんは、別のお店で揃えてみましょう。一度、お嬢様、こちらのスカートを試着なさって下さい」
流されるようにフィッティングルームに連れていかれ、小晴は中に入って水玉模様のスカートを履く。制服のまま来ていたので黒のタイツが不釣り合いかと思ったが、案外似合うものだった。個室のカーテンを開けて志桜里さんに見せると、彼女も満足いったように頷いてみせた。
「お嬢様は、スカートは決まりですね」
「じゃあ買ってくるわ。次のお店、探しておいて」
小晴が会計を済ませている間に、志桜里さんは大方の目星をつけていたらしい。あちらの店に、と案内されたのは先ほどの店よりも更に若者向けの、くだけた感じの店であった。具体的には、ニット帽やキャップ、落ち着きのないでざいんのサングラスなどが店頭に飾られ、パーカーやダメージジーンズがメインを張っているような店だ。こんな所にまさか自分が足を踏み入れるとは思ってもみなかったし、志桜里さんのイメージにもすこぶる似合わない店柄であった。
「こういう物が良いと思うのですが」
陳列棚を探索していく中で、志桜里さんが二種類のだぶついたズボンを取り上げる。一本は裾の広いただのパンツ、もう一本はやたらに股下の長いパンツだった。
「これ、パジャマじゃないの?」
「違いますよ。サルエルと、ガウチョパンツです。れっきとしたお洒落ですよ」
確かにテレビでこんな格好の人を見たかも……と思い返してみたが、やはりその記憶には「だらしない格好」というレッテルを小晴は貼っていた。志桜里さんがこういったファッションを知っていて、なおかつそれをゆきえに勧めてくるのが意外だった。
「これならボディラインも出にくいですし、色も濃色が多いので透ける心配もありません。何より、袴の履き心地に近いのではと」
「なるほど……馬乗り袴に少し似ておりますね」
「上には大抵のものが合いますよ。お屋敷で召されるかはともかく、パーカーが一番安定していますが、個人的にはカッターシャツやブラウスなども合うかと。多少裾上げすると、ぴったりだと思います」
「……折角だから、一式揃えましょうか」
志桜里さんの熱がこもっていたので、小晴はある種の根負けを自覚した。一回戦目は志桜里さんの勝利、だけど二回戦目は私のコーディネートでいってやる、と妙な対抗心も芽生える。志桜里さんはこう見えて、ボーイッシュな格好が好きなのかもしれない。
会計を済ませると、小晴は早速ゆきえを洋装に着替えさせ、代わりに和服をショッピングバッグにしまった。着方に困っていたゆきえを手伝った折にちらっと確認した限りでは、ゆきえは胸に晒しを巻き、下には前垂れのない白い褌を履いていた。これならスパッツやレギンスを履かせればスカートも履けるな、と着替えを手伝いながら考えた。
ゆきえがパーカー・カッターシャツ・サルエルパンツの三点に着替えたところで、お鉢は小晴に回ってきた。先ほど買った水玉スカートの上に合わせる物を買うのだ。階を移動して店を探し、ついでにゆきえにも似合うスカートに目星をつけていると、あっという間に時刻は十七時を回っていた。
「カフェで休憩しましょうか」
荷物係をゆきえが買って出ていたが、既にその両手には複数のショッピングバッグが提げられている。小晴の学園制服用のニーソックス、ゆきえのレギンスとワンピース、志桜里さんとお揃いで買ったパンプスと、一通りの品が追加されている。さすがの小晴も疲労を覚えていた。ショッピングとは、楽しいが疲れるものだ。
メジャーなコーヒースタンドがテナントに入っていたので、その店を選んだ。テーブル席が幸いにも空いており、ゆきえに荷物番をしてもらって志桜里さんと小晴がレジに並んだ。
「Sはショート、Tはトール、Gはグランデですよ。Mサイズはありませんからね」
「それくらい分かってるわよ。調べたんだから」
「カスタマイズはどうしますか?」
「とびきり甘いのにするわ……シロップ追加よね?」
「カフェモカならホイップ追加もできますよ」
「え、そうなの?」
小声で驚きを伝えた小晴に、志桜里さんは珍しく堪えきれないといった様子でくっくと笑った。
「トールアイスカフェモカライトアイスノンファットミルクアドシロップエクストラホイップ」
「は?」
「呪文ですよ」
「うそ、そんな魔術無いわよ」
「このお店にはあります」
からかわれているのは重々承知だったが、主人をそんな風に扱う志桜里さんが珍しくて、小晴もつい許してしまった。姉がいたらこんな風なのだろうか、姉気質の友だちだったらこんな風なのだろうか……。
「ショッピング、楽しかったですね」
志桜里さんがレジに並ぶ列を数えながら呟いた。
「……ええ、楽しかった。本当に。ありがとう」
「靴を買って頂いたので、練習料金としては勿体無いほどです。本番、楽しみにしています」
「うん、楽しみにしてて」
小晴が志桜里さんの脇を小突くと、志桜里さんはくっくと笑って、「失礼します」と言いながら小突き返してきた。
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