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第十一話「孤独のクーベルチュール」
誰にも見られていないことを確認し、鍵のかかっていない扉を開ける。部屋の中で私を待っていてくれるのは、シュガーワンダーランドで時が止まったままのあの子。写真の後ろに添えられた花瓶に活けてあるマーガレットを新しいものに取り替え、彼女の前に座る。
「おはよう。今日も冷えるね」
小さな声で、ぽつり。
「ねえ、今でも、私のこと……見ていてくれてるのかな」
ひとつ、ひとつ、ぽつり。呟く。
「……私、クーベルチュールになったよ」
フレームの中で笑う彼女からの返事は、来ない。
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アイシーを出荷させ、後輩に世話係を引き継いだのが遠い昔のことのように感じる。季節は巡り巡って、正服のベストが厚いカーディガンに変わり、半袖のブラウスが長袖に変わり。真白な粉砂糖が一面を覆う冬が訪れていた。
〈逝ってしまった弟子たちの部屋〉を出て、廊下をひとりゆっくりと歩く。シュクルドールの世話係終了後、魔力が驚くほど安定し始めた私は、夏、秋、冬のテンパリングを一発で…しかも最高得点でクリアし、弟子の中で初のクーベルチュールランクとなっていた。私の上に数人いた先輩たちは事故や挫折などで一人、また一人とここを去り、気付けば私が一番の古株になっている。
「クーベルチュール様!」
リビングの扉を開けると、私に気付いた数人の後輩がわっとこちらに駆けてくる。
〈クーベルチュール様〉。後輩達は皆、唯一の最高ランクである私をそう呼ぶ。もう私を〈ミナ〉と呼んでくれる人はいない。〈見習い〉と呼ぶのも、六芒聖の皆様だけだ。
「みんな、おはよう」
「おはようございます、クーベルチュール様!」
「あの、クーベルチュール様、お食事はお済みですか?もしまだでしたら是非私たちとご一緒しませんか…!」
「あっ、ずるい!私たちもご一緒したいのに!」
「抜けがけは禁止って約束したじゃない!」
後輩達が言い争いを始める。醜い。皆〈唯一のクーベルチュール様〉に気に入られたくて仕方ないらしい。ふと、何人かの後輩が〈姉妹の契り〉というものが流行っていると話していたことを思い出した。先輩弟子が後輩を〈妹〉と呼び、後輩は先輩を〈姉〉と慕い、お互いを特別扱いする……というものらしい。そんなことをしている暇があるなら、魔法の練習をしたらいいのに。心の中で溜息を吐き、それを悟られないよう控えめな笑顔を貼り付ける。
「こーら、喧嘩しない。朝食はまだだから、皆で一緒に食べよう。ね?」
そう言うと、わあっと盛り上がる一同。嫌になる。私の平穏、静けさは何処へ行ってしまったんだろう。
ひとりになりたい。
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やかましい朝食を済ませ、やることがあるからと後輩をあしらい自室へ戻る。勢いよくベッドに身体を預け、キャラメル色の天井を見上げる。今日は師匠の手伝い当番ではないし、自作のドールは昨日出荷させたから特にやることもなく、訪れる微睡みに抵抗もせず意識を預けようとしていたその時、
パリン!と隣から硝子の割れる音が聞こえた。反射で身体を起こす。微睡みは逃げて行ってしまった。
「……怪我をしてる子がいたら、大変だ」
心地良い温もりを残すベッドから離れ、隣の部屋へ向かう。
隣の部屋……あの子のものだった部屋は綺麗に片付けられ、今は別の後輩が使用している。トントントン、と部屋の扉をノックする。
「今何かが割れるような音がしたけど、大丈夫?」
声をかけながらカチャリ、と扉を開ける。
「すっ、すみません大丈夫です!……って、クーベルチュール様?!」
今の部屋の主……リュミエが、中央に座り込んで何かを隠そうとしている。開けられたカーテンから注ぐ光を受けてキラキラと光るそれは、明らかに何かの破片だった。私に見られたことに焦ったのか、素手でそれらを処理しようと手を伸ばす。
「触らないで!」
「ッ!」
思わず大きい声を出してしまった。彼女の動きがびたりと止まる。
「……ごめん。鋭い破片に素手で触ると怪我するよ、……ゴミ箱、借りるね。危ないから離れて」
「え、ぁ、……はい」
彼女が破片から離れたことで気付く。それは飲みものの入っていた硝子瓶のようだった。近くにあったゴミ箱を手に取り、割れた瓶に手をかざしこちらに手招きする。残骸たちはふわりと宙に浮き、自らゴミ箱に吸い込まれていった。
「……うん、これで大丈夫」
「わあ……すごいです!」
「ありがとう。……ただ手が滑って割れた、ってわけじゃなさそうだね?」
図星、という顔をしながらさくらんぼ色のサイドテールを触るリュミエ。目が明らかに泳いでいる。この子は嘘がつけない。
「先輩、もしお時間あれば……話を聞いてくれませんか」
「……うん、いいよ」
「ありがとうございます…!」
つい断れず、了承してしまう。どうぞ、と誘導されたので、大人しくストロベリーのクッションに腰掛ける。彼女も正面のクッションに座り、話を切り出した。
「……わたし、ミルクランクなんですけど、魔力のコントロールが下手で。昨日、同期にこのままじゃ一生ランクアップできないかもね、って言われてしまって……」
「だから、練習を?」
こくり、と小さく頷く。
「まずは小さいものからと思って、テーブルの上のペンを浮かせる練習をしてたんです。そしたら魔力の軌道がずれて……瓶に当たってしまって」
「なるほどね」
「本当に、すみません……」
「いや、謝ることじゃないよ。苦手を克服しようとするのはとても立派なことだから」
「……ありがとう、ございます」
少し悲しげに微笑むその姿に、在りし日の自分を重ねてしまって。普段はそんなこと絶対に言わないのに、この子をなんとかしたいと、助けてやりたいと、そう思っていた。
「良かったら、私が練習見てあげようか?」
「……え、えっ?!」
「浮遊魔法は得意な方だから、何か助けになれるかもしれない」
「あの、あの、わたしはすごく嬉しいんですけど、えっ……?いいんですか……?」
「ふふ、私なんかで良ければ」
「なんか、なんて!クーベルチュール様に直接見てもらえるなんて光栄です!よ、よろしくお願いします!!」
ばっ、と立ち上がり、九十度でお辞儀する。その姿がなんだかおかしくて、声を出して笑ってしまった。純粋で、真っ直ぐで、可愛い子。この子の努力は報われてほしいと、淡い願いが心に芽生えた。
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「リュミエ、目を閉じて。ペンが自分の魔力で浮かぶのを強くイメージして、やってみて」
「わ、わかりました!」
「私のことは気にせず、落ち着いて、冷静にね」
「はい……!」
返事をする声が裏返っている。まだ緊張しているんだろうな、この調子で大丈夫だろうか。そんな私の心配とは裏腹に、リュミエは飲み込みの良い子だった。コントロールの拙い部分を指摘してアドバイスすると、それをきちんと理解して修正できる。数日練習すると、最初の頃が嘘のように魔力コントロールが上手くなっていた。
「クーベルチュール様のおかげです!!」
「リュミエが努力した結果だよ。よく頑張ったね」
「…!ありがとうございます!!」
練習が終わったあと、二人で夕食を食べるのも日課になっていた。リュミエは私の向かいでとても嬉しそうに笑いながらトマトパスタを口に運ぶ。あの子がいなくなってからずっとただの生命維持作業だった食事も、リュミエと二人だと楽しいものだと思える。
「これで次の試験、絶対にクリアできます!」
「うん、頑張って。応援してるよ」
「はい…!ありがとうございます、クーベルチュール様!」
「あ、それ。そろそろクーベルチュール様はやめてほしいな」
リュミエは一瞬ぽかんとした顔になったあとハッとして、あわあわと焦り出す。
「そっ、そうですよね!クーベルチュールって、ランクの名前ですもんね!ええと、どうしたら……」
「うーん、私に名前はないから……リュミエが何か考えてよ」
「わ、私ですか?!」
林檎色の瞳をまんまるにして、リュミエは驚く。そしてそのあと目を閉じて、うーんうーんと悩み出した。その姿につい口角が上がってしまう。この子の百面相はどれだけ見ていても飽きない。少し時間が経った後、ぴこん!と頭に電球マークを浮かべて話し出した。
「くー先輩、とかどうですか?クーベルチュールから頭文字をとって、くー先輩!」
「くー」
「安直ですかね……」
「ううん、かわいい。いいね、そう呼んでよ」
そう言うと、リュミエはぱあっと明るく微笑む。まるで本当に輝いているかのように。芯のある、眩しい、私にはもうないピュアな光。人の心を明るく照らすことが出来る、それがリュミエの魅力だと感じる。
きっと、私が……私も、純粋だったなら。この子を〈妹〉にしたいと、思っていたのかもしれない。お揃いのピアスなんてつくって、加護魔法なんてかけて渡して、浮かれていたりしたのかもしれない。
「くー先輩、来月のテンパリング頑張りましょうね!」
「そうだね」
「先輩はついに、魔女昇格がかかってるテンパリングですもんね!」
「うん。……頑張らなきゃ」
私の髪に咲く赤のマーガレットに触れる。
そんな素朴な幸せを手にする資格は、私にはないのだ。
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