開店

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開店

 結局店長は開店時間になっても現れず、私は一人店を開けた。  レジの鍵がないので、客が来たらどうしようか、と思い、いつも隠している場所を探してみたら鍵が出てきた。レジを開け中を見てみると、昨日のままになっていた。私は深い溜息をついた。あまりにも不用心すぎる。今日入れたのなら分かるが、小銭が無造作に入っていて、昨日客の両替でもしたのだろう。売り上げ計算も多分していない。  私はコインケースをレジ下の棚から出し、今あるお金を数えることにした。私としては店の売り上げなんてどうでもいい。することも無く手持ち無沙汰なので暇つぶしだ。  店長が変わってから、全てが乱雑になってしまい心配になる。辞める身の私がそんな心配をする必要ないのだが、この店じたいは気に入っていたので、徐々に腐敗していく環境に少し悲しくなった。  お金を数え終わり、メモをレジに入れた。客も来ないので、外でキャッチすることにした。その前にビールを少し飲んだ。冷蔵庫から冷えたグラスを出し、それを斜めに持ちゆっくりビールを注ぐ。泡はなしにした。その苦みが全く好きではないが、いつまでも来ない店長に腹が立っていた。それを洗うのも面倒で、客から見えないところに追いやった。それが店長に見つかったとしても、別に構わなかった。  外に出ると、夜風が肌寒く心地良い。上着を着るほどではない。中を暖かくしている分、外の寒さが染みる。乾燥した空気で冬を感じる。人通りは少ない。  ぼけっと突っ立っていたら、隣の店のホストが下に降りてきた。金髪の可愛い顔の彼は、売れっ子だということは知っていた。客をタクシーに乗せるのを何度も見たことはあったが、こんな早い時間に見るのは珍しかった。一応挨拶をしておくことにした。 「おはようございます。」  この店で働き出して知ったが、あいさつはいつでもおはようだった。こんばんは、というのは使わない。それも理にかなっている。おはようは一番使いやすい挨拶だ。おはようございます、と言えば敬語になる。こんにちは、こんばんは、はいらないのではないか。敬語に出来ない上にです、ます調ではないのでなにかと使いにくい。  女の子でも通用するような可愛らしい顔の彼が、私を見てにっこり営業スマイルで応えた。 「おはようございます。さとみさんですよね。」  眉間に皺を寄せ、目を丸くして彼を見てしまった。多分かなり不細工だっただろう。私は売れっ子でもない、毎日入っているわけでもない。  それに私は彼の名前を知らない。名前を知らない人に自分だけ認識されていると相手が優位に立っているようで居心地が悪い。  それがまたホストということもあり、一瞬恐怖を感じたが、源氏名だったことを思い出して安堵した。 「何で名前知ってるんですか?」  少し不躾な言い方になった。 「あ、ごめん。以前お客さんが叫んでたの聞いて」  なるほど。そういうことか。それでも覚えているのが驚きだ。お客さんに叫ばれたことを私は覚えていないのだから、私もだいぶ酔っていた時のはずだ。最近店でそんなに酔っ払った記憶はない。それを覚えているなんて、さすがホストだな、と感心する。  髪色と同じ整った細い眉、髪はきれいに七三に分けられていて、風が吹いても乱れなさそうだ。人工的に作られた美しさ。私は好きじゃない。 「結構ラフな格好してるんやね。」  急にため口になり、それもまたホストらしくて少し笑ってしまった。どうせキャッチで暇なのだから、人気ホストとただで喋るのもありだな、と思った。 「うちはね。他の子は可愛い格好してはるよ。」  私もため口に切り替え、さとみモードに入ることにした。 「キャッチなん?」  馴れ馴れしい話し方はホスト特有なのだろうか。行ったことがないから分からない。居心地が悪いが、そのまま笑顔で会話を続けた。 「そう。木曜はいつもこんなんやよ。まだ時間も早いしね。」 「さとみちゃんやったら、呼べる客いっぱいおりそうやけど。」  さらりと褒める。さすがだ。悪い気はしないが、私はこの短い会話のやりとりだけで彼のことが苦手になっていた。ちゃん付けで呼ばれるのは好きじゃないし、お客さんを客と呼ぶ響きもやけに冷たく感じた。 「おらんよ。そっちのがお客さんいっぱいおるやん。キャッチしてるの見たことない。」 「キャッチはね、店前ではしやんから。」 「どっか行く途中やったんやね。引き留めてごめん。」  もう彼と話すことに飽きていた。年齢も私と変わらないか、もしかしたら下かもしれない男に馴れ馴れしく話されることに苦痛を感じていた。 「彼氏おるん?」  この男がかなり嫌いになった。私が会話を止めたいのは残念ながら伝わらなかったようだ。ホストならそれにも気づいて欲しい。 「おらんよ。」  相手には聞かなかった。知りたくもないし、結局いないと言うに決まっている。 「可愛いのに勿体ないな。」  もうお世辞はいいからどこかに行って欲しいが、笑顔で応えた。 「ありがとう。可愛い子は系列店にいっぱいおるよ。こっちの店にも来だしてるから仲良くしてあげてな。」  彼は私を見つめていた。きれいな顔で見つめられても脈拍一つ変わらなかった。 「さとみちゃん辞めるん?」  悲しそうな顔をしていた。よくもまあ、初めて喋った相手にそんな百面相が出来るな、ともう辟易していた。全てが嘘くさく見える。 「もう辞めてるみたいなもん。」  そろそろいい加減にどこかに消えて欲しくて、道を見渡して伸びをした。キャッチを始めるには人が少なすぎるが、彼との会話を終えたかった。 「俺のこと嫌いでしょ。」  急に核心をついてきて驚いたが、それを口に出すとは大胆だ。そのまま消えてくれたら曖昧にできたのに、やはり私は彼が嫌いだ。 「何で分かったん?」  もう投げやりになっていた。始めたのは向こうだ。 「さとみちゃん顔に出てるから。女の子に嫌われるのってあんまりないから新鮮。」  可愛らしい顔がニコッと笑って、綺麗な眉毛が少し下がった。 「ホストが苦手で。ごめんね。」 「いいねん。なんか他の子と違う感じやったから話してみたかったし、こういう店あんま似合わん子おるな、って思ってたから。俺、大樹っていうねん。大きいに樹雨のきで大樹。」 「きさめ?」 「樹雨って雨とかで木の葉っぱについた水が水滴になって地面に落ちることやよ。」 「果樹園のじゅ?」 「そうそう。でも樹雨って言った方が賢そうやん。さとみちゃんも一個賢くなった。」  ニコニコ笑う彼が少し可愛く見えた。 「でも呼ばんとってな。本名やから。」  人差し指を立て、シーッとポーズを取りにやっとした彼は人工的な美しさではなく、少年のように無垢に見えた。 「それ女の子に毎回言ってそう。」  少し心が揺らいだが、相手はホストだ。自分に言い聞かせるように言った。 「さとみちゃん手厳しいね。」  顔の中心に皺を寄せ、困った顔を作ってみせた。本当に百面相。彼と話していると、女の子が彼に落ちるのが分かった。表情がコロコロ変わり、子犬のように可愛く見えてくる。
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