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貴方のダンスが見てみたい 親子の時間2
トマスの懐っこさは天性のようだ。大きな身体に垂れ目の愛嬌顔でこう頼まれると嫌とは言えなくなる。
ソフィアリはセラフィンがいた世代、綺羅星のごとく輝く明星たちの中では地味目に見えた存在だったが、彼には彼にしかない良さがある。
「母のジブリールはもともとランバート南部辺境伯の婚約者だったんだ。年は母の方が上だったから彼が成長するのを待って結婚する予定で、一族が決めたものだ。辺境伯はまだ少年だったけど母に憧れていたらしく初恋が実ると思ってたそうだ」
バルクはこの話を中等年学校に上がる直前、辺境伯に直接告白された。かなり印象的な記憶だからよく覚えている。
『それをお前の父親が奪い去ったんだ。大切な人があっさりと番にされて、イオルをすぐに身ごもった。まだ13歳だった我が身を呪ったよ。ジブリールはあれだけ好きだった勉学もすべて諦めたんだ。俺が成長するまで待ってくれたら、俺ならばジブリールが好きなように学問を究めてみるのを粘り強く待つこともできたのに。
さてお前の父親がしたことは正しいことなのか? ジブリールは自分の夢を断たれ、俺はこの通り番を何人もつくろうとも満たされない』
寂しい男だ。絶大な権力と恵まれた資質を申し分なく身に着けながらも、深い藍色の瞳は言い知れぬ哀しみを湛えていた。
祖父母にとっては甥にあたるので彼らについてバルクが彼のもとへ遊びにいくと、バルクのことをことさら可愛がってくれた人だった。それだけに父のしでかしたことを流石に申し訳なく思っていたのだ。
しかしその同情心だけではどうにもできない願いを懇願されて、流石にバルクは面食らってしまったのだ。
『なあ、バルク。もしもお前がオメガであったならば、ジブリールの代わりに俺のもとに嫁いでは来ないか?』
あれは忘れもしない。空が禍々しいほど赤かった夕暮れ時。彼の屋敷の広大な庭園の東屋に何故だったか二人きりでいた。
周囲はランバートの赤毛を彷彿とさせる真っ赤な薔薇に囲まれ、少年の日のバルクに膝まづくようにかがんだ若き日のランバートは、バルクの細く小さな頤に手をかけて仰のかせながら囁いてきた。
その時の青い瞳の奥に宿った光は強く、絶対に本気の誘いを匂わせていた。
ジブリールに最も似ている子であったから、バルクのことを愛してくれていたのだ。今なお続く母への執着にバルクは背筋が凍るほどだった。
「で、このままでは流石に喰われると思った俺は自分のバース性が確定するまではあの男から逃げ回っていましたとさ。再会したのは、成人してからだ。実際あの頃はもし俺がオメガで相手に本気を出されたら俺を囲って番うことなどたやすかっただろうから。
今でも俺は人からいいように扱われるのが嫌だから自分のバース性は極力言わないことにしている。根底にはこの時の怖ろしさが残ってる」
といってもバルクのこのどこにいてもひと目でわかる美丈夫ぶりとオーラでアルファであることは明々白々であるが。
「先輩? それはあの、笑い話なんですか? それとも怖い話?」
きょとんとしたトマスにバルクは癒された。高等教育学校に上がるまでは双子でばかりくっついていたソフィアリが心を許すきっかけを作っただけはある。
「あはは。みんながみんなお前みたいに明るくて単純だといいな。お前には執着とか色恋の怖さとかそういうものは無縁なんだろうな」
そんな揶揄には流石にトマスは若干むくれてリリィが口をつけようとしていたワインを彼女の張りのある手ごと包みこむようにして口元に運ぶと半分飲み干す。
「子供扱いしないでくださいよ。本当にもう」
「トムのそういうところに、俺は救われてきました。俺にはない資質なんです。人のことを思いやれる。俺は大事な時には自分を優先しがちだから、見習わないといけない……」
それは思いがけないブラントの告白でトマスは斜め前にいた彼をまじまじと見つめた後、にこにこっと元々下がり気味の目じりを下げた。
「そんな風に思ってくれてたのか。嬉しいなあ。俺はやっぱりさ、何でもできるお前が憧れだったからさ」
「まあ、恥ずかしげもなくこの子達ったら。それでバルクさんは今はもう番はいらっしゃるんですか?」
リリィはあっけらかんとトマスとブラントが聞き淀んできたことを易々聞いてのけたのだ。二人は息をのんでバルクの答えを見守る。
そう。あの日。
あの明星のサロンで起こった出来事を、二人は忘れていたわけではないのだ。
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