貴方のダンスが見てみたい 親子の時間3

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貴方のダンスが見てみたい 親子の時間3

バルクがなかなか口を開かないので、酒が入ってまたもや気が大きくなっていたトマスが少しだけ焦れて口火を切る。 「あの、ソフィアリが学校を去ったあと、明星のサロンに先輩が乗り込んできたときがありましたよね。多分あの時…… 扉の向こうにはヒートを起こしたオメガがいた。そうですよね?」 もちろんバルクがあの日のことを忘れるわけがない。 しかしこの事を蒸し返して誰かに話す気はさらさらなかった。セラフィンの策略に嵌まり、バルクがミカと番う原因となった事件が起きた時、明星のサロンの前にいた顔は確かにこの二人だった。それはよく覚えている。人の顔と名前を忘れることがまずないのは、別段人に自慢したこともないバルクの特技だ。 「お前、それを聞いてどうしたい? 興味本位?」 試すように、あざけるように。見つめ返す表情は何故かソフィアリにも似て美しくも挑発的だ。トマスは言い詰まって一瞬目をそらし、すぐにブラントが彼に代わった。やはり友人同士の連携は無意識であっても息がぴったりあっている。 「興味本位かと問われればそれまでなのですが、俺たち二人の間では長い間二つの大きな謎として心の中に消えずに残っていたことです。もちろん一つはソフィアリの行方です。それは幸いにも今回解決できました。もう一つは貴方が血相を変えてサロンに飛び込んでいった理由です。扉の外側までヒートといってもおかしくないほどのオメガのフェロモンが漂っていましたから、俺たちが想像していた理由がそのすべてなのかもしれませんが」 バルクは否定とも肯定ともつかないあいまいな微笑を浮かべ、カップをまた空にした。 「あの直後。俺はセラフィンにソフィアリは家族に遠くに追いやられたと言われたことを鵜呑みにしてしまった。でもこの街に来て、ソフィアリの口から直接、セラフィンとの間にあったことを聞きました」 それには手酌のワイン瓶を取り落しそうになるほど、バルクは心底驚いてしまった。ソフィアリとセラフィンとの間に起こったことは一族の中で箝口令が引かれた非常にナイーブな問題で、少なからずソフィアリの心の傷になっていたはずだ。 今回新聞に二人のことを載せるにあたって、心を乱されたセラフィンが直ちにここを目指してくるかもしれぬと考えて、それでも大丈夫かと確認した。 双子はあの日以来再会しておらず、留学中のセラフィンは今でもソフィアリの居場所を家族からは正式には教えられていない。だがもはや本人もあえて聞き出してこようともしない。ソフィアリに番ができた事実を知ってからはセラフィンは口ではどうこう言っていたが、明らかに意気消沈してすっかり大人しくなってしまっていたからだ。 逆にセラフィンと再会する可能性もあるソフィアリの心のありようの方が心配だった。しかしソフィアリは大丈夫だと答え、すっかり立ち直っているようにも見えた。 だからと言ってそのことを友人とはいえ自ら赤の他人に話しているとは思わなかったからだ。やはりあの男の存在が、ソフィアリにとって心の強さを生む支えになっているのだろう。 (ラグ、やっぱりあんたはすごいな。ソフィアリにとってあんたの存在はもはや親兄弟をも凌ぐ。あの時一人ぼっちになったあいつを支えて、ソフィアリがこの世で誰より愛情を抱く心の拠り所になりえたんだ。まだたった数年の付き合いで、家族の誰よりもソフィアリをあの暗い淵から引っ張り救い上げた……) やっと大学を卒業し、父や兄の仕事の手伝いを本格的に始めたばかりの『駆け出し』の身の上と、軍人として幾たびの戦火を乗り越えてきたラグとはもちろん差があるのはわかっている。それでも……。 (ミカにとって、俺もそうでありたい。いつかランに胸を張って父親だと堂々と名乗りを上げられるような人間になりたい) 今はただそう渇望せざるを得なかった。 また物思いに沈んだバルクに、流石にあまりにも私的なことを聞きすぎたと坊ちゃん育ちの二人は黙り込んだ。リリィは雰囲気を察してバルクのカップに酒を継ぎ足して目線で彼に話の続きを促す。 バルクは少しだけ間をおいて、ぎゅっと握りしめたカップの中の揺れる赤を見つめたのちに思い切って口を開いた。 「そうだ。あの時中にいたのは俺の番だ。このことは他言無用。俺に番がいるということは時がくるまでは黙っていてくれ。いいな」 時が来るまで。 その台詞に二人はバルクと自分たちが彼にとって非常に重要な秘密を共有してある種の契約関係に置かれたのだと悟り、背筋が伸びる思いだった。 それ以上のことを無理に二人がバルクから聞きだすことはもうなかった。あのハニーサワーキャンディーの様に甘くて、それでいて欲をそそられるフェロモンを振りまいていた番の存在を、バルクは事情があって秘密にしている。 きっと何か言うに言われぬ事情があることなのだろう。そんな決意が美男だが心なく薄情とまで言われていた彼の真剣な顔つきから伝わってきたのだ。 すぐさまトマスは話題を変えて今度はセラフィンのことを務めて明るい声を出して確認してきた。 「あの、セラフィンは今もまだ外国に留学したままですか?」 「そうだ。長兄のいるテグニ国にいったままだが、籍は軍に置いている。軍医になりたいんだそうだ。うちは父方は軍人が多い家系だから、いつの間にかそんな希望を持っていたようだ。俺はお前たちも知っての通り、学生の頃素行がいい方でもなかったし、まるで家族をないがしろにしていた。弟たちが何を考えていたかなんてまるで知らなかったし、いまじゃ家族も兄弟もばらばらに暮らしていて、本当に、なんだかな……」 ピッチが早かったせいか、やはりいつもよりとても疲れているせいか。 バルクは自分でも思ぬ弱気な愚痴めいた言葉が口をついて出て、その言葉を自分の中で反芻しながら気落ちしていた。 家族ばらばら。自分でそう言ったくせに、バルクは離れて暮らす幼いランと、今はまだ番だと明かせない愛しいミカを思い、少しだけ涙腺が緩みそうになった。 そんなバルクの気持ちを知ってか知らずか。凄い勢いでその湿り気を吹き飛ばすように力強い声をかけたのはまたしてもトマスだった。 「ああ、それならうちの兄さんだって学生時代は寮生活をしている友人のところに入り浸っててて家に寄りつかなかったし、銀行に入ったらはいったで、すぐに家を出てきましたよ。姉さんはやたらと実家に遊びに来るけどもう結婚してますし、実家に暮らしているのは俺と妹だけ。どこもみんなそうですよね。家族だってやりたいこととか夢があったら、離れててもなんとなくお互い見守ってて、応援しあうものだと俺は思ってます。 それに心のどこかはいつでも繋がっているような気がするんです。近くにいたら素直になれないことも、少し離れてみたら余計大事に思えるってメリットもありますしね。俺も家を出て、できればこの街に戻ってきたいと思ってるんです。キドゥにうちの銀行初めて作って、南と中央の経済の懸け橋になりたいんです」 その言葉に隣にいたリリィが少女のような素直な表情を見せて明らかに笑顔が輝きわたった。ブラントはその変化に気が付きながら、ガシャンと音がなるほど自分の持っていたカップをトマスのそれに打ち付けてきた。 たぷんと赤い酒が揺れて零れるが、そんなことは気にしないで二人は心からの笑顔を交し合った。 「大きく出たよな。トム。俺もうちの百貨店を絶対出店させる」 「いったな、ブラント。ぜひ競争しようぜ」 二人はまたそれぞれの出店計画を周りにいた漁師たちやリリィに話して聞かせた。ソフィアリが良く話しているような少し小難しい話が、この二人にかかるとさらに面白おかしくわくわくする計画になるから大したものだと皆中央の学生二人に感心していた。
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