4人が本棚に入れています
本棚に追加
第八話「さよならレモンカード」
カーテンの隙間から入り込む眩しすぎるくらいの光で目が覚める。キャラメル色の天井。レモン色の布団。テーブルの上のマグカップには、冷めたホットミルクが残ったまま。
「……昨日、飲む前に寝ちゃったのかな」
のろのろと正服に着替え、赤と白のマーガレットを髪に咲かせて、冷えたマグカップを持って共用リビングに向かう。扉を開けた瞬間、ざわめきが一瞬ぴたりと止み、ひそひそと小声で話をする音で溢れる。誰が広めたのやら、試験での事故の話はもう全員に知れ渡っているようだ。真っ直ぐキッチンへ向かい、ホットミルクを捨てる。何も食べる気になれないのでそのままリビングを後にしようとすると、後ろから腕を掴まれた。
「待ちなさいよ」
「……なんですか、先輩」
「とぼけんじゃないわよ。アンタ、サクリを殺したんですって?」
「ちょ、ちょっと。事故だったらしいって言ったでしょ、やめなよ」
この人は、あの子と仲の良かった先輩だったはず。隣で宥めているのは、先輩の同期かな。
「故意じゃないとか関係ない、あんたが殺したんでしょ」
「……私だって、殺したかったわけじゃない」
「殺したのは事実なのね?」
「………」
「なんとか言ったらどうなの」
掴まれている腕にぎりぎりと力がこもってゆく。
「い、っ……!」
「ねえ、ほんとにやめなって。見習いちゃんだって同じくらい…いや、それ以上にショックなんだよ?」
「うるさい!!アタシの大切な後輩を殺しておいて、平気な顔してここにいられるアンタのことが許せないのよ!この、」
「やめなさい」
私の後ろから師匠の声が響いた。先輩の動きと言葉が止まる。
「どこから漏れたのか知らないが、あれは事故だよ。よくあることだ、見習いくんを責めるんじゃない」
「師匠!でも、」
「本当に魔女になりたいのなら、友人の一人や二人くらい殺す覚悟を持っていてほしいものだね」
「っ!!」
私から師匠の顔は見えないが、きっととても冷たい、氷のような瞳なのだろう。遠くから私たちを盗み見ている弟子たちが全員視線を逸らした。先輩の顔はどんどん青ざめていき、ゆっくりと私の腕を離す。
「見習いくん、少しいいかな?」
「あ、っはい」
師匠に連れられリビングを出る。「ついておいで」と言われたので、師匠の背中を追う。少し歩いて、辿り着いたのは一階の隅。普段の生活では絶対に訪れることのない〈開かずの間〉。師匠は何も言わず、ドアノブを回す。特に鍵や施錠魔法はかかっていないらしい。
扉を開けると、花の香りがぶわっと溢れる。ラベンダー?ローズ?ホワイトリリー?いや、それらだけじゃない、たくさんの花の香りが混ざったような、花畑のような匂いだ。
「おいで」
手招きされ、部屋の中に足を踏み入れる。部屋の壁に沿うように並べられたテーブルにはミルクホワイトのクロスがかけられ、その上にはぽつぽつと、少年少女の顔写真が飾られている。私と同じくらいの人もいれば、年上、年下もいる。年齢はバラバラのようだ。そしてその顔写真ひとつひとつの後ろに花瓶が置いてあり、それぞれに様々な花が活けてある。部屋中を包む香りはこの花々から来るものだとわかる。ここがどういう部屋なのか、すぐには理解できなかったが、あるものを見つけた瞬間にわかった。
飾られた写真の中のひとつに、彼女がいる。
私の表情が変わったのを察した師匠が口を開く。
「ここは、志半ばで逝ってしまった私の弟子たちの部屋。この部屋の存在は、その子に一番縁のあった子ひとりだけに教えるようにしているんだ」
「……この写真、シュガーワンダーランドの…」
「うん、彼女の部屋を整理した時に見つけてね。とてもいい笑顔だったから使わせてもらったんだ、勝手にごめんね」
「いえ、……私も、この写真、一番好きです」
「そうかい?良かった」
師匠は優しく微笑み、ちいさな子どもに言い聞かせるように話し出す。
「誰でもいつでも出入りできるよう、鍵はかけていないんだ。夜中に会いに来たくなったりすることもあるだろう?ただ、部屋の存在は公にしたくないから、ここに来る時は誰にもばれないように注意してくれ」
「……はい」
「写真の後ろの花瓶も、好きにしていいよ」
「わかり、ました」
「……あまり、気に病みすぎないようにね」
ぐしゃぐしゃと私の髪を荒らして、師匠はそっと部屋を出た。おぼつかない手つきで髪を整え、写真を見る。
扉の正面。テーブルの中央。気の抜けた彼女の笑顔が、そこに飾られている。近くに椅子があったので、彼女の近くまで持って行き、前に座った。
「……ねえ」
ぽつり、話しかける。
「………」
何を言えばいいのか、何から言えばいいのか。私に彼女に語りかける資格はあるのか?わからない。
「……怒ってる?」
咄嗟に口から出た。馬鹿みたいだ。怒る怒らないの問題じゃない。私がしたことは、到底、許されないことなのに。
「私、試験、不合格だったよ。当たり前だよね、角砂糖じゃなくて、ひとに当てたんだから」
スカートをぎゅっと握りしめる。喉が、声が震える。目頭が熱い。
「……ねえ、どうして……マーガレットのもうひとつの花言葉、あの時、教えてくれなかったの?」
写真の彼女とは目が合わない。それでも構わない。ぽろぽろと口から溢れる言葉が、抑えられない。
「部屋で、日記読んだ。……勝手にごめん。でも、なんで、あの時言ってくれなかったの……」
溢れた何かが頬を伝う。それを拭うこともせず、彼女の笑顔を見つめる。心臓が、どくどくとうるさい。
「……私も、すきだったのに」
その言葉を口にした、瞬間。
ずきり、と頭が軋む。思わず手で抑える。ぎちぎちと、押し潰されそうな痛み。蹲る。呼吸が浅くなり、呻き声が漏れる。
ーーー許さない。
そんな声が、どこかからぼんやりと、聞こえた気がした。
- - - - - - - - -▷◁.。
何度洗ってもレッドマーガレットのまま、ホワイトに戻らなかったヘアピン。彼女に返そうかと考えたが、やはりこれからも私が持っていることにした。これは彼女の形見であり、私への戒めでもあるから。
その代わりに、今年一番綺麗に咲いたというホワイトマーガレットを、彼女の花瓶に飾った。やはりあなたには白が似合うねと、つい笑みがこぼれた。
「……絶対に、あなたのことを無駄にはしない。私、師匠を越えるくらいの、魔女になるよ」
見ていてね。写真をそっと指でなぞる。フレームの中のレモンカードが私を見つめることは、もう二度とない。
最初のコメントを投稿しよう!