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「………………」
図書館の自習スペース。木製の椅子の背もたれに身を預けて、ソラノはふっと溜め息をついた。
あまり、化学は得意ではない。問題集もテストも、何となくフィーリングで解いている。
自分が将来進もうと薄っすら考えている道には殆ど関係のない科目なので、最小限でいいだろうとは考えているけれど。
それでも赤点は取りたくなかったし、ただでさえ出席が危うい立場なのに教師から呼び出されるのなんて嫌で。
また、トキノのお小言を頂戴してしまう。
「………………」
偶には授業に出てみようか、なんて考えもしたけれど。
周囲から浮くのは慣れている。それでも。教室、という空間に馴染めない。
あんな狭い部屋に何十人も押し込められて、ある程度の時間、薄い空気と退屈な講義に耐えるなんて苦痛でしか無い。
そんなちっぽけな拘りと若さが、ソラノの原動力。何事も自分の物差しで動く、迎合しない。それがソラノの生きるスタンスなのである。
「化学じゃなくて、英語にしよ……」
鞄から辞書と教科書を引っ張り出して。英語はそこそこ自信のある科目。だから、気晴らしには丁度よい。
ぱらりと捲ったページに書かれた文章、その見出しは何となく嫌な感じがした。
「……オーケストラと、マスコミュニケーションの関係性……」
そんなの、関係付けなくていいのに。何でもかんでもに類似性を見い出すなんて、馬鹿げている。
シャープペンのキャップをそっと口に当てて、溜め息をひとつ。
「……こんなこと、してる場合じゃないんじゃないか……」
呟いて窓の外を見やると、空の色は薄く樺色に染まり始めていて。そう言えば今日は両親の帰りは遅いと言っていたような。
「夕飯、どうしよっかな」
冷蔵庫の中身には期待できない。何か帰り道に済ますか、駅前のスーパーで何か適当に見繕うか。
「あ、あそこに行ってみよっかな」
寂れた商店街の隅にあるあの店に、ソラノはひっそりと目を付けていて。新装開店の祝い花がいくつか飾られていたような気がした。この時間ならそんなに混んではいないだろう。
「――山盛り生クリームの、パンケーキ」
魅力の塊。誰にも言えていないし言う必要もないけれど。実はソラノは、極度の甘党で。
「うーーーーーん」
ベッドに転がって、天井を眺める。
「少しだけ、仲良くなったはいいものの」
話してみたいことはたくさんあって。
今まで何を見て、何を感じて、どう言った練習をして、何がそこまでの「姉熊ソラノ」を作り出したのか。気になって仕方がない。
何かに興味を持つなんて。初めてフルートを手にした時のあのわくわく感やどきどき感にた何かと、同じような心地がして。
「舞い上がっちゃって、気持ち悪い」
そう呟くと、途端に、心の中に薄い闇が広がった。
「別に先輩は、何とも思ってないだろうし」
変な奴だって思われてるだけだろうし。でも。何かが変わってきた、とアリヤは直感する。
もっと、いろんな話をしてみたい。今までの事だけではなく。これから何を見て、何を考えて、生きていくのかを。
「………………ふぅ」
柄にもなく、溜息をついた。
アリヤ。トモハルにとって大事な幼馴染。
昔から、控えめだけど、表情自体は豊かで。
恥ずかしがり屋だったけれど、人一倍感受性が豊かで。
だから、吹奏楽部に入って、「やってみたいことを、打ち込めるものを見つけた」と喜んだ時は、自分も非常に嬉しかったのを覚えている。
「そのうち『あの日』の前のアリヤみたいになってくれるのかな」
少しだけ唇の端は上がって。でも。それと同時に去来する寂しさもある。
「オレもアリヤもいつかは大人になって」
それぞれの道を選ぶ事になるのだろう。その時に、自分はどうするのだろう。何を一番に考えるのだろう。
きっと、たぶん、おそらく。
「――ずっと一緒には居られない」
そのように明確に言葉にしたら、胸がきゅうっと締め付けられる。
「今が大事。限りある時間を、可能な限り、側で」
おかしいのかな。変なのかな。
幼馴染の枠を少しはみ出た気持ち。友達とも親友とも違う何か。
それは果たして何なのだろうか。答えはまだ靄の中。
「……寝よ」
トモハルはばさりと布団を被って。考えないように。気にしないように。
トモハルは、必死にその気持ちを押さえ込みながら笑顔を作っている。そのことは誰一人として知らない。
もちろん、アリヤですらも。
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