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「あ、アリヤじゃん。奇遇ー」
背後から、聞き慣れた声。
「と、トモハル? なんで?」
駅の改札、定期券を挿入したところで背後から聞こえたのはトモハルの声。先に帰ったはずでは。慌てて定期券を確認口から引き抜いて、財布にねじ込んだ。こんなところで会うとは思っていなかったから、何だか後ろめたい気持ちになった。
「えー、先帰れっていうから、飯食って、本屋ぶらーっとしてひと通り立ち読みしたし帰るかーって思ってちょうど今。待ち合わせもしてないのに改札前でばったりとか、やっぱり運命じゃん?付き合っちゃおうよ」
「は?あ、え、ええ……」
トモハルは、うそ、といつもの通りにけたけたと笑うけれど、何処と無く寂しそうな顔をしていた。
「帰ろうぜ、アリヤ」
トモハルも定期券を改札に通すと、灰色のフラップドアーが勢いよく開く。歩み寄って、にへへ、と笑った。
「アリヤ、昼、何か食ったの?ガッコーから駅までの道、ケッコーいっぱい食べるところあったぜ」
「えっ?あー。結局食べそびれちゃってる。ちょっとお腹空いたかも」
「じゃあさ、アリヤんところの駅のバーロワでも寄ってかない?」
「別にいいけど、トモハルもう食べたんじゃ……」
「バーガーとかは別にいらないけど、シェイクぐらい飲んでてもよくない?」
バーロワとは「バーガーローワ」の略。ハンバーガーやフレンチフライやらを安価で提供している、老若男女問わず訪れる所謂ファストフードの全国チェーン店。
殆どの主要駅の駅前には必ずと言っていいほど店を構えており、知名度も人気も高め。ちなみに、味のほどは値段相応。ただ、時間を潰すのにも小腹を満たすのにも、駄弁ったりするのにも、随分都合がいい店なのだ。
最寄駅。電車で三駅。近くもなく遠くもなく絶妙な距離。あと何年も通うのかと思うと、不思議な気持ちになる。
北口を降りてすぐにあるバーロワにふたりは入る。二階の端の席。いつもふたりで駄弁る場所。今日も運良く、人気は無かった。
「……で、どうだった?ワクワクした?」
「な、何が?わ、ワクワク?」
「吹奏楽部の練習だよ! 見に行ったんでしょ! どうだった? やっぱりまた楽器やりたくなった?」
トモハルは自分のことのように目をキラキラさせて。
自分のことよりも、アリヤのことを気遣いがちな時がある。もっと、自分のことを第一に考えてほしいなとアリヤは思っていたりもするのだけれど。
「え、えっ……? 別にその、練習を見に行ったわけじゃないんだけど……」
「でもさあ、さっき。校門から走って行っちゃった時。久々にめっちゃ真剣な顔してたよアリヤ。これは!って感じで……」
「そうかなあ、そうかなあ……。でも、まあ、うん。めっちゃ大きい人がめっちゃ上手にエチュードを吹いてたよ」
「大きい人? でかいの……?」
「うん……チンチラ、なのかなあ。チンチラっていって、僕らと同じウサギだけどめーっちゃ大きい種類の人たちなんだよね。初めて見た。フルートってさ、こう、ね」
構える仕草を見せて。右腕を少し浮かせて、右頬から三十センチメートルほどの宙を掴ませる。
「結構大きいし構えも特殊なんだけど、あの人が持ってるとまるで細い木の枝みたいに見えたし、リラックスもしていて、肺活量もすごそうで、めっちゃ上手かった。何よりこう音が輝いてるっていうか……」
「やっぱりアリヤ嬉しそう」
トモハルは微笑んでそれから、ストローでバニラシェイクを啜った。ずずず、と飲み終わりの音がする。
「ほら、昔はさ。アリヤはあの時いろいろ大変だったから結局辞めちゃったけどさ。またやってみればいいじゃん。音楽。結局、選択必修講義も音楽にしたんでしょ?せっかく環境も変わったんだし。……あの人たちは、もう居ないんだよ」
「ま、まあ……美術も書道も苦手だから選択肢が無かったというか必然だったというか……仕方ないっていうか。成績稼ぐなら得意なものの方がいいでしょ。コンクールとかが関係ない音楽ならまあ別にいっかって思って。確かに、もう……居ないけど、やっぱり」
語気は弱くなる。視線が泳ぐ。
「ふうん」
アリヤは煮え切らない。昔の出来事を怖がっている。無理もない。あんな責任は、年頃の生徒には重すぎただろう。
「俺さ、やっぱり、ステージの一番前で笛吹いてるアリヤがかっこいいなーって思うんだよね。またやってみなよ。音楽。俺もやっぱりサッカーやってみようかなって思ってさ! 」
「うーん……でも、でも、やっぱり……ちょっと……」
もう、大勢で演奏をするのは、怖くて。
「みんなとが嫌なら、ひとりで吹いてみるとかは?孤高のソリスト! みたいな感じでさあ」
「ひとりで吹いてても、あんまり面白くないし」
そう言ってから、ふと思う。
――ひとりで吹いてても、あんまり面白くない。
「あの人は」
ひとりで吹いていて、面白いのだろうか。それともどこかの著名な楽団に所属していて、たまたま何らかの機会があって、あんなところで、会館の下でひとりで吹いていたのか。個人練習でもしていたのだろうか。
「…………」
「あ、アリヤ? 考え込んじゃってどしたの?」
「うーん、ちょっと思うところがあって」
そうだよなあ、と呟きながらアリヤはチーズハンバーガーに齧り付く。それからフレンチフライを口いっぱいに頬張って、強引にオレンジジュースで流し込む。
「まだちょっと結論とか出ないけど、考えてみるよ。でも……やっぱり……怖いんだよ」
心底好きだったものを否定され、罵倒された経験は深く心にスカルペルを入れている。どうしてもどうしても、自分が再び楽器を手にしている姿を想像することができなかった。
でも。
あの人の演奏を、紡ぐ音を、また聴くことができたら。
何かが変わるかも……と薄っすら思ったのも事実だった。
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