禁断

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 翌日から「先生」は姿を見せなくなった。あの後ろ姿にそんな予感がしたから特に驚きはなかった。 「ラジオどこいったの?」  しばらくしてふいに仲間の一人がそう言ったが、答える者はなかった。「先生」について交わされた会話と言えば、それくらいだ。  あの一件から、誰も身の上話ができなくなった。曰く、本当は一緒に住みたいという家族がいるがここの生活が気に入ってあえて留まっている、曰く、故郷に帰れば自分の店があるが、息子のためにあえて身を引いてここにいる…。どれも罪の無い嘘だ。承知の上で耳を傾け合うのが礼儀だったが、裁かれる恐さにその甘味は消されてしまった。  不思議なもので、裁きの一件以降、ダムさんの周りにはどんどん人が集まるようになった。カリスマ性という言葉があるが、そこから感じられる人々を牽引する響きさえ除けば、彼を評するにはこれほど適切な言葉はあるまい。寄ってくるほとんどの人間が彼に気に入られようとするあまり彼のように善良であろうとした。  多くの人間が感化される一方で、見習えない一面もあった。ダムさんは労働に一切興味を示さなかった。与えられれば感謝して受け取るが、それを自らの力で得ようとはしない。野生の木の実を気が向くまま口に入れるようなものだ。  取り巻きの連中は彼に貢がねばならないから、同じようにはできない。善良さと豊かさが表裏一体であることを痛感したことだろう。  「先生」の件でもう一つ加えるとしたら、川田はあれ以降、立役者のように振る舞い、ダムさんの側で大きな顔をし始めた。そしておどおどした態度との落差を快く思わなかった古株が、ゴミ漁りの縄張りを制限し、ダムさんへの献上品どころか自分の食い扶持も危うくなって、ひっそりと姿を消した。ここに来る前もふとしたきっかけで増長し、同じように追い出されてきたらしい。それからもダムさんの周りには「先生」や川田のように側近を気取る人間が現れては消えていった。  ダムさんの周囲には吸い寄せられるように人が集まり続け、小さなグループはいつしか集落と化していた。  独りでは生きられず、しかし深く関わり合うのも煩わしい私たちは、集合と離散を周期的に繰り返すことで濃密な関係とグループの肥大を本能的に避けてきた。それがダムさんが核となったことでベクトルは集合にだけ傾き、暴走を始めた。  地下通路の両側に段ボールが連なる。どれもが私たちの仲間の家だ。貧富の差が生じて、大きな家、小さな家が現れる。サイズがまちまちの段ボールハウスは道を狭くして通行人の反感を買った。「不便だ」「彼らの土地ではない」「景観を損なう」と区や都に申し入れがあり、追い出しが間近に迫ると、今度はボランティアが鉢巻きを巻いて擁護し、通行人の量を調べて「現在の道幅で通行に支障は出ない」とモデル図を出してきたと思えば、美大の学生を動員して段ボールハウスに絵を書かせ、「景観は損なっていない」などと叫んだりした。  ダムさんはそんな大きな流れの中心にあって、何も示さず、何も諭さず、何も語りはしなかった。話せばうんうんと聞き入り、肯定も否定もしないが、意見も結論も口にしない。
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