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終「こんぺいとうに口づけて」
師匠とザルツ様の後に続いて、開いた壁の中から現れた螺旋階段を降りる。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。一体何度回ったのかわからなくなるほど降りた時、やっと終わりが見えた。
「お疲れさま、見習いくん。長い階段だったろう?手の届かない奥深くに封印しなければならないほど、神様の力は強いんだ」
これでもまだ浅いくらいだけどね、とザルツ様が呟く。こんなに地下深くでも、まだ足りないなんて、〈神様〉はどれだけの力を備えているんだろう。私には想像もできない。
階段を降りて細長い廊下を抜けた先にあったのは、祭壇の後ろの壁と同じ、ゴジアオイが狂い咲いている大きな六芒星が飾られた、扉。
トントントン、と師匠が扉をノックする。
「起きているかい?新しい魔女が生まれたから見せに来たよ」
『………。いいよ、入って』
か細く小さいのに、何故かよく聞こえるソプラノ。これが、神様の声……。
「じゃあ、開けるよ」
ギイ、と重苦しい音を立てて、六芒星が半分に割れ、扉が開いていく。
最初に目に入ったのは、床一面の緑と岩の壁。ここは部屋と言うよりは、洞窟の最奥と呼ぶべきなのかもしれない。そしてその奥には、一面のゴジアオイの花々。美しい花畑の中心にあるのは、結晶。天井にまで届きそうな、大きな大きな結晶の柱。
その柱の中心に、小さな女の子が閉じ込められている。
「っ師匠!あの子は、」
「やあ。久しぶりだな、神様」
「神様、ごきげんよう」
『久しぶり。メリアルーム、ザルツ。イルミルイムが魔女になって以来だから……何年ぶりかな?』
「さあ、何年だろう。数えることも忘れてしまったな」
「百年は経っているんじゃないかしら?」
明らかに動揺する私を背に隠し、女の子と談笑するお二人。本当に、あんな小さな女の子が〈神様〉なの?
『それで?新しい魔女はどこ?』
「ああ、紹介するよ。出ておいで」
師匠の声に促され、そっとザルツ様の背から隣に立ち、ぺこりと頭を下げる。
沈黙。静寂。何も聞こえない。不思議に思って顔を上げる。女の子と、目が合う。
半開きのその目には、まるで生気が感じられない。
きっと鮮やかに輝いていたであろうブルーベリーの瞳は濁りきり虚ろで、瞳孔は開き切っている。その死者の瞳に、私が映る。
女の子が、笑う。私だけを視界におさめて、微笑む。
〈やっと。やっと、来てくれたんだ〉
そんな声が、聞こえる。…………私、行かなくちゃ。
静かに歩き出す。吸い寄せられるように、その女の子の元へ。
「お、おい見習いくん!?」
「見習いさん、どうしたのです!」
師匠たちが慌てて私に声をかける。でも、そんなの、もうどうでもいい。
「くそ、見習いくんに触れない!」
「これは、上級遮断魔法……どうして?!今のあなたにそんな力はないはず…!」
「あの子には私のとっておきの忘却魔法を何重にもかけていたのに、どうして…!神様!!」
結晶の前に立つ。女の子を見上げる。
両手を胸の下で組んだ状態で、結晶に閉じ込められている小さな女の子。童話の通りなら、これは塩の結晶なのだろう。一糸纏わぬその身体には、大きな違和感がひとつ。
心臓が、ふたつある。
本来心臓はないはずの右胸が不自然に大きく膨れ上がり、とくんとくんと小さく脈を打っている。人間の構造として有り得ないものを宿した身体はその変化に耐えきれずに歪み、肋骨の何本かは折れて身体を突き破っている。やはり生気を感じられない。もう、その身体で生きていられるはずがない。なのにどうして、うごいて、話せているの?
『やっと、帰ってきてくれた。ーーーーの、片割れ』
「ッ!!!」
その声を聞いた瞬間、頭が割れるように痛む。思わずその場に蹲る。師匠たちの声が聞こえる、聞こえない。耳鳴りがする。たくさんの声が聞こえて、聞こえなくて、痛くて、ザルツ様が、リュミエが、レープ様が、痛い、痛い、ノア様が、痛い、イルミルィム様が、痛い、メテウム様が、痛い、痛い、師匠が、メリアルーム様が、痛い、痛い、痛い痛いいたいイタイ!!!!!!!!!!!!!!!
ああ、そうだ。思い出した。
ゆらりと、立ち上がる。結晶を見上げる。その死んだ目は、満面の笑みを浮かべていた。
『待ってたの。この姦譎な世界で、ひとりぼっちで、ずっと。さあ、もういちどーーーーといっしょになろう?……すべてを、思い出して』
「……うん、そうだね」
両手で、塩の柱に触れる。瞬間、私の手から伸びた茨が結晶に巻き付く。びき、びしびし、柱にヒビが入る。たくさん、たくさん。
「見習いくん!!」
「いけない、このままじゃ……結晶が、壊れる!」
ばりん!!
茨に耐えきれなくなった柱が、粉々に崩れ去る。
重力に従わずゆっくりと降りてくる女の子を、私はそっと抱きしめた。力の抜けた身体。ぐらりと傾く頭。動かない、左側の心臓。やはり、この身体は既に死んでいる。
優しく花畑の中心に寝かせ、右胸にそっと手をあてる。身体の外に出ている肋骨の先端は透けて、中に詰まっているたくさんの小さなこんぺいとうが見える。降ろした時に零れたそれを一粒、口に放り込む。
「……ん、美味しい」
ぺろりと唇を舐め、女の子の右胸に躊躇なく手を突っ込む。いちごジャムがあたりに飛び散る。粘ついた音を立てながら身体から取り出したそれは、心臓と同じ大きさの、真っ赤なこんぺいとう。
「私だけ、先に逝ってしまってごめんね。……もう一度、ひとつになろう」
迷いなくその心臓にかぶりつく。やっぱり私は、甘いものが好き。
ふと、春の終わりことを思い出す。
肉塊になったあの子を、私が殺してしまったあの子を。私は、ひと欠片も、血の一滴すら零すことなく、この胃に納めたんだった。どうして忘れていたんだろう。あの子を、
サクリを、食べたことを。
前に、サクリが自分は神様の捧げものになるはずだったと言っていたことも思い出す。運良くなんとか免れたから自分は生きている、生きていられるのはシュクルドールを創ってくれた魔女のおかげだって。
でも、やっぱり年をとるごとに人間はまずくなる。十六になったサクリの身体も、ほろ苦いビターチョコレートのようだった。美味しかったけれど、どうせ食べるなら一番甘くて美味しい時に食べたかったなあ。そう、生まれたての時に。
ぺろり、とからっぽの両手についたいちごジャムを舐めとる。サクリには感謝している。あの子が体内に持っていた魔力を直接吸収したおかげで、私は今ここにいられるんだから。
頭の中で、声がする。
『おかえりなさい。随分長い旅行だったね?』
「……ごめんね。私だけ、生まれ変わっちゃって」
『いいの。こうして帰ってきてくれたから、もう怒ってないよ』
新しい依代にうつれたし、と笑う片割れ。
『あの依代もお気に入りだけど、もう限界だったからね』
「うん。この身体は前のより強くていいでしょう?」
『うん、素敵!心臓がふたつになっても骨が飛び出なくてとってもいいね!』
「見習いくん!」
ゆるりと、入口に目を向ける。師匠……メリアルームとザルツがこちらを睨んでいる。
「……見習いさん」
「私のかわいい弟子を返してもらえるかな、神様?」
『「弟子?誰が?人間風情の弟子になった覚えはないな」』
「……お前、もう全て思い出したのか」
「『ふふ』」
「はあ……私の力作の忘却魔法も吹き飛ばしてしまうなんてね。そもそも、お前にここまでの魔力はなかったはずなのに」
『「ふふふ」』
「……やはりお前、あの夜」
にこりと、笑ってみせる。満面の笑み。メリアルームはそれで全てを察したようで、大きい舌打ちをした。
「遠く離れていた神を引き合わせ、復活させてしまったのは私の責任だ。これは、私が……一番星の名にかけて、刺し違えてでも鎮めてみせる」
「『さあ、ただの人間であるお前に、お前たちに、それが出来るかな?』」『「せいぜい私たちを楽しませてね!」』
足元のゴジアオイを踏み潰す。壊していく。愛しい片割れを閉じ込めていた窮屈な部屋を、教会を、この世界を。
そう、思い出した。忘れていた、私の名前。
『これからは、ずっと一緒だよ』
「……うん、ずっとずっと、一緒にいよう」
私の、私たちの、本当の名前は。
「『ーーースュグラ』」
Fin.
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