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あの修学旅行の夜で、洞口はなんとなくクラスの中での株を上げた。話を盛る癖は相変わらずで、内容を八割引きで聞くという周囲の冷めた対応に変わりはなかったのだが、それでも洞口には一歳年下のカナダ人の彼女がいる。洞口はその子ともうキスをしているし、何ならちょっとだけ舌まで入れたりしている。
俺たちはそんなこと一度もした事ないし、現在の生活と環境を見る限り、当分できそうもない。
そんなある日のことだった。
俺は家の近所を歩いていて、たまたま遠くに洞口の姿を見かけた。洞口は茶色い髪を後ろで一つに束ねた女性と一緒に歩いていて、女性は大きな犬を連れて歩いている。俺はドキッとして思わず物陰に隠れ、こっそり洞口の後をつけた。
あの茶色い髪の子が、例のシェリルちゃんだというのはすぐに分かった。
やっぱりカナダ人は大柄だ。一歳年下だというのに、彼女は洞口よりも少しだけ背が高い。それに日本人より格段に大人っぽく見える。体型がなんだか妙に女性っぽい丸みを帯びていて、とても中学二年生だとは思えない。
これはデートも兼ねた犬の散歩だろうか。それにしても、都合よく可愛い外国人の女の子が親戚にいて、都合よく相思相愛になれるなんて、そんなマンガみたいなラッキーな境遇の人間が本当に存在するとは。
とても信じられないし認めたくはなかったが、こうしてシェリルちゃんの姿を現実に見せつけられてしまうと、事実として受け入れざるを得ない。
それにしても洞口のやつ、シェリルちゃんは金髪だと言ってたけど、あれじゃ金髪というか茶髪じゃねえか。あいつまた話を盛りやがったな……と俺は少しだけカチンときて、シェリルちゃんが一体どんな可愛い女の子なのか、顔を確認しようと足を速めてこっそりと後ろから近寄った。
どれどれ……シェリルちゃんの瞳はやっぱり青いんだろうか?
ん?……違えよ!!
この茶髪の女の人、洞口の母ちゃんじゃん!!
その時、洞口の母ちゃんの足元にいた大きなゴールデンレトリバーが、嬉しそうに洞口に飛びついて、大きな舌で洞口の顔をベロベロと舐め回した。
「おい! やめろよシェリル!! やめろってもう!! いつもくすぐったいんだよお前は!!」
迷惑そうに、でも少しだけ嬉しそうに愛犬シェリルの愛情表現を顔面で受け止めている洞口の様子を見て、俺はそっとその場を離れた。
この真実を明日クラスで全員にばらしてやろうかなとも一瞬思ったが、洞口のやつ、本物の女の子の舌の感触を知りたくて、犬がベロベロと顔を舐めてきた時に自分の舌をちょっとだけ出して絡めてみたのか……と思うと、なんだかこっちの方が無性に悲しくなってきてしまった。
……そっとしておいてやろう。
それまで俺の心の一部を占め続けていた焦りのような感情が、スッと嘘のように消え去った。それと共に、暖かい気持ちが心の中に生まれてくる。
今日見たことは、俺だけの胸の奥にしまっておいてやるよ、洞口……
(おわり)
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