禁断

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 夜になると駅前には路上演奏者がやってくる。そのほとんどは若者で、恋人かその予備軍の女の子を数人目の前に座らせて、声を限りにギターをかき鳴らす。たまに外国人も混じっているが、こちらは大抵プロである。CDを売ることが目的だ。仕事帰りのサラリーマン達が足を止めるのも大抵は後者の方だ。  外国人演奏者にはメキシコ系の顔立ちが多いが、中には欧米とおぼしき者もいた。くすんだ金髪を後でひっつめたそのバイオリン弾きは、黒一色の衣装を来て、気品のある顔を通行人に向けている。スカートから出た足先を大きく開き、仁王立ちの足元には小銭を投げてもらう為のバイオリンケースがある。大きな蝶のように開いたそこにぱらぱらと小銭が散らばっていた。奏でる曲が原曲よりテンポが早いのは、客の回転率を上げる為か。だが残念なことに、その日客足はあまりないようだ。  ダムさんがそのバイオリン弾きをぼんやり眺めていることに仲間が気づいた。「川田」と名乗るここに来たばかりの新入りだった。胡麻塩頭をすぐに伏せて滅多に視線を合わせない小心な男だ。小柄だが体つきは頑健だから、肉体労働で稼いできたのだろう。 「何か思い出しそう?」  と、ダムさんに尋ねている。打ち解けにくい者も、ダムさんには胸襟を開く。 「いえ…ああいう楽器を見たのは、初めてで。静かで、力強い音ですね」  すると居合せた「先生」が、ダムさんに車椅子を押すよう頼んだ。そしてポケットから取り出した百円玉をバイオリンケースに落とすと「G線上のアリア」と言った。  金髪のバイオリン弾きは「先生」の体臭に眉根を寄せたが、一方でダムさんに目を移すと、旧知の友人のようににっこりと笑いかけた。  テンポの早い「G線上のアリア」は、一分程度で終わった。生演奏に満足したのか、「先生」はうんうんと一人頷き、二言三言、奏者と言葉を交わしてから戻ってきた。 「ダムさんのこと、知ってるみたいですか?」  川田が好奇の目を向ける。 「いや、そういうわけではない。そういうわけではないんだが…『この人は牧師か』と訊かれたよ。なんというか…神々しい、みたいなことを言っていたな。訛りがひどくて要領を得なかったが…ああ、英語のことだよ」  「先生」はそう言って苦笑した。私達は「先生」が本当に英語がわかるか訝ったが、神々しいという表現にはそれなりの説得力があった。  当のダムさんはにこにこしているだけで、さほど興味を示さない。疼くのか、時折眉根を寄せてわき腹を押さえるだけだ。
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