822人が本棚に入れています
本棚に追加
貴方のダンスが見てみたい 親子の時間1
今年の海の女神に捧げる祭りは特別だった。
祭りの日の前日が嵐になることも特別だったし、男性の女神役が立ったのも、日程が一度延期になってしまったのも初めてだった。
立て続けに起こった様々なトラブルが昇華されたような夜。
女神役を立派に勤め上げた新しい若き領主はとても神々しく、玲瓏たる美で皆を魅了した。
その直後、場の雰囲気をさらに良い方に上昇させるようなダンスシーン。楽しい街だが旅回りの劇団など年に一度街にくればいいかという田舎町の人々には下手な演劇よりもずっと胸に迫った。一瞬港町の潮の匂いのする波止場が中央の劇場に変身したかのような絢爛華麗な皆に愛される二人のダンスだった。
女神は軍神のような番に早々に連れ去られ退席してしまい、その高揚感の余韻に浸りたかった人びとは一斉に愛する人と手を取り合って踊り出した。
時が移るにつれダンスの輪は次第に小さくなり家族と共に帰宅するもの、貝殻亭のような祭りの夜でも開けている店に行く者。商店街のものたちは商店街のものたちで連れ立ち、漁師は漁師で連れ立ってそれぞれの会に散っていった。
バルクはすっかり弟分の様になったトマスとその連れのブラントと共に、貝殻亭にいる漁師の面々の酒盛りに加わることとなった。
「あー。この感じ。初日の色々が思い出される……」
何か苦いものがこみ上げてきたような顔をしているトマスの前に、にニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら漁師たちが食堂のテーブルどんどんと酒瓶や料理を置いていく。
「こんないい酒、なかなか飲めないぞ。お前も沢山飲んどけ」
「確かにこの銘柄、うちの店でも取引があるテグニ国の一級品の葡萄酒です。飲みましょう」
言いながらブラントが赤い葡萄酒を水でも飲むようにあっさりと一杯飲み干した。
「ちょと、あんたたち! トマスに沢山飲ませたら駄目だからね」
屈強な男たちをかき分けるように、リリィが人垣から割り込んでやってきてトマスの前のカップを取り上げて自分がくいっと一息にあおる。
「おお~ 流石姐さんお強い」
「あら、香りがすごい。美味しいわね。もったいないから何本か取っておいてうちの安酒飲ませましょう。ね? マスター!」
「リリィの良いようにしなさい。こいつらには何を飲ませても胃袋に入ったら同じというようなやつらばかりだからの」
リリィの親代わりになっている先代オーナー夫婦も今日は連れ立って店に立っている。好々爺である先代オーナーが特製の煮込みを皆に振舞って、みなそれをアテに酒を飲んで喜んでいる。
「取り合えず、乾杯しよう。海の女神に!」
「海の女神に!」
口々に言いあいながら芳醇な味わいの葡萄酒もバルクも口に含む。鼻から抜ける芳香の強さと共に鮮やかな色合いが目にも美しい。
鮮やかな赤をイメージするといつでもバルクの脳裏に浮かぶのは儚げだが、強い意志をなみなみと湛えたあの朱赤の瞳をもつ自分の番のことだ。
今は何をしているだろうか。まだ眠るには早いから、体調が良ければ休学の遅れを取り戻すように本を読んでいるだろうか。一年を通して温暖なハレヘと違い、中央は秋が深まっていくのが早い時期。バルクと番のミカの二人が初めてであった時期に近づいてきている。思い起こすたびに胸になぜか切ない感情が浮かぶ特別な季節だ。
「バルクさん? 流石に疲れましたか」
トマスはなに遠いところを見ているような目をしていたので気になってトマスが声をかけた。ブラントも正面から二人の様子を肘をついて大分リラックスした姿で眺めている。バルクの青い瞳はソフィアリのそれに酷似している。この街の宝である美しい湾に似た色であるのに、バルクの方はなぜだか空の青さに似てみえる。茫洋とつかみどころがないところがそう思わせるのか。それとも
クルクルと豪華な濃いはちみつ色の巻き毛のせいか、より青が明るく見えるのだろうか。ともすれば軽薄にも見える柔和な美貌なのに、たまにこうして陰りのある表情をする。見ているだけでなんだか胸を掴まれるようなそんな綺麗だけれど哀し気な顔だから、女性などこの顔をされたら一目で彼の虜になってしまうかもしれない。
トマスはバルクはやはりソフィアリと兄弟だと思った。
ソフィアリしかり、バルクしかり、トマスは彼らに心を奪われやすいようだ。
「疲れた、かもな。ランバート南部辺境伯はとにかくまともに対峙するには強烈なオヤジなんだよ。ラグは全く動じないが、俺は毎回本当に疲れる」
バルクは少し複雑そうな顔をして笑う。その反応は予想外だった。在学中に伝わってきた噂話では、札付きの不良で鳴らしながらも特段落第しそうだったという噂はついぞ聞いたことがなかった。逆に勉強する暇などないのにいつも涼しい顔をしていて、彼に苦手なものなどないのかもしれないと世の不公平を感じる程だった。
「強烈? 北と同じくらいに広い南部地域を束ねている方でいらっしゃる。やはりただものではないということですね。今皆が飲んでいるお酒を領主就任記念に樽や瓶ですごい量をお祝いに下さったと。やはり親類のソフィアリを大切に思っていてらっしゃるのですよね。領主のまだ運びきれていないものはサト商会がまた持ってきて街の集まりの時に出そうっていってましたね」
優等生らしくブラントがそんな風にランバートを称すると、バルクは学生時代の彼のようなアイロニックな微笑を浮かべてまた形の良い口元を少しだけワインに口をつける。酒場の大きなカップでなく美しいグラスが似合いそうな容姿なのに、彼が持つだけで煤けたカップまで様になる。僅かに目を見開いたのち、猫のように細めてにやりと微笑む。
「ああ、たしかに旨い酒だな。ブラント、あれはな。そういう親切心というか。そんなものというよりは、なんだ。まあ、なんだ。詫びの品ってところだな」
歯切れの悪い言葉尻に複雑な関係性が透かしみえてトマスは興味深げな声で聴き返してきた。
「詫びの品?」
「ラグからきいたんだが、ソフィアリがランバートにちょっとばかりいじめられたらしくてな。本人は揶揄っているつもりなんだろうけど、無駄に圧が強い男だからな」
「それはソフィアリがオメガだからですか?」
「まあまて」
義憤にかられやすい性格のトマスとブラントが早くも色めき立つのを納めつつ酒をあおる。飲んでこともない程旨い葡萄酒に皆すっかり高揚感が高まって、店の中は大声で話したり歌ったりする喧騒に満ち満ちていたが、その煩さがバルクには心地よい。
バルクは秘密主義と元恋人たちにはため息をつかれ続けてきたほどで、いままで家族の話を誰かにすることはまずなかった。深い話までできるのはこの街に連れてきたルイードぐらいのものだろう。
しかしここ数日一緒に過ごしてみて、ただの学校の後輩だった二人がバルクの中でも大分存在感を増してきていた。この二人のソフィアリへの友情は本物だろうとおもう。
そして気まぐれに話をしてもよいかと思ったのだ。旅先であるという日常とは違う感覚がそうさせたのかもしれない。
「お前たちはソフィアリの友人だからまあ話すが、ランバート辺境伯っていうのはうちの母方の一族だ。まあ有名だよな」
「東西南北のランバート一族は国を囲むように遍く広がり国を守っている。それは教科書にも載ってますよ。幼年学校の。ソフィアリの親族だとは最近知りました」
「俺はバルクさんに教えてもらうまで知りませんでした」
「まあ、ある意味取り囲んで国を支配しているともいうな。血族の絆が強い一族だ。俺はさ、この美貌じゃないか?」
「はい!」
はい、とか素直に答える番犬のようなトマスがえらく可愛くて、バルクが頭がぐらっとするほど額を小突くと、隣に座っているリリィがまた今度はとりかえすように額をいい子いい子する。
おや?っと思ったがバルクは口には出さずにいい雰囲気の二人を心の中だけで応援した。
「俺たちの母親はジブリールっていって、頭が非常に良い聡明な女性だ。オメガだけれど俺たちの学校に当時はなかったオメガ専用のクラス作らせて通っていたほどだ。楽天家で朗らかだがなかなかしっかりした意志を持っている女性でね。で、俺によく似ている美少女だったわけ。おい、トマス吹き出すな。今でこそこんなだけどな、俺は小さい頃は女の子に間違われることの方が多かったんだぞ」
「いえ、それは想像に難くないですし。それに俺知っているんですよ、先輩の子供のころの写真。覚えてないかもしれないですが、うちの百貨店に写真館ができたときに店主が先輩の美貌を見込んで写真を撮らせてほしいって頼み込んで、撮らせていただいたものがまだのこっているんです。確かにあれは可愛かった。俺はその…… ソフィアリが映ってないかと思って見に行ったですが、残念ながらソフィアリは映ってませんでした」
「なんだそれ、俺聞いてないぞ。お前抜け駆けを」
また二人がソフィアリを巡ってぎゃいぎゃい言い合いだしたのでバルクも笑って見守った。ソフィアリを取り巻く状況がこれほど変わったというのに、ソフィアリのことをずっと好きでいてくれる友人たちでありがたいことだ。
しかし写真の件は当のバルクも初耳で驚いた。結構小さいころから何回か。8~12歳ぐらいだったろうか。確かにそんなことをした記憶があるがその写真が人目に触れる場所にあるなどということに驚いたのだ。そしてちょっと合点がいったことがあった。
(なんでランバートの親父が俺の写真を持っているのかと思ってたけど、写真館経由で流れたやつかもな。恐ろしい)
ラズラエル百貨店はそれこそその時々の恋人(特に年上)に連れ歩かれて何度も行ったことがあるが写真館によったことはなかった。
「先輩続き話してください」
最初のコメントを投稿しよう!