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さらに数年が経ち、定年退職後に一人マンションの1LDKで暮らしていた時だ。
俺を、悲劇が襲った。
これまでの無理と、退職をした事で張りつめていたモノが切れたからなのか、買い物先のスーパーで脳内出血を引き起こした俺は半身不随となり、一人で日常生活を送る事が出来なくなった。
俺は施設介護を望んだが、それに反対したのが既に結婚をしていた娘であった。
娘は俺を在宅介護すると強く主張し、周囲の反対を押しきると、寝たきりの俺を笑顔で自宅に招いてくれた。
「なぁ、在宅介護とか大変なのが分かってるのに、何でそんな無理をして俺をココに招き入れてくれたんだ?」
セッティングされたベッドに寝かされると、俺は疲労感を漂わせている娘に向かって、それとなく訊いてみた。
「だって、お父さんもアタシが小さい時、一人でアタシを育ててくれたじゃん」
娘は屈託の無い笑顔を浮かばせると、続けて言った。
「で、お父さんさぁ。
よく、アタシに訊いてきてたよね。
『今日のご飯、口に合ったか』って。
正直言うとさ、あの時は面倒くさいな、って思って適当に答えてたんだけど、結婚して旦那にご飯を作り始めたらお父さんのあの時の気持ちが何となく分かってきたんだよね。
あっ、料理を始めたばっかりの時って、こんな自信無くて緊張するんだな、って」
数十年の時を経て聞かされた娘の告白に、俺はただただ閉口するしかなかった。
「だから、今度はアタシの番だよ。
今度は、アタシがお父さんの面倒を見るの。
介護食で美味しいのって難しいかもしれないけど、もしまずかったらあの時のアタシみたいに遠慮なく言ってね。
あの時のお父さんみたいに、アタシも介護食を美味しく作れるよう必死で頑張るから」
夕食の時間となった。
俺が食事をするテーブルの上には、かつて俺自身が得意料理としていた「豚バラ大根」が載っていた。
「口に合った?」
小さく切られた大根と豚肉を俺の口に放り込むと、娘がおそるおそる尋ねてくる。
俺は目尻から一筋の涙をこぼすと、「……美味しい」と麻痺によるたどたどしい口調で答えた。
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