陽炎

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 暗闇の中でわたしの体を粗雑に這う骨ばった薄い手と、汗の匂いに混じって鼻につく甘ったるいフレグランスの香り。生温かい吐息と共にねじ込められたきついジントニックの味がする舌。  もしお腹の中の子が生まれて父親について訊かれた時、わたしの記憶にあるのはたったこれっぽっちの薄弱としたものでしかない。運命的な出会いでもなければ、月日を重ねて育んだものすら何ひとつない。ただ、酒に酔ってその場に居合わせた顔も思い出せないような男がこの子の父親なのだ。男の名前? そんなもの知らない。わたしに似ていないところがあれば、それがその男から引き継いだものなのだろう。  この子は今、わたしとおなじものを感じて、わたしとおなじ音を聞いているのだろうか。深く冷たい暗闇に包まれて、内臓を揺らす鼓動を。 「もう言うてる間やね……」 「うん」 「からだ、しんどない?」 「うん」 「なんか飲む? 買ってくるで」 「いらん。ここにおって」 「だいじょうぶ。おるよ」 「なあ史穂(しほ)ちゃん」 「ん?」 「わたしな……」  わたし──。  生ぬるい夜の風は真昼の日差しを存分に滲ませて、濡れた体を撫でるように通り抜けていく。時折お尻のあたりまでくる波が、ひやりと体の熱を奪って、そして未だにわたしの体を僅かに攫おうとしてくる。空には鈍色の雲が広がって、星も月も覆いつくしている。ワンピースを押し上げるように膨らんだお腹の上には、史穂の小さな手がそっと添えてある。こつんと小さな振動がお腹を揺らすと、史穂はわたしの目をじっと見つめてくれた。やさしく微笑む史穂の、そのまっすぐにわたしを見据える瞳には、憂いに歪んだ表情のわたしが映っていたにちがいない。  ほらまた。  波がわたしの体を名残惜しそうに攫おうとしてくる。
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