禁断

6/9
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 夏になると地下通路は熱気で狂いそうになった。人と段ボールハウスが密集しているせいで、風は全く通らない。路面に体温を吸い取ってもらおうと開きのように寝転ぶ連中でごった返し、彼らの上には陽炎が生じていた。熱い空気を吸い込んで、更に熱を増して吐き出すのだから、息苦しいことこの上ない。  ダムさんがしきりにわき腹を庇うようになったのはその頃だ。かつて「先生」に膿を出してもらった位置である。さする範囲も、以前より広い。 「痛むのかい?」  そう気遣うと、ダムさんは小さく頷いた。痛みに耐えて、長い睫が小さく揺れる。この距離でそれを眺められる地位を、私はようやく手に入れていた。  暑さは誰にでも平等だった。逃れるため、多くが伸ばし放題の髪や髭を短くし、シャツを脱いで半裸になった。温和な顔で暴力の印を隠してきた者たちも、肌に描かれた過去をさらす。刺青は汗と垢で色艶を失っている。  ダムさんもまた彼らと同様に隠しておきたいものを明るみに出さざるを得なかった。  水泡だった。  左胸のすぐ下から、右腰の横合いまで、巨大な水泡が斜めにずるりと伸びている。てっぺんにほくろがあって、ギョロリとにらみを利かせていた。水泡にしては皮が分厚く、腫瘍にしては表面が滑らかだ。 「どんどん大きくなっているんです」  ダムさんは自らの腕と同じくらいに大きくなったそれを、そっと撫でた。つい先日まで下側はへその辺りにあったと言う。  独り言が増えたのもこの頃である。頭を抱えて蹲り、時に大きな声で叫び出す。痛みに耐えているのかと思えば、そうではなかった。そんな時、わき腹は押さえていない。 「頭の中で、声が誘うのです」  そう説明した。どんな声が何を誘うのかは、口にしようとしない。ただぶつぶつ呟く言葉が、その声への返答であると知るのみだ。 「食わない、食わない。言いつけは守らなきゃ」  勿論、意味はわからない。  その場にいない誰かに謝ったり、突然「殺す」と叫ぶのは、ここでは日常茶飯事だから、彼のそれも同じものと誰もが思った。しかし彼には過去がないはずだ。声の主は、いったい誰なのか。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!