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料理を始めてみた。
……いや、正確に言えば、始めざるを得なかった。
理不尽とも言える交通事故で妻に先立たれ、幼い一人娘と二人きりとなった結果、俺は「父親」として家の為に働くのと同時に「母親」として日々の暮らしを支えていく事も余儀なくされた。
死んだ妻の見よう見まねで始めた家事は、最初は失敗の連続だった。
洗濯と掃除は、まだ過去の記憶と会社の後輩からのアドバイスで何とかなったが、料理だけはしばらく苦戦が続いた。
「少々」と「小さじ」の区別がつかなかった結果、高血圧を引き起こすような味付けになったり、鶏肉に牛脂を用いたりなど感性のみで作った俺の「手料理」は、当時小学生だった娘の顔を何度もしかめ面にさせたモノだ。
このままではいけない、と考えを改めた俺は、本格的なレシピ本を読み込んだりテレビで料理番組を繰り返し見る事で、少しずつ料理を覚えていった。
その結果、俺は徐々にではあるが、自分と娘の二人を満足させる事の出来る料理を作れるようになってきた。
が、まだまだ試行錯誤の連続であり、「口に合ったか?」と、料理の出来を娘に尋ねるのがもはや日課となっていた。
「お父さん、今日は何作るの?」
「豚バラ大根」
本格的に料理を始めて、数年。
冷凍大根を使って、醤油と酒とみりんで味付けした「豚バラ大根」は、俺の最も得意とする料理となり、この頃になると高校生となった娘も、俺の手料理をどこか心待ちにしている雰囲気を醸し出していた。
さらに数年が経った。
短大を卒業して就職をした娘はある日、一人の青年を連れてきた。
「前に言ってた、付き合ってる彼氏」
「柴田直人です」
この「直人」という青年は、娘と結婚をしたいと俺に切り出してきた。
俺は直人という青年に「これまでは俺が雪絵の人生を支えてきたが、これからは君が雪絵の人生を支えてくれ」と告げ、二人の結婚を快く了承した。
娘が結婚して家を出ていくと、俺は一人となった。
残されたモノといえば、愛していた妻との思い出と、娘と二人で過ごした悪戦苦闘の日々の思い出くらいだ。
しかし、それらの思い出は、窓ガラスから差し込んでくる3月の陽光みたく、一人となった俺の日常をじんわりと温めてくれた。
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