8

1/1
前へ
/11ページ
次へ

8

 小晴の学園生活はまあまあの滑り出しでスタートした。一般教育課程と魔術教育課程が並行しているため教科は非常に多いが、小晴にとってはその量よりも、教科ごとの教室移動の方が難儀であった。とりあえずクラスメイトの向かう流れに合流したり、ゆきえの案内によって遅刻や迷子は免れていたが、授業でグループごとに分かれるような事態が起こる前に、教室の位置関係を覚えておくべきだと考える。  朝戸とは、お互いに遠慮ーー小晴の場合はプライドもーーがあり、ペアを組まざるを得ない状況以外では、移動教室へ一緒に行くとか昼ごはんを一緒に食べるとかいうグループ行動を積極的に取ることはしなかった。それが功を奏したのかは不明だが、小晴も何となく、合流して良い女子グループが分かるようになってきていた。時には形成済みのグループがわざわざ小晴に声をかけたり、ゆきえを話の糸口に会話を交わしたりという場面も増えた。  グループはおおむね、社交性の高いメンバーで構成されたもの、その対となるメンバーで構成されたもの、そのグループの間を渡り鳥のように器用に行き来する者、そして好んで一人行動をとる者と、小晴が今までの学校生活で観察してきたのと同じような分類がなされた。この点は、小晴にとって少し残念に思う部分であった。折角、魔術師としてバックグラウンドや志を同じくする人間が集まっているのだから、食指の異なるグループが形成されても良いと思ったのだ。とはいえ新しいグループを自ら構成できるほどの人脈は作っていないし、そのような派閥に付き物の面倒ごとが嫌で、小晴は現在の立ち位置を守ることを第一とした。  魔術倫理学では、教室移動は無かったが、四人一組のグループを作るよう指示された。仲良しペア二組が迎合するパターンと、仲良し三人組に誰かが合流する二パターンがあり、小晴は後者の形で迎えられた。  魔術倫理学の担当は上本という男教師で、肩までありそうな髪を後ろにまとめた、伶俐な顔の中年男性だった。鋭いフレームの眼鏡が、いかにも気難しそうな雰囲気を作っている。彼は教壇に立って魔術倫理学という科目が生命倫理学や法学、心理学を合わせたような内容であることをざっくりと説明した後、 「さあ、それでは電子タブレットを一旦閉じ、皆さん目を瞑ってください。リラックスした体勢で。今から私の言葉によく耳を傾けて、その内容をイメージしてくださいーー準備できましたね。さあ、今皆さんの体はどこにあるでしょうか。想像してください。足先が分かりますか? 指先は? 肘の先はあるでしょうか。温度はどうですか、暑いですか、冷たいですか、丁度良いですか? ……指先と空気の境目を意識して下さい。明確な輪郭が描けますか? 何処からがあなたで、何処からが私か、分かりますか? ……一分経ちました。皆さん、顔を上げて」  言葉に集中しすぎて、頭がくらくらした。二重にぼやける視界で上本を探すと、彼はその顔に似合わず教壇にどっかりと腰を下ろして足を組んでいた。生徒全員を眺め、眼鏡を押し上げる。 「一分前と今この瞬間の皆さん、違うところはありますか? 逆に同じところは? 何か思いついた人は自由に発言して」  リラックスした、気持ち悪くなった、変わったところはない、体がむずむずした、と何人かの生徒が意見をぱらぱら漏らす。小晴は発言こそしなかったが、一分前と同じ所に座っている、と思った。  上本は教壇の上で長い脚を組み替えながら続ける。 「私には皆さんがほんの二十秒間だけ姿を消したように見えましたよ」  え、と教室がざわめく。その反応が予想通りで嬉しいのか、くっくと彼は笑う。 「まあさすがにそれは冗談ですが……しかし反論できる人はいますか? ……いませんね。私の二十秒間と皆さんの二十秒間がこの空間で確実に共有されていたのか、証明することは非常に難しい。皆さんにとっては、暗闇から私の声が聞こえてきたでしょう。写真のように第三者の視点から瞬間を切り取れば、私が偉そうに教壇に座っていて、皆さんが目を瞑って何やら集中している画が撮れますが、その内面までは窺い知ることができません。さて、哲学の面白さはここにあります」  そう言って上本は教壇を降り、四人一組で固まる生徒たちの間を練り歩く。全員の視線を集めるようにして、ぴっと人差し指が天井に向けられた。 「自己と他者。私とあなた。時空間の共有。あなたは何を考えている? あなたは思考できる存在なのか? 生きているのは私だけであり、他のみんなはただの高度な映像かもしれない。私がこうして偉そうに高説垂れていても、皆さんがただの人形であれば、私はただの阿呆です。或いは喋っている私自身が、『私』と思い込まされているキャプチャの連続なのかもしれない。一瞬前の私と一瞬後の私は、思考や動作や性格と呼ばれるものをそのままコピー&ペーストされた別の存在かもしれません。……さて、ここで一つ、また皆さんにお聞きします」  生徒の大半が上本を茫然とした顔つきで見ていた。第一回目の授業としてはパンチが効きすぎている。しかし、こうまでしないと魔術倫理学というものは退屈なものになってしまうのかもしれない。  上本は教壇まで一周すると、生徒たちを振り返り、先程よりも張った声で呼びかける。 「私が死んでいる、あるいは生きていると証明できる人、いますか?」  無論、教室は再びざわついた。微かな笑い声も混じった。  ちっちと指を横に振って、上本は続ける。 「冗談を言っているわけではありませんよ。では、四人一組のグループで私が生きている、或いは死んでいるどちらかの立場をとり、その論拠を教えて下さい。今から十分間、話し合いの時間を設けます。はい、では始め」  どうする、とグループのひとりが呼びかけ、その声に応じて小晴を含めた四人が向き合った。どんな字を書くかは忘れたが、それぞれナツキ、アスカ、レナという名であることは確認している。 「先生は生きてる、よね?」  恐る恐る訊ねたのはアスカである。  え、とナツキが意外そうに反論した。 「生きてるとしたら何を理由にしたらいいの?」 「だってそこにいるし……」 「じゃあ幽霊はどうなの?」  そう突っ込んだのはレナである。この際、幽霊が実在するかどうかは問題にならないらしい。  小晴は、死霊はーーと言いかけて言葉を飲み込み、 「医学的に考えたら、心臓が動いて血が通っているなら、生きてるはずよ」  と、尤もらしいことを口にした。  そっかあ、とレナが素直に感心してみせる。 「じゃあ脳死はどうなのかな? よく話題になるよね、臓器提供の時とかに……」 「医者が何人か集まって決めるんでしょ?」 「生きてるのに死んでるって判定されたら怖いよね。生きたまま棺桶ごと土に埋められて、脱出する海外のニュースとか、たまにあるし」 「自分は生きてるのに、周りは死んだと思うってやつかあ」 「死後の世界って無いのかなあ? 天国、あたしわりと信じたいんだけど」 「死後って、死んでるじゃない?」 「あ、そっか。でもさ、死んでいる体でも、考えたり感じることができたら、それって生きてることと似てない?」  三人の議論は意外にも白熱していた。小晴にはどちらも擁護することができず、そうよね、とか、なるほど、と相槌を打ったり、医学的あるいは宗教的にはどうか、知識をもたらすことしかできない。話についていけないのではない。この三人の下す結論が、まるでゆきえに下される審判であるかのように怖かった。  ゆきえの体は死んでいる、それなのに、思考しているーーそれが死霊というものなのだろうか。  パンパンと上本が手を叩いて注意を引いた。 「さあ、十分経ちましたが、白熱していましたね。話合いはそこまで。現在出せる結論を、順番に聞いていきましょう」  大半のグループは、上本が生きていることを支持した。その理由は様々あるが、小晴が最初に示して見せたように、医学的な見地からの回答が中心であった。逆に、先生が死んでいるとか、半死半生であると結論するグループもあった。気をてらったように見えたが、その根拠は意外にもまともで、生きている自分以外は生死が不確定であるとか、実際に先生が死ぬところを確認しないと生きていたと言えない、というものだった。  上本は生徒たちの意見を簡潔にまとめた後、満足げな笑みを浮かべ、 「荒削りではありますが、皆さんが考えたこと、そして考えたその過程こそがまさに『哲学』であり、倫理学を支える根幹です。紹介が遅くなりましたが、この魔術倫理学では、通常の倫理学に合わせ、魔術が普及したことに伴う倫理の崩壊と再構築についても考えていきます。私から与えられる知識はあくまで知識であり、正解ではありません。例えば、何故人を殺してはならないか? 死とは何か? 魔術による殺人は現行の法で裁けるか? ーーこんな内容を、皆さんと考えていき、皆さんがそれぞれに意見を持ってもらうことが目標です。さて、もう時間ですので今日は以上です。本日の課題は特にありません。それでは」  上本が締め括ったのと予鈴が鳴ったのはほぼ同時だった。今まで息が張り詰めていたのを忘れていたかのように、どっと呼吸する。上本の弁舌は圧巻であり、少なくとも聞いている間はその全ての言葉が真実であるような力を持っていた。  ゆきえの生死はーーその境はーー果たしてどのように確かめたら良いのだろう? 鼓動の有無が生死を決めるのか、思考の有無が生死を決めるのか。それともゆきえという存在そのものは、思念体のように、過去に生存した本当のゆきえを模しただけの存在なのかもしれない……。 「疲れたねー。使わない頭を使った感じ」 「ねー。魔術倫理、難しそう」  そんな感想を交わしながら、自然とグループが解散されていく。小晴もいつまでも惚けていられないと電子タブレットで次の授業の確認をする。魔術演習基礎ーーグラウンドでの魔術の実技である。持ち物は移動教室用に購入した揃いのバッグに電子タブレットと、各自魔術に必要な道具を持ってくるよう説明されていた。小晴はゆきえが傍にいるか、魔力を辿って確認する。 ーー演習ですか。体を動かすのは良い機会です。座学が多いですからね。 ーーもしかしたらあなたに一番働いてもらうかもしれないんだけど。 ーー構いません、望むところです。好きにお使い下さい。  魔術倫理の話はどう聞いていたのだろう、それとも聞いていなかったのだろうか。ゆきえの態度は相変わらずだった。  小晴は他のクラスメイトと同様、ロッカーのバッグに電子タブレットと筆記用具を詰め、ついでにストックしてある符術の束も入れると、バッグを肩にかけて教室を後にした。魔術演習は一学年が一揃いに受ける授業なので、廊下は既に他クラスの一年生で溢れている。中には召喚物を既に出して連れ歩いたり、窓から飛び出して飛行する者も見られた。入学から数日を経て、どれくらいの魔術なら行使可能か、皆が何となく理解し始めていた。小晴も、やろうと思えばゆきえに運んでもらったり、飛行術や浮遊術で階段、窓をショートカットすることもできたが、周りに知らしめるような感じが嫌で辞めた。  小晴のちょうど前を、とぼとぼとした足取りで朝戸が歩いている。 「朝戸殿、お疲れですか?」  ゆきえが姿を見せながら朝戸に声をかける。突然の忍者の登場に周囲が若干ざわついたが、忍者の姿に見慣れ始めた生徒もいるようだった。 「あ、ゆきえさん……次の演習の授業が不安でさ。僕、本当に魔術が苦手だから」  朝戸は困ったように笑ってみせる。 「演習はね、実力ごとに班分けされるんだ。強い人は強い人と組んだ方が、お互いのためになるからね。ただ、定期的に実力試験っていうのがあって……これを通らないと補修を受けなくちゃいけないし、何よりキショウが貰えないから、一目で弱いやつって分かっちゃうんだよ」 「キショウって何だよ?」  いつの間にか他のクラスメイトも朝戸の話を聞いていたらしい。男子生徒が口を挟むと、朝戸は驚いて周囲を見回した。 「キショウっていうのはその、徽章、バッジのことなんだ。式典のガウンに着けるんだけど……」 「実力テストって難しいの?」 「ご、ごめん、高等科の内容は分からないんだ。たぶん中等科の後半部分くらいから始まると思うんだけど……」 「朝戸君もバッジ持ってる?」 「中等科のだけなら少し……でも本当に、違ったら、ごめんね?」  何とか質問から言い逃れる内に、教室棟からグラウンドへの出入り口に着き、質問攻めは自然と消滅した。生徒同士がお互いに「何するんだろうね」とか「緊張する」と声を掛け合いながら、ばらばらとグラウンドに集まっていく。  グラウンドは野球部のバックネット等はなく、砂地ががらんと広がっているだけの敷地だ。そこにいつの間にか白線が引かれたり、校舎とは反対側の方向にボードを積み重ねた数名の教員たちが待ち構えたりしている。演習の担当教員はひとりだが、補助として各クラスの担任も駆り出されていた。  教員の号令でクラスごとに何となく集まり、小晴と朝戸もその中に混じる。ゆきえはまたいつの間にか『姿隠し』をしていた。 「担当の宝井フレデリック博久です。宝井でもフレディでもご自由に」  確かに、日本人にしては鼻筋がスッとしており眼球の窪みも深かった。彫りの深い顔立ちが、春の陽光に陰をつくっている。 「さて、早速ですが今から全員に実技試験を実施します。これに基づいてグループ分けを行ない、より個人が課題に集中しやすい環境を作ります。これは一般の高校の体育授業に取って代わるものでもあるので、しっかり体を使うように。それでは今から実技試験の説明をするので、全員、タブレットを出して」  生徒全員がごそごそとバッグから電子タブレットを取り出す。小晴も倣って取り出すと、魔術演習基礎のページを立ち上げた。教科書を必要としない科目でも、担当教員や年間カリキュラムを示す為に、科目一覧を表示するアプリの中にページが用意されているのだ。宝井は、小晴が開いているページと同じページを全員に見えるように掲げた後、 「概要右下の『チェックリスト』を開いて。この画面です」  ずらりと術名とその内容がリストアップされたページに遷移した。浮遊術、空間操作術、防衛術、召喚術……等々、物々しく術名が並び、内容欄に、自身の浮遊・物の浮遊・浮遊物での移動、といった詳細が添えられている。 「このチェックリストを、一年間かけて皆さんに埋めてもらう予定です。チェックをつけると自動で通知が届き、徽章、つまり術を習得している証明であるバッジが手配されます。教員しかチェックをつけられない仕組みになっているので偽造申告はできませんよ。バッジの詳細についてはチェックリスト下部のリンクから確認して下さい。……では時間が惜しいので、早速始めましょう。浮遊術と空間操作術は私、防衛術は匣田先生、召喚術は寺島先生が監督します。それぞれ可能なものから教員のところに集まって指示を受けてください」 「既に召喚術を発動している生徒は、最初にこっちに来るんだぞー!」  宝井の後に寺島が続けた。見た目は宝井よりも粗野で体育会系っぽい寺島であり、こんな人種も魔術師として働いているのが少々意外だった。そんな寺島のもとに、小晴も含めて十人程度の生徒が足早に集合する。召喚した従者の姿を見せている生徒と隠している生徒は半々くらいだった。 「今から召喚者と従者のリンクを確認するぞ。姿隠しを解いて横に並べ。リンクを確認できた生徒から、宝井先生か匣田先生のテストを受けに行くように。召喚してない生徒はちょっと待ってろよ」  小晴たちの後方にも、別の生徒の群れができていた。何を召喚するか、どうやるのだったか、ざわついている。そんなざわめきを制するかのように、既に召喚契約を済ませている生徒たちは続々と従者の姿を顕にさせた。ゆきえもいつの間にか姿を見せている。横並びになると、端から順に寺島が手をかざして召喚者と従者の繋がりをチェックし始めた。  召喚者と召喚物が契約すれば、魔力回路が繋がり主従関係が結ばれる。その繋がりを確認する行為は即ち魔力回路の走査であり、技術としては中程度から高程度に難易度の高いものであった。死霊術における契約も原理は同じはずなので、寺島に妙なことを指摘されることはないはずだ。 「小晴殿」  ゆきえが何やら控えめに、こっそりと耳打ちしてくる。 「あの火噴き龍も、私と同じなのでしょうか?」 「……ああ、ドラゴン? 大人しいし、そうでしょうね」  遠慮して最後方に並ぶ生徒は、身の丈三倍ほどもある大型のドラゴンに轡を嵌めて従えていた。そうは言ってもドラゴンの火を噴く行為は呼吸レベルであり、制御が難しく、轡から火が漏れ出ている。一体どんな因果であんな龍を呼び出したのか、その召喚者を見てやろうと視線を巡らせると、いつかと同じような『彼』の視線とぶつかったーー入学試験の実技第四問で符術の危険性を指摘しようとした、あの男子生徒であった。彼は小晴に気がつくと、人懐こそうな笑みを浮かべて、さり気なく手を振ってくる。小晴も苦笑いしながら手を振り返した。  まあ、優秀そうな人だったし、居てもおかしくないわよねーー違うクラスとはいえ今まで気がつかなかったのは失礼に当たるだろうか、いやお互い様か。小晴は黙って逡巡する。リンクの確認が終わったら、声を掛けてみるのが得策だろうと思った。  リンクの確認の手順は存外短く、寺島が手をかざして「オッケー」と言ったら、電子タブレットを渡してチェックをつけてもらう、という流れだった。ピクシーを連れた生徒だけ魔力回路が細かったらしく占めて三回のチェックを受けたが、何とか通ったらしい。チェックリストにチェックがつくと、『バッジを手配しました。次のステップに進んでください』とポップアップが表示された。 「ねえ、久し振り。試験以来よね」  かの男子生徒がチェックを受け終わった時に小晴から声をかけた。向こうもそのつもりだったらしく、「久し振り」とすぐに応答してくれる。 「姿は見かけてたんだけど、声を掛けるタイミングが無くてね。ずっと気になってたんだ、あの実技試験の四問目の時から」 「私もよ。同じ質問者だもの」  小晴は何となく話題を合わせた。 「あなたのドラゴン、すごいわね。随分大人しいじゃない? ドラゴンってもっと気性が荒いイメージだけど」 「可哀想だけどちょっとだけ精神コントロールをしているんだ。代わりに、タガを外していい時間も作ってあるけどね。……君の忍者もいいよね、あの試験の時、庇う動作が格好良かった」 「そう? まあ、そうね」  率直に嬉しい言葉だったが、素直に反応するのも気恥ずかしく、曖昧に済ませる。 「自己紹介がまだだったわね。私、A組の六条小晴よ」 「僕はC組の黒濱駿。宜しくね」  互いに握手を交わした。男子生徒らしいしっかりとした大きな手が、小晴には新鮮だった。 「次、どっちの先生に行くか、決めてる?」  黒濱はドラゴンの姿を隠しながら訊ねる。  そうね、と小晴もゆきえに隠れるよう合図を送りながら、 「空いているのは宝井先生の方かしら。空間操作と浮遊よね」 「いっぺんにやるみたいだね。じゃあ、そっち行こうか」  ふたり連れ立って、宝井の試験がどんなものか見物しながら、待機列に加わる。  十人程度の生徒が一斉に、地面に置かれたサーフボードのような板を浮かせ、その上に乗って十秒間、空中に体を保持するというのが試験の大体の内容であった。板を単独で浮かせることと、その上に乗って自重のバランスを取りながらホバリングするのとでは、見た目は似ていても原理が異なる。術者自身の身体能力も問われるところであった。板ごとひっくり返る生徒や、空間保持できずにゆらゆらと動き出してしまう生徒も散見された。一年生だからこんなものなのだろう。  十人ずつ試験を進めていくので、順番が回ってくるのは早かった。小晴は黒濱と並んで板の前に立ち、宝井の「始め」の合図で、魔力回路を板に延ばして位置エネルギーを操作する。空間操作の符もバッグに入っていたが、魔力回路を直結させて操作した方が、自分が板に乗った時の操作も楽だと踏んだ。実際に幼い頃、アニメ映画の影響で箒にまたがって飛ぶ練習をしたこともある。ほぼ線状の箒にまたがるよりは、平面の板に乗る方がバランスも取りやすく簡便だ。 「それでは板に乗って、全員乗ってから十秒待機ーー乗りましたね、開始。一、二……」  宝井の朗々とした声がカウントを開始する。小晴は事前に足元を広く開いて支持面を大きくし、自重の重心と板の重心が重なるように調整していた。瓜型の板は底面が曲線を描いているらしく、些か重心が横にずれやすかったが、実用性を考えれば、流体力学的にそんな形の方が正解だ。小晴は文句も考えずに黙ってカウントを待った。  隣の黒濱を窺うと、彼も余裕の顔つきで板に乗っている。 「九、十」 「御免!」  宝井のカウントが終わるのと小晴の体が宙に待ったのは同時だった。  ゆきえに抱えられている。  宙に体がある。  空に閃きがある。  激流のように思考回路が戻ってきて、ゆきえの肩越しに前方を見ると、先程まで小晴が立っていた板は左右に分離して弾け飛んでいた。砂埃が沸き起こったかのように立ち込め、他の生徒の存在が確認できない。ややあって、その砂埃の中から残骸となった板が水平に飛んできた。 「防衛術式展開<シェル>!」  小晴は慌ててゆきえの背中に防衛陣を張る。水平に飛んできた板を見事に弾き返してやったが、誰か他人にぶつかったらというリスクが過ぎって、小晴は一瞬しまったと思った。  ゆきえに抱えられたままごろごろと地面を転がり、静止の姿勢を取れた時には既にゆきえが前方で小晴を庇っていた。 「死臭が致します」  先端の尖った鋼鉄の棒を取り出して、ゆきえが口早に囁く。切った唇の血を舐めとる仕草が後に続いた。  小晴は急いで魔力の流れを調べ、雷のような閃きが小晴ごと板を裂こうとしたのだととりあえずの結論を下した。生徒たちの悲鳴と先生の怒号が、切り開かれた砂埃の向こうから届くと同時に、金属のぶつかり合う鋭い音がグラウンドにこだまする。  黒い影がゆきえに刀を振りかぶり、ゆきえがそれを鋼鉄の棒で受け止めた音だった。 「貴様ーー」  ゆきえが気色ばんで呟く。明らかに感情を露呈した声音だった。  黒い影がばっと後方に飛び退ぶと、そこには同じような影が幾つも揺らめいていた。その影の間を縫って、制服にガウンを身につけた青年がふらりと姿を見せた。 「や、こんにちは。六条さん」  見たことのない青年だった。青白い肌を隠すようにガウンを着込んで、長い黒髪を肩まで細く編み込み、耳には魔術を込めていると思しきピアスやイヤリングがぶら下がっている。ガウンの襟には幾つものバッジの鈍いきらめきが漂っていた。  誰、と聞き返す前に、宝井が駆け寄りながら怒声を浴びせた。 「三頭、何をしている!」 「やあ、ミスター・フレディ!」  三頭ーー三頭鎮! 小晴は意外な人物の登場に息を飲む。朝戸が警告した人物が、何故ここに、しかも私を狙ってーー?  宝井の術式と三頭の術式が展開されるのは同時だった。宝井は捕縛を、三頭は術返しを。三頭の魔力が僅かに上回ったのか、宝井は痙攣したようにぴんと身体を反らして地面に倒れ込んだ。  やれやれと言わんばかりに頭を振って、三頭は小晴を振り返る。ガウンのポケットから、いつか見た黒いハンカチを取り出して、ひらひらと風に遊ばせた。 「これ、届けてくれてありがとう。もうひとりの子にも言っておいて。無事だったらで良いんだけどさ」  彼が言い終えないうちに、黒い影が飛び出してゆきえに襲いかかり、取り巻こうとする。小晴は符を消費して防衛術式を再度展開した上で、火炎の術式を重ねて起動させた。火の渦で黒い影を呑み込むつもりだったが、影は炎をまとうのも気にせずに、動きを止めない。たまらずゆきえが小晴を抱えて飛び退った。 「彼らは既に燃えておりますーー憎悪の炎に燃えております! 小晴殿、此処はご自身の防衛に努めて下さい!」 「でも、あいつら向かってくるのよ!」 「私が片付けます!」  ゆきえは小晴を背にして影に向かって飛び出した。いつの間に抜刀したのか、刀で鋭い剣戟を響かせ、小晴に近づけまいと複数の影を相手取っている。  相手は三頭鎮ーーもしそうだとしたら。小晴は脳みそをフル回転させて一瞬という隙間の中に無限の思考をねじ込む。彼が三頭鎮ならあの影は死霊術に違いない、そして死霊術の得体が知れない以上、他の魔術が効くかは分からないーーならば取る戦法はひとつ。術者自身への攻撃。  小晴はしゃがんだままの姿勢で自分の踝に両手を当てた。ひとつしかない戦法、それが有効かは分からないが、やってみるしかない。 「アタッチメント展開ーー防衛強化<アームド>、敏捷強化<クイック>! 召喚術式展開ーー武術概念装着<カンフー・コンセプト>!」  唱えるが早いか、小晴は地面を蹴って猛然と三頭の脇腹に飛び込んだ。ゆきえが影を押さえ込んでいる隙に、慣れない肉弾戦へと小晴自身が挑むしかない。  三頭もこれには虚を突かれたらしくぎょっとした表情で小晴の方を振り向く。 「石壁<ウォール>!」 「ひゃっ」  三頭が地面から石壁を出現させ防衛線を張る。小晴は衝撃にぞっとしながらも走った勢いのまま何とか壁を駆け上がり、その向こう側にいる三頭の頭上を取った。 「ーー捕縄<バインド>」 「捕縄<バインド>ーー!」  冷たい三頭の声と、祈るような小晴の声が、コンマ数秒の差を持って重なる。魔力が競り勝っているか確かめる余裕は無かった。ただ背中に太陽を受けて形作られた自分の影が、思った以上に小さなサイズで三頭に降り注ぎ、自分が矮小な存在であるかのような気がした。 「……小晴殿!」  手足が動かないーー頭上に襲い掛かったままの姿勢で落ちていく自分の体を呪いながら、一方ではゆきえに縋り付くためにぐるりと動かすことのできる眼球が憎らしかった。私は弱いーーゆきえに守ってもらってばかりーー主人たるもの後方に悠然と構えて従者に指示すべきではなかったかーー。 「貴様、クロハバキ!」  ゆきえが三頭に躍りかかり、たちまち影が立ち塞がる。それでもゆきえは刀を振るって両断し、いつの間にーーそして何処からーー手にした長い鎖付きの分銅を振り回して三頭に巻きつけると、勢い良く空に打ち上げた。  三頭と小晴の体が空中で一瞬だけ交差するーー小晴は激しく背中を地面に打ちつけて、その痛みに思わず呻いた。 「おおー!」  上空では、三頭が場にそぐわないにも程のあるのんきな歓声を上げている。その間に隙ができたのか、小晴が競り負けていた捕縛術も解けた。 「殺しちゃダメよ!」  起き上がりつつ、真っ先にゆきえに叫ぶ。 「殺しませんとも! ーー銘々、宜しいか!」  ゆきえは鎖をぐいと引き寄せて自分の腕に絡め取り、三頭を地面に打ち当ててから引き起こそうとしたので、小晴は慌てて防衛術式を地面と水平に展開させて三頭の体を受け止めようとした。三頭自身も身体を拘束されながら、小晴と同じように自身の身を守る術を発動させたらしく、魔力の重なりが小晴に感じ取れる。  地面のやや浮いたところで三頭の身体が二重の防衛術式に接触した瞬間、 「捕縄<バインド>!」 「観念しろ、三頭!」  教員たちの声が響いて、ようやく三頭の身体を拘束することができた。教員たちが急いで走ってくる姿が見える。 「大丈夫ですか、小晴殿」  腕に鎖を巻き付けたまま、地面にしゃがんでいたままの小晴をゆきえが抱き起こした。慣れない肉弾戦用の術式を身にまとったせいで、泥のような疲労感が小晴の体を襲っていた。鎖の向こうの三頭が地面に胡座をかいてにこにこと此方を見ているのが癪に触る。何を余裕ぶっているのか、あの男はーー。 「ねえ、君さあ!」  先の戦闘で僅かに色を取り戻した白い肌の三頭が、純粋無垢と言わんばかりの笑顔でゆきえに声をかけた。動勢を見守っていた生徒たちが静まり返り、その声がやたらにグラウンドに響く。 「僕の死霊の『クロハバキ』と知り合いなんだね!」 「……」  ゆきえは黙したまま三頭を凝視する。例の黒い影は三頭の暗黙の指示を受けたのか、その主人の傍に集まって蠢き、視線だけは容赦なくゆきえに注いでいる。  死霊の『クロハバキ』ーー。 「ねえ、それって」  静まり返っていた生徒たちがにわかにざわついた。 「六条さんって」 「死霊術師と戦ったのは」 「あの忍者みたいな従者」 「知り合いって」  ああ、やめて。違う。小晴はざわめきの終着点を聞きたくなかった。 「六条さんも、死霊を使ってるのーー?」  知らないことは、怖い。それは誰もが同じこと。私だってそう。  だけど……。  三頭はにこにこと笑っていた。  小晴はゆきえの腕の中で、否定することも肯定することもできなかった。  ーーそれじゃあね。三頭の口角がそんな形にゆっくり動いた後、彼は嗤うように舌を出した。術式の刻まれた舌が蛇のようにちろりとうねる。彼を捕らえていた鎖ががしゃんと地面に落ち、三頭は姿を消していた。影の群れも、人のざわめきも、何もかもが消えていた。 「……六条さん」  匣田が息を切らしながら駆け寄ってきた。小晴はゆきえに抱えられながらなんとか立っている。ゆきえが片手間に鎖を回収して袂に入れた。 「従者のあなたは六条さんを医務室に連れて行って。念の為、魔術回路が損傷を受けていないかも、診てもらってちょうだい。医務室の場所は分かる? 図書館のすぐ隣よ」 「先生、私……」  大丈夫です。そう言いたかったが、言葉を続けられなかった。  何が大丈夫なの?  自分を遠巻きに見つめてくる生徒たちの視線が、矢のように小晴の全身を射抜いていた。 「お連れ致します。では、失礼」  ゆきえが小晴をさっと抱え上げ、まるで矢から庇うように群衆に背を向けて走る。  小晴はゆきえの首にしがみついたまま、思考回路の停止についてぼんやりと考えた。頭が回らないことを、考えられないことを、考えた。光景がまぶたの裏でちかちか光る。単語がシナプスの繋がりをぐるぐる巡る。  三頭鎮。  クロハバキ。  ……クロハバキ。 「ゆきえ。クロハバキって、何?」  首にしがみついたまま訊ねた。ゆきえの脚が速過ぎるせいか、耳元でびゅうびゅう風が鳴いていた。ゆきえは小晴を抱えたまま軽々とグラウンドを抜け、中庭を抜け、中央棟に向かって行く。 「昔の……過去の敵勢です。黒い脛巾を揃いの衣装に、奥州は伊達家に仕えた忍び衆。しかしあれは……あの影は、黒脛巾組でありながら、その誰でもなかった」 「どういうこと?」 「黒脛巾組と我が羽黒衆は因縁の間柄、故にその顔ぶれの多くを記憶しておりますが、あやつらには『顔』がありませんでした。まるで揃いの能面でも着けているかのよう」 「じゃあ、あれは死霊じゃーー」 「死臭がしたのは、確かです。私には判じることができませぬが……彼奴らが地獄に身を堕としたならば、我が身もまた、同じなのかもしれません」 「……そんなこと言わないでよ」  小晴を抱えるゆきえの腕が、より一層強く、己の主人を抱き締めた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加