01.桜風

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 南門を出ると、一気に住宅街が広がる。その片隅に小さなコンビニエンスストアが営業していて。アリヤは何気なく入店してみた。 「そういえばコンビニなんて……」  滅多に行かない、アリヤはそう思った。  自宅の近くには無いし、これまでの学生生活では無縁な場所だった。何かを買おうにも駅前のショッピングセンターで事足りたし、わざわざコンビニに行く必要はなかったのだから。 「……アイス」  喉が渇いた。アイスが食べたい。無性に。  上開きの冷凍庫。色とりどりのアイスが並ぶ。ソフトクリーム状のものもあれば、カップアイスも。モナカ形状のものもあれば、果ては饅頭まで様々。 「ふーん……」  アイスを選ぶことさえ、半ば新鮮な気持ち。  進学して、世界が広がったように感じる。閉鎖的だった自分の視界が開けた気がして。行こうと思えば何処にでも行ける。これまでの、監獄のような暮らしとは、打って変わって。  やりたいことができる環境。何度も夢に見た。  県内屈指の「自由な校風」で有名なこの学園。男子校であるが故に、ある種の無法地帯。学生という身分でありながら、何でもかんでもが許される。やりたいことを追求し、突き詰められるような。そんな空気がこの学園にはある。  ただその肝心な、やりたいこととは何だろうかと、アリヤは早くも壁に当たっていたのは事実だった。  チョコモナカとやらを買う。バニラアイスが主なのに、内部にチョコチップが仕込まれているらしい。何だか少しだけ得した気分。嬉しい気持ちを抱きながら、コンビニの外に出ると。  十メートルかそこらか。道路の向こう側。  彼が。大きなあの人が。歩いているのが見えた。  どきりとする。何も悪いことはしていないのに感じる、心の居辛さ。入口の自動ドアーの前で立ち尽くす。  帰り道だろうか。  そりゃあ、彼もおそらく普通の学生なのであろうから、登校して下校することくらいは当然するだろう。でも。ただそれだけのことでさえ、アリヤには特別に見えて。  手に持つのはいわゆる、学園指定のスクールバッグ。何かを聴いているのか、イヤホンをしているのが見える。それに加えて、右肩から斜めに提げるフルートケース。  行き先は駅であろう。そう考えると何故だか緊張してきた。 「別に……着いて行くわけじゃないし。駅まで、僕だって行くんだから。帰り道だし」  そう自分に言い聞かせて、アリヤは彼の、十五メートル後ろを歩くことにした。  まっすぐ、ゆっくりと歩く。偶にその短い尾は右に揺れたり左に揺れたりする。  駅から学園までの道の間に、特に寄り道ができるような店や場所はない。この地域で栄えているのは駅前だけなので、要は街中は、単なる通学路でしかないのである。  寂れた商店街を抜けて、街中を横一文字に横断する小川に沿って歩き、大通りを越え、駅前特有の繁華街を抜けると、駅が見える。  駅の前にはバーロワがあったり、ちょっとした駅ビルがあったりするわけで、寄り道するならまずは此処、となるだろう。  彼はそんなものには目もくれず、ホームへ続くエスカレーターを上り、真っ直ぐに改札へと向かう。そのまま、財布か何処かから定期券を取り出し、自動改札に通したのだろう。勢いよく開いたフラップドアーの向こう側へ、彼は進んでいく。  今日はここまで。今日わかったことは。  たぶん、学園の生徒で。  でぶ、とは言わないまでも大柄で。  眼鏡をかけてて、ウサギで。チンチラ。  やたらとフルートが上手い。  それだけ。それでも十分だった。また明日も会えるだろうか、という期待だけがアリヤの中に残る。  明くる日も、彼はそこに居た。  その次の日も、彼はそこに居た。  金曜日も、彼はそこに居た。  学校がある日は、いつもそうなのかもしれない。  放課後、同じ時間、同じ場所で、同じ曲を吹く。  毎日聴く、啄木鳥の歌、エチュード第一番、エチュード第三番。それに加えて、日替わりで、アリヤの知らない曲を彼は練習している。 「聴いたことのない曲だなあ。あの人がそのうち舞台でやる曲?何かの練習曲?うーん……」  アリヤも、図書館の脇に佇むベンチで、携帯電話を弄ってみたり、教科書を読んでみたりしながら、彼の紡ぐ音を聴くことが何となく習慣になりつつあった。  いつの間にか、そこにある事が当たり前になって。  いつもの時間にいつもの場所で、いつもの曲を吹く彼。彼の演奏を、いつもの時間にいつもの場所でひっそり聴く自分。  運動部の掛け声やらボールを蹴り上げる音やらが交錯しているけれど、彼の音色は一際鮮やかに煌めいて聞こえる。心地良さと憧れが折り重なって、でも。  遠くから想うだけ。まるで、叶わぬ恋のようだった。 「アリヤはさ」  結局部活どうしたのさ、とトモハルが聞く。 「部活? うーん入りそびれたというか…」 「ええー何で? ボランティアは?」 「ちょっと気乗りしなくて……」  結局のところ、昼飯は今のところトモハルと食べることになっている。クラスの話やら、結局なし崩し的に入部したサッカー部の話やらを矢継ぎ早にべらべら話しかけてくるけれど、何となく、アリヤは正直上の空。 「アリヤ?」 「あ、んん」 「最近どうしたの?」  なんか、心ここに在らずって感じで。 「そう?」 「アリヤの一番の理解者であるオレの目は誤魔化せないのだ! 」  得意げに鼻を鳴らしてから、トモハルはペットボトルのコーラを一気飲みして、ぷはっと息を吐いた。 「何かに悩んでる?『あの時』みたいだよ」 「うーん、あの時ほど深刻なわけではないんだけど、でも何か引っかかるっていうか」  もやもやしてるみたいな。 「そっかあ。何だか難しいなあ」  卵焼きに箸を通して、口に放り込んだ。 「部活だとタイミング逃した感あるけど、愛好会とか同好会は?何かの。クイズとか歴史とかそういうのあるじゃん」 「そういうのあんまり……」  今までさ、僕。音楽一筋だったじゃん。だから。 「何やればいいかとかよくわからなくて。せっかく何でもできる場所に来たのにね」 「でも、音楽、もう嫌なんでしょ?」 「う、うーん……」  そうなんだけど。正確には、音楽そのものが嫌なわけではないのだけれど。 「そういう系の愛好会とか無かったっけ。メタルバンド同好会とか」 「ああいうすごいガンガンなやつは何だか気が引けちゃって。弦楽器はできないしさ、ギターとかベースとかはかっこいいと思うけどね」 「じゃあ何がいいのさ」 「もしやるならやっぱり……」  吹奏楽、オーケストラ、室内楽……少しお堅く見える類のクラシカルなもの。 「ふうん。じゃあさ、週末楽団みたいなやつは?市報とかにたまーに募集あるじゃん。土日やってます、みたいなやつ」 「ああいうのは枠が決まってたりするから、なかなか厳しいんだよね。それにきっと、フルートの枠なんて埋まってる」  大編成の楽団でも、フルートの本数はそんなに要らない。団に二、三人所属していればいい具合。況して、音楽教室も流行り始めているし、フルートやサックスといった気軽に始められる、手が届きやすい類の楽器はプレイヤーも多いから。 「ああ言えばこう言うって感じだなあ。じゃあ自分でどうにかしなよって言うしかないよお」 「まあ、そうなんだけどさ」  音楽からは離れたい。新しい何かを探したい。そう思ってはいるけれど。でも。  ――あの人の音を聴いていると。 「…………」 「アリヤ? 黙っちゃってどしたの?」 「あ、何でもないんだけど。ううん」  それきり。まだ思いは形を成さない。何がしたいのか、自分の居場所は。  焦る必要はないけれど、焦りが出てくるのも事実。やってみたいこと、とは何なのか。自分がよくわからない。  今日も彼は会館下でフルートを吹いている。  同じ時間、同じ曲。アリヤも、ベンチに座りながらぼんやりとその音を聴いている。  目を閉じると、春の盛りを過ぎた温かさと、風の穏やかな凪と、彼の音が混ざり合った心地よさに包まれる。このまま眠ってしまいたいほどに。  ――音が止んだ。  アリヤは携帯電話の画面を見やる。  ――帰りの時間か。  すっかりとこの一連の流れは生活のリズムになった。日々を何となくぼんやりと過ごし、放課後を楽しみに。彼に校舎内で会うことはないけれど、おそらく彼は先輩、なのだろう。何となく、そんな感じがした。  渦巻く気持ちが少しずつ、少しずつ形になり始めている。  話をしてみたい。何となく、そう思うようになった。  どんな人なのか。何を思い、いつも同じ場所でフルートを吹いているのか。どこかの楽団に所属しているのか。  勝手に自分の中で神格化していって、目の前にいるのに、半ば遠い存在のように思い始めている。  切欠。何か切欠はないだろうか。 「僕も、吹けばいいのかな……」  昨日のテレビはどうだったとか、プレイしているゲームの進捗具合がどうだとか。とりあえず話をし始めるのは共通項が必要なのは、人付き合いには大切なことだから。  何か掴みたかった。あの人と共通の話題はきっと、銀色の笛のことしか無いだろう。  エチュードの第三番難しいですねとかそういう、当たり障りがないことから話していければ。  ――あれ。  どうして。こんな事考えているのだろう。もう音楽なんて、って思っていたのに。複雑な気持ち。  あの人と話をしてみたいという思いは事実としてあったけれど、どうしてだろう。どうして、話してみたいなんて思ったのだろう。  あまりにも、奏でる音がキラキラしていて興味を持ったから?  あんなに難しい曲をさらさら吹けていてすごいなって思ったから?  急に答えは靄に隠れて、見えなくなった。 「うーん……」  視線を少し上、真正面にずらすと。首を上げてると。  目前を彼が通り過ぎていくのが見えた。 「――――!」  息が詰まった。胸が苦しい。特に何をされたわけでもないのに、自分で勝手に苦しがる。  ほんの一瞬がまるで永遠のように思えた。  その大きな身体、眼鏡をかけた横顔、腕捲りをしたワイシャツ。肩から提げたフルートケース、少し汚れたスクールバッグ。  その横顔は、アリヤのことなど風景の一部にしか捉えていないようにただぼんやりと前だけを見て。  どこへ行くのだろう。南門はこちらではないはずなのに。  アリヤの前を通り過ぎた彼は、そのままの足で、図書館の中へと入っていく。その様をただただ見ていただけ。ようやく我に返る。 「あ、ええと、その……」  あの人だって、図書館くらい行くだろう。どんな本を読むのか、図書館で何をするのかはやはり気になって。  まるでストーカーみたい。そんな思いも過ぎる。 「深追いはやめよう、かな……」  自分に言い聞かせるように。ただ、その気持ちは、好奇心と混ざり合って心を濁す。  大きく息を吐いて、帰ろ、と鞄の持ち手を少し乱暴に引っ張った。
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