01.桜風

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「ちょ、ちょっとトモハル! 一体全体何してくれちゃってんのさ!ばかあっ! 絶対もうダメだよお……」  ため息を混ぜながら、がくりと肩を落とす。 「いやあー俺のスマイル通用しないなんてビックリだぜ! あの先輩ナニモンなんだ?」 「知らないよ……チンチラだから動作とかがゆっくりなのかもしれないけど……」  それにしても。鋭い目つき。ぶっきらぼうな性格なのだろう。奏でる音色との落差が激しすぎる。 「まあまあ。結果オーライかもしれないよ?」 「どこがっ! 完全バッドエンドじゃん!」 「もしかしたらさ、変な奴って思われたかもだけど」  ――何か言ってたよね。アリヤ。 「あ、え……」 「何か先輩に言ったの?伝えられたんじゃない?」 「………………」  確かに。適切な単語が出てこなくて『エモい』なんて言ってしまったけれど。  確かにあれは本心からの言葉であったし、入学してからほぼ毎日、彼の音を聴いていた感想だった。 「前進したじゃん。昨日のあの子かなって、覚えてもらえるかもよ?」 「……そうかなあ」  完全に、印象は、最悪では?  アリヤはもう一度ため息をついて。その様子を見て、トモハルは嬉しそうに笑う。 「何。何かおかしい事でもあるの」 「いや? アリヤ、久々に笑ったなって思って」  ざあっと、風ひと凪。陽の光を浴びた生温かい風が、ふたりの間を抜けていった。 「えっ……?」 「アリヤのそんな顔、久々に見たよ」  少しだけ、寂しそうな目をして。帰ろ、と促した。  陽が落ちる前の帰り道。大通りに沿った歩道をふたりは並んで歩く。 「『あの日』からアリヤは随分淡白になったよね。だから」  オレ、すごく心配してたんだよ。もう、笑ってくれないんじゃないかって。 「…………そう……」 「元通りじゃないのかもしれないけど、ちょっとは持ち直したってことで」  少しだけめでたい、トモハルはそう続けた。 「あのでっかい先輩、見た目とかは怖いけど、何だか根っこは優しいような気がするんだよね」  オレの第六感、と付け加えて。 「…………そう、だね」  トモハルの「人を見る目」は、信頼できる。幾度となく、アリヤのことを助けてくれて。  ただ、一回だけ、忠告を聞かなかった時があった。その時にアリヤは深い傷を負うこととなる。 「ところでさあ、オレ達勝手に先輩だって思ってるけど」  ――そもそも、先輩なの?  ――さあ? 「んで、何が『絶対ダメ』なの?」  少しだけ意地悪そうに、トモハルは聞く。  えっ、とアリヤは真顔になって。 「『絶対ダメ』って何なのぉ?」 「えっと、その……」  も、もう少し。 「ちゃんとした話し掛け方をしたかったなって」  アリヤはそれだけ、そんな風に答えた。 「……そっかあ」  複雑な気持ち。上手く飲み込めない。幼馴染の微妙な変化を、トモハルはいち早く察知していた。  夕暮れなずむ寂れた商店街を歩きながら、放課後の出来事に思いを馳せる。 「…………………エモい」  その言葉を何となく呟いて。 「今時の若い子の言葉なのかな……」  ソラノは三回生。自分も十分若いはずであるのに、どことなく斜に構えたところがある。世間に疎いところもある。それがソラノの性格だった。  スクールバッグに付けた、銀色の懐中時計。リューズと一体になったボタンを押下すると、きぃん、と音がして。  薄いベージュ色に、ローマ数字の記された文字盤が現れる。大体、いつもと同じ時間。  ソラノの生活リズムは、ほぼ決まっている。同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、同じ時間に学校に着いて。学園ではなんとなく過ごして、放課後になったら好きなフルートを好きなだけ吹いて、気が向いたら図書館で自習をして帰る。  そんな日常。それがソラノの居る世界。厳密な決まりはないけれど、大体、という距離感、ボリューム感で生きている。 「………………」  自分はこんなに大きな図体でありながら、心は空に舞う鳥のようでありたいと願う。何物にも縛られず、何物にも靡かず、何処にも属さず、いつもひとり。  ただ、周囲から浮いている、とは思わない。  人目を気にすることに意義は見いだせないし、割く時間も無駄であって。その時間は、前を向いて、練習をしたり勉強をしたり、自分を高めることに使えばいい。  そんな、確固たる考えを持っていた。良くも悪くも、大人びている。それがソラノの本質なのである。 「出席とるぞーーーー」  一限目。始業のチャイムが鳴って。  日本史担当の鳥添が教室の引き戸を閉める。 「あー。あねぐまーーーー。姉熊は、今日もおらん?」 「おらんでーす」  教室の隅から微かな笑い声が聞こえてくる。  それはまるで、当人の不在をいいことに、軽い悪口を言うような。小さな噂話のような。  そういえば、クラスメイトの大半は、彼の姿を見たことすらなかったのだ。 「いー。猪原ー」  あーい、と気だるい返事。制服を着崩していても、鳥添は特に気にも留めない。 「猪原、姉熊どこにおる? お前ら仲良しさんだろ」 「ソラノっしょ? ガッコーには居ると思うんスけどー。図書館じゃないっスか?」  アイツ、楽器吹いてるか自習してるかのどっちかだし。
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